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2009年3月26日 (木)

「心」までは買えない

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・・・是非、お目通し下さい。



齋藤友美賀ヴァイオリンリサイタル(2009年4月28日、市ヶ谷にて)、是非お出掛け下さい。

書籍「金沢城のヒキガエル」、記事をお読みになってお気が向くようでしたら、どうぞご一読下さい。

大井浩明さんのベートーヴェン演奏(フォルテピアノによる)、新鮮です!

昨日、JIROさん(リンク先はマーチ特集)にご紹介頂いた「往復書簡 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ 分析と演奏」(園田高弘=諸井誠共著 音楽之友社 昭和46)について、ひとことだけ触れました。

ベートーヴェン作品は、交響曲なら9曲とも、メロディーラインではある程度ひとくさり「浪花節」を唸れますけれど、協奏曲はヴァイオリンのもの、ピアノは3番以降のみ、弦楽四重奏曲となるともっと怪しくなり、ピアノソナタとなると、番号とタイトルと曲を同時に想い出せるのは1曲のみ(第1番!)で、他に記憶を甦らせることが出来るのは十指に満たない以前、です。このあいだ大井浩明さんのCDで真剣に聴いたのは、本当に久しぶりのことでした。
そんなていたらくの私が、園田・諸井氏「往復書簡 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ 分析と演奏」を、それでもまず分かる曲の部分だけ無我夢中で読みました。
基本は、園田さんが「演奏する」立場から展開する各曲の「読み」に対して諸井さんが「創る」立場からの「分析」で応じる・・・次に話題にする曲に移る時に、園田さんは諸井さんの前便を踏まえて、でもやっぱり「分析」ではなくて、作品にこめられた「意味」を諸井さんよりも主情的に綴る・・・弾く人、創る人の視点の差を肌で感じられるだけでも興味深いやり取りなのですが、お二人の「視線」にはズレがないから、一貫性があります。
印象としては、詩の世界でよくある、詩人Aと詩人Bの交換詩集(本当は何と呼んだらいいのか分かりませんが)と似たものを与えられました。
こんなことしか述べられないのでは、私が本書を理解できていないというのを白状するに等しいのですが、そこは恥を忍んで
「はい、分かっておりません」
と申し上げます。
この類いの「肌触り」は、やはり、自分なりに曲が消化できていないと、微妙なところで分からない。でも、今時点でのレベルでの感銘は、今時点なりに「大きく」受けるのです。
それがどんな大きさで私に迫ってくるのか、は、明かしようがない、というのがホンネです。
弟子が秘事を授かる・・・そんな感覚です。
本当に、東洋的な書物だと感じております。バドゥラ=スコダ著書の、西洋的な明晰さ、では、お二人のやり取りのような「飛んだ、超えた」記述はなされていない。あるいは、日本人としても、児島新さんの「ベートーヴェン研究」のような考証的な記述でもない。となると、平凡以下の読者である私としては、つい桃源郷に迷い込んで、仙人の会話を偶然耳にしてしまった、という類いの、不思議な驚きをもって接する以外に、なす術がない。



JIROさんが探し出してくれた先が、偶然にも、私が時々お世話になる、信用できる古書店さんだったので、すぐにネット販売に申し込んだのですが、届いてみると、この書店さんにしては珍しく、品物の状態が値段のわりによろしくない。
本にちょっと線を引いちゃっただけでも、最悪は古本屋さんは値段をつけてくれず、こっちから頼み込んで引き取ってもらえないなんてこともあります。この書店さんはそういうお店ではないと思っていましたから、届いた本に線が引いてあるのを見た時には、
「なあんだ、今回は、ボロ儲けさせちゃったかな」
と感じてしまいました(といっても、たかだか本1冊で、古本屋さんはさほど儲かるわけではないので、これは大袈裟なのです)。
ですが、裏表紙を開いて、そこに
「K子様へ  昭和四十六年十一月某日  父K一」
とサインがあるのを見てから、俄然、この本のたどって来た経路に思いを馳せてしまいました。
著者のサインではありませんから、通常はこんなサインがあるのも、また値段を下げる要因になるはずなのですが、私にとっては価値ある「無名人のサイン」となったわけです。

お父上から、発行間もないこの本を贈られたお嬢様は、ピアニストの卵だったのでしょうか? お嬢さんにこの本を贈ったお父様も、この当時としてはかなりな通人だったのではないでしょうか?
この本は、贈られたお嬢様にとって、大変な宝物だったのではないでしょうか?
では、なぜ、どうして手放さざるを得なくなったのでしょうか?
今ではコレクター商品などというのまでAmazonに出品されているようなシロモノで、しかも、間違いなく名著です。
そう考えながらあらためて中身を読みつつ状態も確認していくと、最初に受けた印象ほど悪くない。お嬢さんが、熱心ながらも大切に読んだらしいことも窺える。

・・・出来るのは、ただ想像を巡らすことのみで、そのお嬢さん自身が、だったのか、あるいは縁者の方だったのか、いずれにせよ、手放すには、切ない気持ちが伴ったのではないのかな、などという思い入れまでしてしまって、私はそれだけでも目が離せなくなりました。

そうなんです、本は買えましたが、この本の最初の贈り主、持ち主のかたの「心」までは買えなかった。
それが、なおいっそう、本書の園田さんと諸井さんの往復書簡文を神秘的なものに感じさせるはたらきをしたかもしれません。

肝心の内容についてのレヴューにも何にもなっていないのが心苦しい限りですが、繰り返します。

ものは「買え」ても、心までは「買えない」のでした。
私は、メフィストフェレスの足元にも及ばない・・・当然と言えば当然の、魔術の初歩をも心得ていない、素晴らしいものの前には全く無力な、虫けらにも等しい存在なのでした。


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コメント

Kenさん、連続コメントすいません。

またまた、「往復書簡」を取りあげて頂いて、ありがとうございます。

そんなに興味をお持ち頂けたとはご紹介した甲斐があります。「その一冊」にまつわるお話も如何にもKenさんらしい。

とにかく、同じ事ばかり書いて恐縮ですが、取り急ぎ御礼まで。

投稿: JIRO | 2009年3月26日 (木) 21時42分

JIROさん

思わぬおまけがついていたところがミソでした。

ミソおでんよりおいしいおまけでした。

・・・お粗末様です。。。

本当にありがとうございました。

投稿: ken | 2009年3月26日 (木) 22時59分

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