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2009年1月25日 (日)

千五百番歌合5:判者の価値観(3)御子左家—旧世代から新世代へ

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<過去の定家関係記事>
千載和歌集:123456789
後白河法皇:1234
松浦宮物語:1234
六百番歌合:123
仁和寺宮五十首:123
(空白期):123
正治二年後鳥羽院初度百首:123
千五百番歌合:(今回)


専門歌人たちから、六条家を代表する人物の判をみてみましたが、今回は御子左家の俊成(釈阿)・定家親子の判の例を見てみましょう。

父の俊成は「春三」・「春四」を、息子の定家は「秋四」・「冬一」を担当しています。



俊成の例を、先に見てみましょう。
『六百番歌合』で一手に判を引き受けた際の機知と手腕を、今回の『千五百番歌合』でも発揮しているかどうか・・・こちらでは他の判者とも相対的に「価値観」が比較できるために、彼の和歌眼の真価が問われることになります。

ひとつひとつ見て行くと、彼の万葉集第一主義が垣間見えたりはするのですが、彼に対抗意識を燃やした顕昭の歌については別段万葉集を引き合いに出したりはせず(六百番歌合では顕昭の、俊成からみれば「不当な」万葉歌の参照については盛んに疑問を呈していました)、『千五百番歌合』の判に当たっては無用なカドを立てぬように配慮したのではないかと推測されます。しかも、顕昭の歌自体がこの歌合では『六百番』のときほどに奇抜なものはないからでしょう、その歌に対しての判は概ね落ち着き払っています。


百九十五番
   左 勝                     顕  昭
おもふことなくて見るべき花ざかり心みたるる春の山風
   右                       家隆朝臣
散なれし梢はつらし山ざくら春しりそむる花を尋ん

(判辞)右歌新樹をたづねんといへる心おかしくも侍を左歌の心よろしく侍と申べくや侍らん

・・・きわめてあっさりしたものです。六条家的な判辞にさえ見えます。ただし、クセモノなのがこの判辞の前半で、言葉には出していないのですけれど、俊成は新世代である家隆の歌をも良く評価している。ただ、推し量るしかないのですが、新世代の詠みぶりの、ある意味で俊成たちの世代に比べて「起伏の激しさ」に対しては、まだ彼の心のどこかに抵抗感がある。それが、ここでは顕昭の穏健な歌の方を勝ちにした動機になったのではないかと感じるのです。
俊成は、全般に、それでも新風の女流、小侍従や宮内卿、越前には、掛け値無しの高い評価を与えていたりします。これは、俊成よりもはるかに先輩格である女流にも、小野小町や和泉式部のような、心の波立ちの激しい歌が存在し、しかも高く評価され続けてきていたことも影響しているのかもしれません。・・・同じ女流でも、讃岐や丹後のように同世代に属する人たちの穏やかな詠みぶりには、平坦な判辞しか与えていないように思います。・・・すみませんが、このあたりは私の主観に過ぎませんので、むしろ旧世代(同世代)に属する方を勝ちにした女流同士の歌の次の番えの例を見ておいて下さい。姿さえ崩れていなければ、やはり俊成は「新風の起伏」に魅かれつつあって、老境に至ってなお、かならずしも「型通り」が良いとは思っていなかったと感じられる節があり、興味を引かれます。宮内卿の歌が「秋」に飛ぶ・・・古例がないわけではないのですけれども・・・突飛さが、丹後の安定した歌と比較されたところに、どうしても丹後を勝としなければならなかった理由がありそうです。

二百四十七番
   左                       宮内卿
をしこめておぼろ月よの春ならば霞のほかを秋となかめし
   右 勝                     丹 後
春風にしられぬ花やのこるらん猶雲かかるをはつせ乃山

(判辞)左歌おぼろ月よの春ならばなどいへる心こもりてはみえ侍を
    右歌猶雲かかるをはつせの山すがたよろしくも侍かな以右可為勝

これらの判辞はたまたま短く、また、前回見た季経の判辞と似ているように見えなくもないのですが、歌の姿を優先する点では確かに違いはないものの、歌合の作法を破ってでも自分自身の歌を勝ちにした次の例には、俊成の、作歌技法に対する厳しく冷静な目が鋭く光っています。

二百四十五番
   左                       公経卿
つぶつぶと軒の玉水数そひてしのぶにくもる春雨の空
   右 勝                     釈 阿
猶さそへ位の山のよぶこ鳥むかしの跡をたえぬほどおば

(判辞)左歌末の句などすがたもおかしくこそ侍を はじめの句につぶつぶといへるや
    いかにぞ聞え侍れど いはばや物を心行までとうたふ郢曲の歌も侍ればおかし
    くも侍べし
    右歌は老法師乃述懐に侍けり ただ左のまさると侍らまほしく侍を このよぶ
    こ鳥はいささか人の憐憫もこひねがふべく侍を たまたま判者の人数にまじは
    りて侍ればこればかりは得分にや申うくべくはべらん

露骨な判辞ですが、本来的な意味でなぜ公経の歌よりも自分の歌をよしとしたのか・・・いや、俊成自身の歌でなくてもよかったのですが、むしろ俊成自身の歌であることを幸いとして焦点をずらし、ある意味で「無難な」判辞を「わざと」仕立て上げたのです・・・は「こんな郢曲でもあるというのでしたら、公経さんの歌でもよろしゅうみえることにならはるのやすやろな」という強烈な皮肉に籠められているのでして、じつのところは、「歌」は「郢曲(今様を含む)」に比べて高雅であるべきなのに、なんと不用心な、という非難を浴びせかけているのです。俊成の面目躍如、といったところでしょう。



さて、息子の定家の方は、どうでしょう?

彼の方は、父の毅然さに比べると、この時点ではまだ揺れ動きがあるように見えます。父と共通する目線を感じるもの(典型例は八百七十番)、鮮烈な感化を受けたばかりの後鳥羽と共通する視点をもつもの(同じく典型例は八百八十四番)などもあります。
ただ、六条家だけでなく、父にもあった「トータルとしての歌の姿が整っていなければならない」という価値観は、定家は既に捨てつつあります。いくつもそのような例を上げることは可能かと思いますが、「冬一」の中にある次の例を見て下さい。・・・明らかに右歌が劣っている例なので、目立たないのですが・・・

八百七十二番
   左 勝                  女房(=後鳥羽)
もみぢするほどは時雨のむら雲に空行月やめぐりあふらん
   右                    寂蓮
軒ちかき峯の嵐も心せよ木のはならではくもるやとかは

(判辞)右歌心せよと侍るこひねがはれずや侍らん
    もみぢするほどは時雨のなど姿詞まぎれずおかしくきこえ侍れば空行月の
    ひかりもなを勝たるにや侍らん

「もみぢなど」云々以下は、「歌全体」としては破調することがあっても、それが詩情を充分に呼び起こすのであれば、それは素晴らしいことなのだ、と、暗に主張しているのです。
落ち着いて後鳥羽上皇の歌をよく読めば分かることですが、もくもくと分厚い雨雲が月の光と両立する、という景色は、実際に存在するでしょうか?・・・詩的イメージでなければ、これは成立しないのです。
父、俊成なら、「あまりよいとは言えない<持>」と判定してもおかしくなかったのではないでしょうか?



簡単ですが、六条家と御子左家の歌を見る態度の違い、また、同じ家でも、培われて来た伝統の上で可能な限り新風を認めようと努力する父、努力を要せずあっさりと新風を当然のことと受け入れる息子、の差異をご覧頂きました。
『千五百番歌合』については、こんなところまででお茶を濁しておきます。

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