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2009年2月10日 (火)

チャイコフスキー「冬の日の幻想」から:好きな曲023

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・・・是非、お目通し下さい。



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今日、出社して1時間も経たないうちに、娘からメールで
「腹痛で早退する」
とのメールが入り、慌てて自宅へ取って返して、病院に連れて行きました。
診察の結果はウィルス性胃腸炎で、学校は登校禁止にはなるものの、たいした病気ではなくてほっとしました。
ですが、娘を寝かせて、ぽつんと部屋にいると、やはり、気分は
「カカアがいないのは堪えるほど寂しいなあ」
でありました。

その家内と二人で出かけることの出来た数少ない中でももっとも縁のなかったオーケストラのコンサートで聴いたのが、このチャイコフスキーの『冬の日の幻想』でした。惜しくも最近逝去なさったロストロポーヴィチさんが新日本フィルを指揮した演奏でしたが、曲にふさわしい情感豊かな、にもかかわらず静けさをたたえた演奏で、二人して感銘を受けて帰りました。

第3楽章:スケルツォ(7:28)

クラウディオ・アバド/シカゴ交響楽団 SONY SRCR 8814(いつもの通りモノラル化してあります)



チャイコフスキーの作品は高校時代にも何曲か演奏していたはずですが、記憶にありません。おそらく、バレエの定番の組曲からだったとは思います。・・・大学では交響曲に、社会人になってからは他の曲にも縁はありましたが。
『冬の日の幻想』は、他の大学にエキストラに行った時に弾いて、大変魅了されました。
が、そのときの思い出はこの曲自体にではなく、同じ時にプログラムに乗ったディーリアスの『二つの水彩画
』第1曲で、指揮者先生に
「ちょっと見本演奏してくれない?」
と突然言われて面食らったことのほうにあります。
もともと人前で一人で弾くのは得意な方ではなく(今でもそうです)、その頃は増して、今の私をご存じなら信じてもらえないほど内気でしたから、すっかり緊張してしまって「ぶざま」だった、という、そのことしかイメージに残っておらず、その時周りの人がどういう表情をしていたか、弾き終わった後で指揮者先生がどういう反応だったか、は、いっさい記憶にございません。
・・・自意識過剰だった、というべきでしょう。


娘が寝ていて、いま、メインのパソコンは息子に占領されていますので、息子が開き次第、あるいはもう少ししたら有無をいわせずどかせて、この記事をアップするつもりでおります。

昔の様々なことに思いを馳せながら、当面課題にしている「音楽におけるバロックの精神と時代のとの関係」を考える一環として(寂しく)読書していた、ラ・ロフェシコーの『箴言集』(岩波文庫 赤510-1、二宮フサ訳)に併載された「考察」から、いくつか、後々参考になるものをメモとしてのせておきましょう。

・ほんものについて
ほんものである、ということは、それがいかなる人や物の中のほんものでも、他の本物との比較によって影が薄くなることはない。二つの主体がたとえどれほど違うものでも、一方における真正さは他方の真正さを少しも消しはしない。両者のあいだには、公汎であるかないか、華々しいかそうでないかの相違はあり得るとしても、ほんものだということにおいて両者は常に等しく、そもそも真正さが最大のものにおいては最小のものにおける以上に真正だということはないのである。(中略)ある人が幾つもの真正さを持ち、別の人は一つしか持たないこともある。幾つもの真正さを持つ方は、より大きな値打ちがあり、相手が光らない面で光ることができる。しかしそれぞれほんもののところでは、どちらも同じ光輝を放つ。(後略)

・信頼について
率直と信頼とは相通ずるところがあるが、それでも多くの点で違っている。率直は心を開いてありのままの自分を見せることである。それは真実への愛、自己を偽ることへの嫌悪であり、自分の欠点を、正直にそれを打ち明ける殊勝さで埋め合わせ、さらには減じさえしたいという願望である。信頼のほうは、これほどの自由を我々に残してくれない。信頼の掟はもっと窮屈で、より多くの配慮と慎重さを要求するから、われわれはいつでも自由に信頼を使えるとは限らないのである。(後略)

・手本について
よい手本と悪い手本のあいだには大きな違いがあるけれども、見たところ、どちらもほとんど等しくろくでもない結果ばかりもたらしてきたようだ。それどころか、むしろ、ティベリウスやネロの罪悪のほうがわれわれを悪徳から遠ざけ、最高の偉人の立派な手本は、それほど我々を美徳に近づけない、と言えるかもしれない。(中略)美徳は悪徳の国境である。手本はわれわれをしばしば迷わせる道案内であり、われわれのほうもまやかしだらけだから、美徳への道を辿るためよりもその道から遠ざかるためにこの道案内が使われることが少なくないのである。



『箴言集』に、少し戻ってみて・・・

35:おおぜいの人が信心家になりたがっている。しかし誰一人として謙虚になろうとはしない。

・・・ああ、これは、自分だ!

・・・この言葉に、ふと、ある日のイワンさんのブログでのお言葉を思い出させられ、ちょっと傷心にかられた本日の私でした。


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