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2009年3月19日 (木)

ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」:好きな曲025


http://savedm.web.fc2.com/
・・・是非、お目通し下さい。



大宮光陵高校管弦楽部がSONYのウォークマン"Play You"のCMに12月13日から出演しています!

齋藤友美賀ヴァイオリンリサイタル(2009年4月28日、市ヶ谷にて)、是非お出掛け下さい。

書籍「金沢城のヒキガエル」、記事をお読みになってお気が向くようでしたら、どうぞご一読下さい。

Rachmaninoffヴァイオリンを手にしていたのは
「オーケストラがやりたい・・・すると、いちばん人数が多いのはヴァイオリンだ、ということは、ヴァイオリンをやればどこかのオーケストラに潜り込める確率は高い!」
と、たったそれだけの発想でした。

ですから、学生時代のギリギリ最後までは、私にとって、ヴァイオリンという楽器そのものは・・・いろんな曲がやりたいとなると技術的なことは知ったり身につけたりしなければなりませんから、夢中で調べたり、お世話になった大人の方や先輩に叱られ叱られして、おもてっつらだけは何とか「身につけた」風、ではあったものの・・・江藤俊哉さんという衝撃を受けてもなお、
「おいらぁ、ソロ弾きになるわけじゃないから」
ってなわけで、さほど愛着の対象ではありませんでした。

それが、オイストラフ(の、時すでに遅く、ナマで接する機会は逸し、録音で、での出会いでした)という第二の衝撃波で、これはちょっと、別にソロ弾きになるわけではなくても考え直さなければいけない、と慌てた時には、もう、卒業間際でした。



初恋の相手が自殺したのがトラウマで、人の心の動く仕組みを知り、不幸を防げるようになれば、と専攻した心理学でしたが、いざ専攻してみると、現在の脳生理学のハシリみたいなことばかりが流行していて、
「あれ? おいら、行き先を間違ったんだ!」
そう気づいたころには、こちらも時すでに遅し、でした。
(私がやりたかったようなことは、医学部の精神科を学ばなければいけなかったのでしたが、歴史だとか人文的なことに未練たらたらだった私は理系学部に行くなどとは想像もできず、心理学専攻があるのを幸い、迷わず文学部の門を叩いていたのでした。)

オーケストラの大先輩でもあり、優れたトロンボーン奏者でいらした院生(アルトトロンボーンの音域を、テナーで何の苦もなく出すことができました)の方のすすめで、ちょっとは音に関係があることを、というので、与えられたのは「耳の錯覚」の実験、それも、自分が主体的にやったわけではなく、私はその院生(いまはどこかで教授くらいになっていらっしゃると思います)の、言葉は悪いのですが、モルモットの1匹でした。・・・ただし、大変トクなモルモットでもありまして、どうしてそんな実験をやるのか、私自身の出す結果はどんな意味を持っているのか、についてのレクチャー付きではあり、おかげで、ほとんど講義にもゼミにも行かない不熱心な専攻学生だった私も、「優秀な成績で」就職することができたのでした(内定の後、一通だけ成績表が手元に残っていて、就職して少ししてから自分で開けてみてビックリしたのですが、ほとんどの科目の成績がAであり、C、Dみたいなものは一つもなく、あきらかに「嘘八百」を優しく付けてくれていたものだったのでした)。

で、オイストラフの衝撃だとか、聴覚の実験だとかの中身は、とりあえず措きます。



大学は、私の故郷にありました。その故郷で、前に「好きな曲」カテゴリの中で綴ったように、私はあまり幸せな思いを持つことができませんでした。就職そのものが、故郷から脱出したい一心での、やけっぱちのものでした。
結局は3年後に一旦故郷へ転勤させられ、3年ほどまた故郷で過ごすことにはなるのですが、入った会社は、とある大会社の子会社で、組合管掌外の、実態はその当時は時間外無制限の販売会社でした(私の就職した頃は、まだそう言う会社がゴロゴロありました)。
あらかじめ
「夜は、帰りが11時過ぎるのが当たり前だけれど、それでもいいか?」
と、私の世話をしてくれた人から聞かれていて、
「別に構いません」
と答えて入ったものの、実際に入社してみると、11時過ぎに帰れるなんてまだいいほうで、ほとんど毎日、お酒も飲まずに午前様、私のように
「訛りが気になってセールストークも出来ない」
ような失格セールスマンでは、休日がフルに取れるのは月に一回、というのが当たり前でした。
とてもじゃないけど、楽器なんか手にする時間はない。あてがわれた寮も相部屋でしたから、音楽を聴く時間もない。

売れないセールスマンが心の慰めにしていたのは、まだ手取りもわずかで、おんぼろ中古でかろうじてカセットデッキが搭載された車を買って、その中で、セールスへの道すがらに流した曲ばかりでした。

ほとんどいつも、決まったように聴いていたのは、ラフマニノフのこのピアノ協奏曲でした。

・ピアノ協奏曲第2番(第1楽章)

ラフマニノフ自演、ストコフスキー/フィラデルフィア管 RCA BVCC-5115

当時はラフマニノフの自演ではなく別の演奏で聴いていたのですけれど、誰のものだか忘れました。

ついでながら、後年気に入って聴いたのはルービンシュタインが唯一ライナー/シカゴ交響楽団と共演した録音でしたが、いい演奏だと思っていたら、ルービンシュタイン自身は
「オレはとてもラフマニノフなんて弾けない」
と言っていたのだそうで・・・手が小さかったんでしたっけね。
「嘘だい! こんなに立派な演奏ぢゃあないか!」
そう信じていた私が、ルービンシュタインの言葉はホンネなのだ、と知ったのは、この自作自演を聴いたことによって、でした。
いや、ルービンシュタインの演奏は、間違いなく素晴らしいのです。
でも、文字通り体も精神も巨人で、ジャイアント馬場とどちらが勝っていたのだろうかと想像したくなるほど大きな手の持ち主だったラフマニノフは、上でお聴き頂けるように、冒頭部分から、この協奏曲を、よくあるような幾分きらびやかさを孕んだ音で、ではなく、「静かに流れるように」弾いて、平然としている。ルービンシュタインのような名人でも
「ああは出来ない」
と言ったのは、無理もなかったのでした。



ラフマニノフの調べは、ですが、私には常に、フォーレとは逆に、「悲しみ」を思い出させるものばかりです。
家内との思い出を巡っての話も彼の第2交響曲の映像リンクと共に、前に綴ったことがありますが、協奏曲のほうとなると、もっと侘しい気持ちになります。

なんせ他所の土地を一切知らずに育ち、初めて外へ飛び出た私には、見るもの聞くものすべてが・・・新鮮なだけだったらまだ良かったのですが、時間の制約の厳しさにめげていた時期でもあり・・・辛かった。

なんといっても辛かったのが、こんな出来事です。

ある夕方、やっぱりカセットでラフマニノフの協奏曲を流しながら出掛けていた私のクルマのバックミラーに、夕焼けの中でくっきり浮かび上がったきれいな山のシルエットが映ったのでした。
用が済んで事務所に戻って、その話を先輩にしました。
「なにせ、富士山に似たきれいなかたちだったんですよ。なんていう山なんですかね?」
「・・・バカ。富士山、だよ。」



転勤というかたちでの帰郷後のドジ話は、一度綴っているのですけれど、また角度を変えて振り返って、よく反省してみたいと思います。

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