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2009年1月18日 (日)

藤原定家:千五百番歌合1)作者と新古今・新勅撰への入集数

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http://savedm.web.fc2.com/
・・・是非、お目通し下さい。



大宮光陵高校管弦楽部がSONYのウォークマン"Play You"のCMに12月13日から出演しています!

<過去の定家関係記事>
千載和歌集:123456789
後白河法皇:1234
松浦宮物語:1234
六百番歌合:123
仁和寺宮五十首:123
(空白期):123
正治二年後鳥羽院初度百首:123
千五百番歌合:

日曜日は読者数も減りますので、この機会を狙っておりました。勉強不足が(いつものことですが、余計に)バレバレになるから。

新ブログに移行して初めて、「藤原定家」関係記事を綴ります。
あとでインデックスを作るつもりですが、過去記事はこちら(色の変わっているところ)をクリックしてご覧下さい。



「定家」を採り上げたきっかけは、愛読していた「定家ファンサイト」がある日消えてしまっていたことなのですが、彼が仕事とした「和歌」は「歌」の字がついている事から分かりますように、音楽と無縁、というわけではありません。いや、むしろ、古代ギリシャ的な、「音楽と言葉が一体である状態」を現代にまで伝えている貴重な存在で、現代のものがどこまで古態を保っているかは分かりませんが、まちがいなく、旋律をもって「歌われる」ものでもあります。
その歌われ方についても、後日ご紹介する用意をしています。
かつ、「定家」と対比して見ていくべき「後鳥羽上皇」が、古代の終焉期の貴重な器楽奏者であったという事実もあります。こちらも、ふさわしい記事と共に、この上皇が奏でていたであろう音楽をご紹介出来ればいいな、と思っております。

ともあれ、「藤原定家」については、旧ブログでの最後の記事から、綴らずじまいであること、なんと一年4ヶ月もたってしまいました。
が、関心が失せたわけでもなく、継続を断念したわけでもありません。
ところが、前の記事に引き続き話題とすべき『千五百番歌合』で、にっちもさっちも行かなくなりました。
先の『六百番歌合』と歌の集め方・判の仕方は共通点がありますけれど、『千五百番歌合』は歌の数だけでも1.5倍。これだけならなにも時間を食う理由にはなりませんが、最も大きな差は、判者が10名となっていて、それぞれに個性のある判辞を述べているところです。ですので、立ち入って読もうとすると、素人である私は混乱せざるを得ませんでした。(『六百番歌合』の判者は定家の父、俊成ひとりだけでしたから、そういう悩みを持つ必要はありませんでした。)
アプローチの方法を変えなければならない、と思いつつ、その方法も考えあぐねておりました。
ですが、本ブログを愛読して下さるnnさんのおひとこと(「定家の記事もやってねー」)に、「このまんま行き詰まっていてはダメだ」と、背中を押されました。

規模と内容面から、これまでのように一気に、とは行きません。数回に分けて、日を開けて綴ることになると思います。

今回は、まず、読み進めるにあたっての基礎データを用意することを目的とし、その簡単なまとめで終わらせておきます。
従って、私にとっての『千五百番歌合』との「勝負」は次回以降、ということになります。

とはいえ、これだけでも、お好きな方にはわりあい面白い材料をご提供できるかと思います。



『千五百番歌合』が企画された動機、その成立までの展開については、1201年(建仁元年)であること以外については、次回に譲ります。『明月記』その他の資料・論文についても、次回以降の参照とします。

この歌合では、左右各15名、計30名が、例によって百首歌を提出させられ、その後に編纂されて巻ごとに10名の判者に委ねられたもの、と思われますが、判者について見て行く前に、歌を寄せた人々がどんな面々だったか、かつ、その人たちの歌が、この歌合の主目的であった後鳥羽指揮下で編纂されることになる「新古今和歌集」、及び後鳥羽が承久の乱で配流となった後に、定家が一手に撰を引き受けることになった「新勅撰和歌集」にどれだけ採録されたか、を巻ごとに見ておきましょう。
本来はそれぞれの人の魅力的な経歴を述べるべきところですが、まずはこれからこの歌合を<観察>するための基本とスべき上のデータを記すところから始めなければなりません。これだけでも長くなりますので、今回はデータ提示に留めさせて頂きます。
使用したテキストは、古典文庫『千五百番歌合』全4巻です(古書でないと入手できません)。

略称を以下のとおりと決めておきます。略称の後に(六)とある場合は六条家関係者、(子)とある場合は御子左家関係者。(承+)と記した人物は、承久の乱推進者、(承ー)は承久の乱反対者です。・・・誤りがありましたらご容赦下さい。なお調べます。
<左方>
女房(後鳥羽)=上皇(承+。-->判者の項参照)
左大臣正二位藤原朝臣=良経(-->判者の項参照)
前権僧正慈円=慈円(承ー-->判者の項参照)
従二位行権中納言臣藤原朝臣公継=公継(承ー)
参議正三位行左近衛権中将兼越前権守藤原朝臣公経=公経(承ー)
正三位行大皇太后宮大夫藤原朝臣季能=季能(1211没)
宮内卿=宮内(1205頃夭逝)
讃岐=讃岐(生没年未詳)
小侍従=小侍(生没年未詳)
散位正四位下行臣藤原朝臣隆信=隆信(子、1142-1205)
散位正四位下行臣藤原朝臣有家=有家(六、1155-1216)
散位従四位上臣藤原朝臣保季=保季(六、1171-1204以後)
正五位臣左近衛権小将藤原朝臣良平=良平(良経弟。1184-1240) ※「小」はテキストのまま。
従五位下左兵衛佐臣源朝臣具親=具親(師光男、宮内卿の兄、生没年不詳)
僧顕昭=顕昭(六-->判者の項参照)

<右方>
三宮=三宮(後鳥羽兄の惟明親王。1179-1221)
内大臣正二位兼行右近衛大将弟傅臣源朝臣=通親(-->判者の項参照)
正二位権大納言藤原朝臣忠良=忠良(六-->判者の項参照)
従二位権中納言藤原朝臣兼宗=兼宗(1242没)
従三位行右近衛権中将臣源朝臣通光=通光(みちてる、通親男。1187-1248)
沙源釈阿=俊成(子-->判者の項参照)
俊成卿女=俊女(子、1171?-1252以後)
丹後=丹後(?-1207?)
越前=越前(?-1249以後)
正四位下行左近衛権少将兼安芸権介臣藤原朝臣定家=定家(子-->判者の項参照)
正四位下行左近衛中将臣源朝臣通具=通具(通親男。1171-1227)
従四位下行上総介臣藤原朝臣家隆=家隆(子)
従五位上守左近衛権少将臣藤原朝臣雅経=雅経(1120、乱勃発前の3月に死去)
沙弥寂蓮=寂蓮(子、1139?-1202)
従五位下行右馬助臣源朝臣家長=家長(生年未詳-1234)



巻は二十に別れており、二巻ずつをひとりの判者が担当しています。それぞれに特徴のある判がなされていて、この歌合に触れたエッセイ類は漏れなくその面白さに注目しているのですが、素人としてこの歌合に何を読み取るか、を考えるとき、それは判者の性格・視点という個々の問題であり、突っ込みきるゆとりはないと思われますので、今回採り上げるにあたっては、そこは素通りします。
後の便宜のために、判担当者別に番号を振っておきます。

(1)春一・二〜判者:忠良=(六、1164-1225)冷静な目を感じる判辞
(2)春三・四〜判者:俊成=(子、1114-1204)六百番歌合を思わせる理詰めの判辞
(3)夏一・二〜判者:通親=(1149-1202)死去により判は残らず。
(4)夏三・秋一〜判者:良経=(1169-1206)漢文の七言二句で判辞
(5)秋二・三〜判者:後鳥羽=(1180-1239)和歌(折句)の風体で判辞
(6)秋四・冬一〜判者:定家=(子、1162-1241)父・俊成に似た傾向の判辞、ときに漢文(散文)
(7)冬二・三〜判者:季経=(六、1131-1221)主情的判辞。作者には入っていない。
(8)祝・恋一〜判者:師光=(六)村上源氏。生没年未詳。1181頃出家。俊恵への傾倒が感じられる判辞。作者には入っていない。
(9)恋二・三〜判者:顕昭(六)=1130?-1209?。衒学的な判辞
(10)雑一・二〜判者:慈円=1155-1225。和歌の風体で判辞、ただし後鳥羽よりも生真面目さが窺える

以上を念頭において、それぞれの歌集への入集数を人別に見ていきましょう。・・・ただし、数は『千五百番歌合』テキストの歌の脇に「どの歌集に収められたか」が傍注として記載されているものを拾い出しました。かつ、『新古今和歌集』との対比をするいとまがありませんでした。
目崎徳衞氏によると、『千五百番歌合』から『新古今和歌集』にとられた歌は90首あまり、とのことですから、後20首程度の落ちがあるのですが、その点は素人ゆえの時間のなさに免じてご容赦下さい。



まず、『新古今』への入集歌数。「勝・負・持」は『歌合』中での判者の下した勝敗です。

   1   2   3   4   5   6   7   8   9   10    計
上皇                                         (0)
良経             1負                  4持勝 1勝  (6)
慈円                 1勝                      (1)
公継                     1勝                  (1)
公経     1負      1持  1勝              2負勝     (5)
季能     1負                  1勝          1勝  (3)
宮内             1勝                          (1)
讃岐                         1勝  1勝      1勝  (3)
小侍                                         (0)
隆信                                         (0)
有家 1勝  1持                          1勝  1勝  (4)
保季                                         (0)
良平     1勝      1勝                          (2)
具親             1勝      3勝持負                (4)
顕昭             1勝                          (1)
三宮                                         (0)
通親                                         (0)
忠良             1持              1負          (2)
兼宗                     1勝                  (1)
通光                     1勝                  (1)
俊成             1勝  2勝持 1勝  1勝      1負      (6)
俊女 2勝                  1持  1負          1負  (5)
丹後                                         (0)
越前         1                               (1)
定家     1持      1勝  1勝          1勝  1負  1持  (6)
通具 1勝  1勝      1持  1勝  1負  1持      1勝  1持  (8)
家隆                     1勝      1負  1持  1負  (4)
雅経                                         (0)
寂蓮     2持勝 1                               (3)
家長                                         (0)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
合計 4   8   2   10  6    10  5   4   11  8   68



ついで、『新勅撰』への入集歌数。

   1   2   3   4   5   6   7   8   9   10    計
上皇                                         (0)
良経                                         (0)
慈円                                         (0)
公継                                         (0)
公経                                         (0)
季能                                         (0)
宮内                                         (0)
讃岐 1勝  1勝                      2負          (3)
小侍                                         (0)
隆信                                         (0)
有家                     1勝
保季                                         (0)
良平                                         (0)
具親                                         (0)
顕昭                                         (0)
三宮                                         (0)
通親                                     1勝  (1)
忠良                                         (0)
兼宗                                         (0)
通光                                         (0)
俊成                         1持  1勝          (2)
俊女                             1勝          (1)
丹後             1負          1勝              (2)
越前                                         (0)
定家                                         (0)
通具                                         (0)
家隆     1勝          1負  1勝                  (3)
雅経                                         (0)
寂蓮                                         (0)
家長                                         (0)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
合計 1   2   0   1   1   2   2   4   0   1   14



まず、全体的に、この歌合に関与した歌人・判者で、後年の「承久の乱」に積極的に関わったのは後鳥羽上皇独りであるところに注目しておきましょう。王朝文化の最後の灯を保とうとしたと見なしてもいいこの面々は、歌合の時点だけでなく、承久三年に至っても、台頭して来た武家との衝突は望んでいなかったと思われます。当然、この歌合の時点での後鳥羽もまた、この歌合での人選を根拠として、武家に対抗するなどということは構想だにしていなかったと断言してよいと思われます。

判者の価値観と歌集への撰入の関係も、ある傾向が見られる気がします。

定家が個人で撰を行なった『新勅撰和歌集』について先に述べますと、数は少ないものの、判者3(判をするまえに逝去した通親)、9(父と激しく対立していた顕昭)以外の関与した巻から歌を選んでいます。選ぶにあたっては承久の乱後の武家と公家の関係に配慮していたことが明らかになっていますが、通親を除いた皇室と摂関家の作歌が入っていないところにそれが窺えるものの、六条家の作歌は採っていないところには、もっと別の意図・・・ライヴァルの黙殺と自陣営の勢力強化の狙いも見え隠れしているのではないでしょうか? 良経や後鳥羽、六条家関係者の師光が「負」と判じた丹後、家隆、讃岐の歌を採用していることにも同じ精神の姿勢を少し感じます。ただし、本当にそうなのかどうかは、『新勅撰和歌集』そのものを見てみなければ分かりません。断言はしばらくご容赦下さい。

『新古今和歌集』は後鳥羽上皇の設けた「歌所」の主要メンバー6人に撰ばせたとは言うものの、最終的に後鳥羽上皇の意志が最終的にはかなり強く働いて、撰歌の入替が行なわれていることが明らかになっています。詳細は、ですから『新古今』の撰歌の入れ替わりを辿らなければ、やはり断言できません。ですが、傾向として明らかなことは、俊成、慈円、顕昭といったベテラン陣の判(勝)にはほぼ半分しか従っていない一方で、良経、定家といった若手の判には高い割合で従っているということで、ここに「歌の詠みぶり」の変遷、新風を重んじた後鳥羽の鮮やかに切り替えられた視線を感じ取れます。

具体的に『千五百番歌合』が企画された経緯、歌の集まった過程、その中での定家や後鳥羽の心理については、記事をあらためて見ていきたいと思います。


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