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2009年3月 7日 (土)

曲解音楽史56)ドイツ圏での音楽ジャンル規定

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過去の音楽史関連記事はこちらの「曲解音楽史:総合リスト」からご覧頂けましたら幸いです。

Satou美術史により規定され、音楽にも援用された「バロック」の時代は、音楽においては「人間復興」という意味での純粋な「ルネサンス」が遅く訪れた(専門の本ではこれをむしろ、従来の枠組みを替えずに「音楽は中世とルネサンスに連続性があった」とみなしておりますが)17世紀初頭から急激に変容を遂げたあとにこそ該当するもの、と考えたいと思います。(このことは53節で述べたことと変わりありません。)
すると、音楽における「バロック」は17世紀後半から18世紀前半のおよそ百年間に該当します。

この間、権力が分散してしまったイタリアには目立った思想活動もみられなくなり、代わりに政治権力集中に成功したフランスにはデカルト(1596-1650)思想の浸透が見られ、53節では述べませんでしたが、それが身体の動かし方としてのバレや、それを伴奏する音楽のあり方にも影響しました。フランスではまた、デカルトの生没年に前後して、モンテーニュパスカルラ・ロシュフコーらのエセー形式での思想表明が流行すると共に、自然科学の面でも充実した活動が見られるようになりました。同じくフランスやスペイン、フランドルとのいざこざに決着を付けたイングランドも、清教徒革命・名誉革命という波乱を経ながらも中央集権的政治体制が整い、エリザベス朝のフランシス・ベーコン(1561-1626)を嚆矢にジョン・ミルトンジョン・ロックジョージ・バークリなどの独創的な思想家達を輩出していきます。

そんな中で、イタリアが下火になる以前から、ずっとパッとしなかったのがドイツ思想界です。ドイツ圏は政治権力の集中らしき集中はハプスブルク家が隆盛期を迎えても必ずしも順調であったわけではなく、神聖ローマ帝国の皇帝を選出する権利を持った選帝候と呼ばれる各地域の諸候の力にはあなどれないものがありました。(ドイツはそのかわり、先行したフランスやイギリスよりも結晶度の高い哲学を、18世紀のカントが確立することになり、以後、フィヒテシェリング、とくにヘーゲルといった哲学史上の巨星を次々と生み出すことになるのですが、それはまだ先の話です。)

音楽においても、19世紀初頭までは、ヨーロッパ全体から見れば、いま言われているほどに高い知名度を誇った「ドイツ圏独自」の音楽家は少なく(バッハとて無名の存在だったことは御承知の通りです)、諸候はイタリアからやってくる音楽、音楽家のほうを重んじたことは、49節で垣間見たシュッツの苦悩に、既に現れています。ドイツ圏のイタリア趣味は、古典派と呼ばれるハイドン、モーツァルトの創作にも影響し、純粋にドイツの音楽を打ち出した初めての成功者であるベートーヴェンの時代にもなお、人々が熱中していたのはイタリアオペラであり、とくにその代表であるロッシーニだったことは、音楽に対するドイツ圏のこうした流れを考えた時、現代の私たちが印象として持っている「ベートーヴェン優位」の価値観が後年の人為的なものであった事実を明確にしてくれます。

ハンブルクのテレマンを例外に、現地在住のまま国際的名声を得た作曲家は多くはなかったものの、別の面で、ドイツは、オランダ出身のスウェーリンクラインケンの流れを汲むオルガン音楽という、どちらかというと内向的な分野での充実が進み、クーナウブクステフーデバッハなどを輩出して行きますが、彼らの音楽の質の高さよりも、当時として大きな意味を持ったのは、マッテゾン(1681-1764、ヘンデルと仲が良かったが、一度激しい喧嘩をしてヘンデルを殺しそうになった人物)が主として推進した、音楽、とくに器楽ジャンルの曲種の「分類」を進めたことのほうでしょう。今回はこのことを、優れた研究書である佐藤望『ドイツ・バロック器楽論』(慶応義塾大学出版会、2005)を導きの杖として見ていきましょう。ただし、あまりたくさんは述べられないと思いますので、詳細をお知りになりたい場合は佐藤著をぜひご覧下さい。(おすすめしても、私の懐には何のメリットもないのですけれど!・・・日本人がすべてを記した音楽書としては、淡々と論を進めていながら、史料の活用において、出色でまともで掛け値無しに素晴らしいものです。)
・・・と言いつつ、私にはとてもまとめ切る能力はありませんので、佐藤著の特色を生かした記述はできませんが。



佐藤著は1719年に刊行されたヨハン・ベーア『音楽の論議』の次の言葉を引用することから、以降、ドラマチックに展開される「音楽の様式観の変遷」をたどる旅の幕を開けます。

「声楽と器楽とどちらが優れているか。/もちろん声楽である。なぜならば人の声は生ける声[Vox via]であるが、器楽の声は死せる声[Vox moruta]であるから。」(p.27)

これは、少なくともドイツにおける音楽の価値観が、17世紀の間はずっと、イタリアのそれを引き継いで、声楽中心であったことを示しています。
では、なぜ、声楽の方が「生ける声」としての優位性を認められていたのか。ベーアは続けます。

「声楽では歌詞を表現できるが、器楽ではなにも表現できない。」(同頁の引用続き)

したがって、バロック初期の段階では、理論家から見た器楽のウェイトはまだ低かったということが分かります。そのため、音楽の分類はこんにちのような「曲種」からではなく、(極めて大雑把に言えば)「宗教・教会に属する高いものか、劇場などに属する低いものか」という視点から分類が成されるのが普通でした。
この分類の中で、プレトーリウス(1614/15)やキルヒャー(1650)、ラインケン(1687)は、しかし、現実に発展して来た器楽(それはドイツ人が国際的標準と位置づけていたイタリア音楽が前回見たような多様化を遂げていく中で立ち現れて来、フランスにおける舞曲の発展も無視できないものとなっていました)のみの演奏をどう位置づけるか、で、苦闘をしていくことになります。だいぶ端折りますが、この苦闘の中で、17世紀中葉に至って「音楽の高低による差異化」(p.100)のなかで、「器楽全般が俗的で低いジャンルの音楽であるという思想が薄れたところで初めて」(同頁)器楽は声楽と並列の地位にまで上昇していくのです。
創作者としてはラインケンが自らの器楽作品を高い位置づけにするために、このように述べているとのことです。

「私は音楽に魅力を感じ心から求める方々に、現在彼らが得ているものよりもさらに高いものを提供したつもりです。しかし、うるさく批判ばかりしている人々は、純粋な作曲も、ハルモニアも、フーガも、コントラプンクトゥスや、それに匹敵するいかなるものを提供したところでなんの益にもなりません。この人たちは、自分自身が染みやほくろでいっぱいの顔をしていながら、鏡を見ながら、あたかも鏡に染みや汚れがあると考えるのです。」(同頁引用訳文・・・これって、さしづめ、私のような人間に反省を迫る一文かも知れません!)



これに数多くの理論家や創作者が追随していくのですが、最終的に、伝統的な音楽の高低の枠組みを器楽そのものに築き上げたのは、マッテゾンでした。
彼は1713、1717、1728、1739年と分類論の価値転換を図っていきながら、最終的にヨハン・アドルフ・シャイベ(1708-1776)によって引き継がれる、高低の差からではなく、純粋に作品の本質に根差す形式理論の基礎付けを成し遂げます。

「理性なき習慣というものは、しばしば、ある言葉にもともとなかった悪意に満ちた意味を持たせるものである。・・・・・・無分別な偽善者や偽善的愚か者は、教会における情緒のこもったフィグラールムジークを聞き、理解もしないくせにあざけって言う。「劇場音楽のようだ!」と。劇場的という言葉が、あたかも侮蔑的な意味に他ならず、鼻に皺を寄せ、口をひん曲げて悪態をつくことが許されているかのようである。/教会音楽も、他の誠実に作り上げられたあらゆる音楽作品も、その起源は同じ、その本質は同じであり、ある意味では目的も同じである。それは、雄弁術がそうであるのと同様だ。これらは、単にその対象、習慣、語法によって、偶然幾つかの種に分かれているに過ぎず(注:下線は私が付しました)、それによって様式の違いも生じたのである。」(107頁引用、マッテゾン『音楽的愛国者』1728より)

こうした信念に基づきマッテゾンがまとめた様式のうち、器楽に関するものは、

1)教会の器楽の様式=Stylus symphoniacus, Instrumental-Music, Instrument-Styl(各声部が独立した歌唱性を持つ)
2)教会のカノン形式=canonics Styl(通常歌われるカノンのこと。教会では"Sonata"などで楽器で使用した方がよい)
3)劇場の器楽の様式= Instrument-Styl(上声が支配し他はそれに従う【専制君主的】、通常4声以下)
4)劇場の舞曲形式=hyporchenmatischer Styl(舞踊の性質を熟知した創作、旋律の明確な分節、拍節の正確な分離、など。劇場部隊における高級舞踊。代表的作曲家は、リュリ)
5)スティルス・ファンタスティクス(即興演奏による楽曲。主に鍵盤楽器による)
6)室内の器楽様式= Instrument-Styl, zum Kammer gehöliche Instrumental-Schreib-Art(教会音楽も劇場音楽も室内で演奏できる【室内では器楽が支配】。上声部ときちんと同等に気持ちよく響く感じのいい純粋な中声部、シンコペーション、分散和音、トゥッティ・ソロの交替、アダージョよアレグロの交替などの技法。食卓の音楽【Tafel-Music】で支配的。代表的作曲家はコレルリ)
7)室内のカノン様式=canonischer Styl(酒の席で歌われるカノン。最近は室内のソナタで演奏可)
8)室内の舞曲形式=choraische Schreib-Art, Tanz-Styl(室内用・ホール用・大会場用に分類、4よりもリズムは敏捷で動きは楽しく、曲は短い。代表的作曲家はコレルリ)
(76-80、マッテゾン1739。だいぶ圧縮しましたので、より正確な内容は佐藤著を参照下さい。)

といったものでした。さらに細かく具体的に(たとえば舞曲ならガヴォットはどうだとかメヌエットはどうだとか)言うことについては、ここでは触れきれませんので、やはり、ご興味がおありでしたら佐藤著をご覧下さい。

この後、J.S.バッハを批判した人として知られるシャイベが曲種ごとの分類を推しすすめることになるのですが(1737-40)、そこで初めて、こんにちの曲種の分類の原型が打ち出されたのでした(Symphonie, Concert, Overture, Sonate。佐藤著p.249-257参照)。

以上、ドイツ人の「分類上手」の面目躍如、といったところですが、マッテゾンやシャイベによる発想大転換の実現は、思想的にはフランス啓蒙主義に多くを負うていたようです。
ともあれ、この執拗とも言える徹底した分類は、ドイツ哲学を先取りした動きと見なしても良さそうですが、それはドイツの「社会」の制度に根差したものではなく、従って、音楽そのものをどのように見つめるか、という個人の「眼」・「良心」のなせるわざにほかならなかったことには、留意しておかなければならないでしょう。

シャイベがバッハを何故批判したか、は、この様式分類の理論的確立が、バッハのような、あるいは先行するクーナウの<聖書ソナタ>のような「様式を超えた音楽」を、かえって容認しがたいものにしたところに理由がある、ということをも、付け加えておかなければなりません。バッハは、大きな文脈の中では、ドイツ音楽においては、その在世中は「大海」たり得なかった、という次第です(p.265参照、ただし、ここに関しての文責は私にあります)。



こうした動きの中で、やはりテレマンほど如才なく「枠組み」を超え、かつ当時の人々に受け入れられるような音楽の創造に心を砕いた人物はいなかったと言えます。
ハンブルクという自由貿易都市を根城に活躍した彼の作品は、拠点の商業的風土にも助けられたためでもあるでしょう、当時としては珍しく出版を前提として作られたものが大部分を占めたため、現代ではかえってそれが災いし、手槁譜で伝承されたが故に日の目を見ることになったバッハや、イギリスに活躍の場を設け王室と密接な関係を保ったが故に記憶されたヘンデルの陰に隠れることになってしまいましたけれど(大崎滋生『音楽演奏の社会史』東京書籍 1993 参照)、彼の音楽は、専門家ではない普通の聴き手に配慮した、平易な技法で、見事な仕上がりを見せていること・・・そうした音楽が雑誌という媒体(メディア)による先駆的な流通形態を取ったこと・・・によって、形式理論に熱中する、あるいは自己を高める創作に没頭する生真面目一方の音楽家たちを超えてアマチュア愛好者にまで音楽が浸透する礎を築いたという側面には、いつの日かもっとはっきりと光があてられるときが来ることを、私としては祈るばかりです。

テレマンのユニークな例の一つとして、「ドン=キホーテのブルレスケ」というものがあり、これはマッテゾンの分類で行くと8の「室内の舞曲形式」に相当する組曲になっているのですが、フランスのラモーのクラヴサン曲などとともに、描写音楽の先駆をなすものとしても興味深いものです。

・ドンキホーテの風車攻撃(「ドン=キホーテのブルレスケ」第3曲)

"DON QUICHOTTE IN HAMBURG" edition raumklang RK 2502

同じCDには、スペイン宮廷向けに書かれたマッテゾンの同種の(但し標題性のない)舞曲組曲も収録されていますので、機会がおありでしたら、そのキャラクターの違いにも耳を傾けて頂ければと存じます。


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