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2009年1月29日 (木)

曲解音楽史53)舞曲とディヴェルティスマンのフランス

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http://savedm.web.fc2.com/
・・・是非、お目通し下さい。



大宮光陵高校管弦楽部がSONYのウォークマン"Play You"のCMに12月13日から出演しています!

前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽  5)トランス 6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ  14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア  16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
    18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
    20)日本固有(?)の古歌 21)グレゴリオ聖歌
    22)平曲と能楽:付)発声法について 23)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌
    24)西ヨーロッパ中世 25)ジョングルール 26)十字軍時代前後のイスラーム
    27)ペルシア伝統音楽〜中世からの遺伝子 28)インド中世 29)宋・元時代の「中国」
    30)日本の「オラショ」 31)ヴェトナム伝統音楽 32)インドネシア 33)東アフリカ
    34)イスラムと西欧の融合 35)ルネサンス? 36)フランドル楽派 37)16世紀スペイン
    38)16世紀中南米 39)15-16世紀イタリア 40)英仏戦争の頃 41)15-16世紀中欧
    42)オスマントルコ 43)アフリカ 44)明朝時代の「中国」 45)朝鮮中世
    46)戦国期日本 47)17世紀イタリア1 48)17世紀イタリア2 49)17世紀ドイツ
    50)17世紀イングランド 51)17世紀ラテンアメリカ・フィリピン 52)バロック概説



少し古くなりますが、フリードリヒ・ブルーメの西洋音楽史2「バロックの音楽」(白水社)にざっと目を通す・・・とくにその第1章を見れば分かる通り、音楽における「バロック」という概念の導入は、まず17世紀末から18世紀半ばまでのイタリアとドイツ、特に後者に対してほぼ無意識的に適用されたことにはじまるようでして、現在「バロック音楽」と呼ばれているものよりはその対象ははるかに狭く、ブルーメ自身が言及しているように、
「こんにちの実際の音楽活動において・・・まったく圧倒的に『後期バロック』の意味に解されている・・・それにたいしてその前の各段階が多かれ少なかれ『耳慣れぬ響き』と感じられる」(82頁)
のでした。そうした状況は、いわゆる古楽奏法のコンサート並びに録音が急増した現在に至って、緩和されるどころか、かえって助長されていく傾向が見られ、極端な場合には、古楽奏法普及以前のバロック演奏はすべてロマン派やモダニズムのフィルターを通した「にせもの」として拒絶される方向にまで進みつつあります。(管楽器奏者には両刀使いの出来る人がいらっしゃいますけれど。)
それはともかくとして、ブルーメの言う「耳慣れぬ響き」がその後の音楽をかたちづくる芯となった例は、ブルーメが観察した従前の規定(ブルーメ自身の視野には入っては来ているのですが)からははみ出す、フランスの作曲家たちの手になるものが、実はとくにドイツに結構多い、ということには着目しておかなければなりません。

フランスの音楽史の叙述自体、「バロック」という範疇をこの時期の音楽にあてはめたのはさらにずっとあとのことと思われますが、現在ではいちおう受容しているようで、在フランスの日本人のご著書のタイトルにも『バロック音楽はなぜ癒すのか』(竹下節子著 音楽之友社 2003)とあります。・・・しかも、この本は日本人にとって、フランスの王制期の舞踊・演技がどのようになされたのかを具体的に知らしめてくれる好著なのです。

フランス音楽の特徴はあとで具体的に聴いて頂いたりしようかと思いますが、実際にJ.S.バッハなども筆写したり応用している作曲家は少なくはなく、ニコラ・ド・ガリニイ(1672-1703)のオルガン曲を写譜したこと、アンドレ・レゾーン(1650?-1719)の主題をパッサカリアに転用していることなどが知られているそうです(皆川達夫『バロック音楽』旧版149頁。ここで言われているパッサカリアはBWV582を指すものと思われます。J.S.バッハのオルガン曲へのフランスやイタリア、ドイツ圏の音楽家たちからの影響については、Peter Williams "The Organ Music of J.S.Bach" Cambridge Univercity Press 1980, 2003 に詳しく述べられており、作品ごとの分析の中にバッハの参照したであろう原典への言及もあります)。



しかし、なんといっても、ドイツ人に大きな影響を残したのは、ジャン・パディスト・リュリ(1632-87)でしょう。リュリはイタリア人ですが、その後のフランス宮廷音楽の方向を決定づけた大きな存在です。ルイ14世の元で王立音楽アカデミーを設立したロベール・カンベール(1628?-77)が失敗を起こすと彼を追い落として権力を握ったり、と、人間性は現代人の目から見れば汚いところがあったりしますけれど、どんな業界にも、いつの時代にもあることで、「きれいな作品」を作るから「心や行いもきれい」ではつまりません。
リュリは、まだあまりオペラを観る習慣のなかったフランス宮廷で1662年にルイ14世の結婚を記念して催されたイタリアの作品<恋するエルコーレ>(カヴァッリ作)が上演された際、幕間にバレ音楽(舞曲)を作曲して、オペラ本編より好評を得ました。以後、1672年に王立音楽アカデミーを牛耳るまで着々と国王の寵愛をモノにしていくのと併行し、有名な劇作家モリエールと協力してその擬曲に音楽を付けたりしていました。
「緩-急-緩」という部分から成る「フランス風序曲 Ourverture」は、彼の発案になるものと言ってよいでしょう。そして、この「フランス風序曲」は、リュリの死後も多くの作曲家によって、とくに最後の「緩」の部分がいっそう重厚になったものとして、主にドイツ出身の作曲家によって作り続けられることになります。・・・ただ、それは19世紀後半的な価値観による一形式と見なしてしまっては成らないようです。このことはドイツのバロック音楽について綴る際に述べたいと思います。
Ourvertureは、リュリの生前にはどうだったか分かりませんが、17世紀半ばまでには、ドイツで、数々の種類の舞曲を組み合わせたSuite(こんにち「組曲」と訳される語)と合体した形をとっていきます(こんにち耳にできる代表例はバッハの一連の「管弦楽組曲」でしょう)。

・リュリがモリエールの『町人貴族』に付けた音楽から、元祖フランス風序曲をお聴き頂きましょう。

Jordi Savall, Le Concert des Nations (ALIAVOX AV 9807)

舞曲が組み合わされたものを宮廷用に演奏する場合には、リュリはそれをDivertissementと呼びました。これはバロック期よりも古典派と呼ばれる時代の、主としてモーツァルトの作品によって知られる「ディヴェルティメント」の先駆けとなっています。・・・ただ、(信頼できる原典を確認しなければ正確には言えませんが)Divertissementは標題として用いられているものの、Suiteの語と併記されていて、Suiteとの差は、音楽またはその聴き手がが高雅であるか否か、という雰囲気的なものであったのかもしれません。



リュリは音楽界での権力を手中にするとモリエールと袂を分かちましたが、怒ったモリエールが新しい相方として選んだのは、シャルパンティエ(マルカントアヌ、1634?-1704)でした。
シャルパンティエは病気がちだったり、上のような経緯でやっと組んだモリエールがまもなく亡くなったり、と、音楽家としての人生は不遇でしたが、ラランド(1657-1726)やクレランボー(1676-1749、オルガン曲にも貢献)の先輩として、フランスにも荘厳な宗教音楽が存在し得ることを証明する作品を残しました。

・In nativitatem domini canticum - Praeludium - Usquequo avertis faciem tuam

William Christe, Les Arts Florissants (Warner Classics ERATO 8573-85020-2)

宗教曲の分野でも業績を残しましたが、伯父のルイ(1626-61)と共にフランスのクラヴサン音楽に大きな足跡を残したのは、フランソワ・クープラン(1668-1733)でした。今日の掲載曲の中では最も長いのですが、彼のウィットを存分に感じさせてくれる作品をお聴き頂きましょう。

・フランスのフォリア

Rovert Veyron-Lacroix (ERATO WPCS-4616)



この他、リュリに始まるフランス宮廷音楽の衣鉢を継いだ作曲家にはカンプラ(1660-1744)、ラモー(1683-1764)がいます。思想家として名を上げたジャン・ジャック・ルソーがラモーと激しく諍ったことはルソーの『告白』(岩波文庫ですと3巻に収められています)に詳しく載っており、その経緯は「バロック音楽」時代よりも後の精神文化へと繋がっていきますので、あらためてとりあげることとします。

まだまだたくさんの作曲家の名前が、当時のフランス音楽について記した本には現れますし、CDにもあったりしますが、忘れられない作曲家としては、ギター曲のヴィゼ(1650?-1725?)、ヴィオール音楽のマラン・マレ(1656-1728)、ヴァイオリンのルクレール(1697-1764)などがいます。
なかでもルクレールは、ある朝何者かに刺殺されているのを発見された(犯人不明)という不遇な最期を遂げており、彼の心優しいソナタを耳にすると、このような音楽を残した人が不幸な死に至ることもあるのだ、という切々たる思いが胸に涌いて来ます。・・・余談でした。

21zas5wjnql_sl500_aa140_ルイ14世とリュリの関係を描いた映画に
『王は踊る』(2000年):DVD  ヘラルド ASBY-5131)
があります。

フランスの、いわゆるバロック・バレ(舞踏)や演技法について理解させてくれる本を、2つほど紹介して、この項を終えます。・・・次に触れるべきイタリアについては、もう少し勉強したいので、少し間が空きます。(オペラ主体のこの時期のイタリア音楽について、私はオペラではなく、器楽しか耳にしていません! これではイタリアのお話が出来ませんね。)

竹下節子『バロック音楽はなぜ癒すのか』(音楽之友社)
ネット上のお知り合いに勧められて読みましたが、「ヒーリング系音楽」のことでも書いてあるのかと思ったら、全く違いました。前述の通り、ルイ14世・15世当時に存在した舞踏や演技の決まった様式が、ヨーガや太極拳のように、如何に肉体の自然さに沿ったものを目指していたかを説明してくれる内容でした。デカルトの『情念論』も、その下敷きとしてあるように思われました。ですから、併せて『情念論』もお読み頂くとよろしいかと思います。この書の訳は岩波文庫や中公クラシックスで容易に入手することができます。

浜中康子『栄華のバロック・ダンス』(音楽之友社、2001)
竹下著では紹介に留まっている当時の舞踏譜が、音楽とどのように併せて読むべきか、を知る上で有益です。


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コメント

ディヴェルティスマンとは、フランス・バロック音楽でのルイ14世やその取り巻きの貴族のための
気晴らし、楽しみと言ったものだと考えます。リュリが若いルイを楽しませるためのコメディ・バレそのものが、ルイ自身
のディヴェルティスマンでもあります。また、トラジディ・リリクやコメディ・バレの舞曲での舞踊の一部分やレシ風のアリアなどの
演奏の一部を鑑賞するのも彼らのディヴェルティスマンともいえるでしょう。
リュリのそうしたオペラの台本には、舞曲の場にディヴェルティスマンと書かれてあったり、さまざまな場合があります。
 ご存知のようにその当時の序曲、一般にOuvertureと言う言葉で、管弦楽組曲の意味でもあります。

投稿: さとちゃん | 2009年2月 1日 (日) 14時48分

さとちゃんさま

ご示唆、ありがとうございました。
リュリ及び後継のフランス圏作曲家についてはご示唆の通りだと思いますし、改めて勉強になりました。心から御礼申し上げます。

イタリアでもこの手の曲種があるかどうかは私は把握していないのですが、どうなのでしょうか?

ドイツになると、フランスからの影響でDivertissementが数多く作られていくことになります。・・・本文は、そちらをにらんでしるしたつもりでしたので、あまり断言的にしていませんが、フランスではこうだ、と確信も持っていたわけではないので、助かりました。

ドイツで受容されたDivertissementについては、1740年頃のシャイベの分類には現れていないようなのですが(とかく分類好きだったドイツではプレトリウス以降曲種の分類を積極的に記した書物が増えていったようです)、この時期の創作には作品タイトルとして結構使われるようになっていることがわかっています。そのくせ、ソナタやシンフォニア(シンフォニー)の性格づけには懸命だったドイツ人も、Divertissementについてはほとんど述べていません(私の視野に入った限りです)。
ただ、リュリ・モリエールのペアのコメディ・バレのタイトルとされた"Divertissment"が、導入当初から、たしかに「貴族の娯楽をあらわす上位概念」と捉えられていたことは明らかになっています(佐藤望『ドイツ・バロック器楽論』慶応義塾大学出版会2005、184頁)。同書では18世紀当時までの「形式用語的なもの」はその用語の「定義的なもの」ではなく、「描写的なもの」であったと結論づけており(これは私は妥当だと受け止めております)、DIvertissementはドイツ圏でDivertimentoに変貌していく際に、この「描写的」な意図から特に付されたタイトル、ということにしか、組曲的な作品(Suite, Serenadeなど)との差異がないままに終わったのかもしれません。・・・そうはいっても、少なくともモーツァルト作品を観察する限りでは、何らかの基準は作曲かなりに持っていたとの感触もあり、でいながら適切な裏付けも見いだせずにおり、迷っていると言うのが正直なところです。

位置づけとしてはフランスとは逆の推測なのですが、下記などもご拝読の上、更なるアドヴァイスをいただけましたら幸いに存じます。

http://ken-hongou.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/1776_c8e5.html

投稿: ken | 2009年2月 1日 (日) 19時03分

ご存知のように、序曲を示す、このことがドイツでは、組曲となっていく過程というものは、当然リュリのフランス風序曲の発案で、組曲という物の萌芽は、イタリアのフレスコヴァバルディの組曲から発生しています。その後、フランスとイタリアの二大バロック音楽から、ドイツがその同化の末、ドイツのバッハやテレマンなどの管弦楽組曲が誕生したと思います。実際に管弦楽組曲は、フランス風序曲を頭に、主にアルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグという舞曲で、成り立っていますが、バッハの管弦楽組曲を見るまでもなく、舞曲として、フォルラーヌという名前の舞曲があっても、それはバッハ自身の名前の独自な物で、基本的な舞曲の拍子などを備えていても、踊ることとは、リュリの時代では、幕間の踊りとしてあっても、バッハでは、踊る要素はなく、そのぐらいの捉え方をしたほうがいいともいえます。すべての、管弦楽組曲が舞曲が、その作曲家の創作ともいえないでしょうか。
 もうすでに、中期バロックのコレッリの合奏協奏曲でさえ、舞曲の逸脱さは見えています。作品6の8までは、教会コンチェルトのスタイルで、緩急緩急を繰り返す物が基本ですが、作品6の9番以降は、フランスの序曲にアレグロがあったり、舞曲も例えば、クーラントは、確か遅い舞曲なのに、早い指定がありますので、もう舞曲の名を借りた作曲家の創作が多いことに気づかされます。
 とにかく、ご存知のように、F.クープランが、名前を偽って、イタリアの音楽であった、トリオ・ソナタを発表したことのように、フランスバロック音楽とイタリアバロック音楽はある意味で敵対しつつ、同化していました。その、イタリアのヴィヴァルディの楽譜にとり付かれたのが,大バッハであり、コレッリの影響を受けたのが、ヘンデルでしょう。協奏曲や、合奏協奏曲の分野では。
 私は西洋音楽史は、ひとつの形式が、定義そのものとなってはいないと思うのです。
 モーツァルトのディヴェルトティメントが、こういう定義という厳密に言えるものなどないのではと、過渡期には、さまざまな作品に、そうした意味そのものの創作なのではないかと思います。
 結局、コレッリのころには、もうすでに合奏協奏曲は出来上がった普通の認知された作品であって、誰が創始ともいえないでしょう。
 1988年に東京の夏音楽祭で、ラモーのゼフィールで、フランス・のその当時の舞踊を見たのが、最初でした。大変に趣のあるものでした。
 フランスバロックのリュリの簡素な中にも、イタリア人でありながら、フランス風の音楽とイタリアの華やか音楽として、是非とも感じ取る事ができるならば、そのお国振りがわかり、本で読むことも大事ですが、音楽を聴くとその違いが分かると思います。

投稿: さとちゃん | 2009年5月11日 (月) 04時04分

さとちゃんさま

重ね重ねありがとうございます。

ただ、どこか、お考えと私の意図とのあいだに行き違いがあるようです。
勘違いでしたらご容赦下さいね。

まず、私は別段文献第一の立場ではありません。それは、他の大多数のエントリーをお読み頂ければお分かり頂けるかと存じます。
第二に、では何故、歴史などのエントリーでは書物を引き合いに出すか、ということにつきましては、本来、昔の人の声がそのまま聞けるのでしたら必要ないことですが、これは物理的に不可能ですから、次善の策として書物を用いるということです。何故なら、
・音楽そのものの美しさに酔いしれればそれでいい、ということは間違いなく最優先しています。
・しかしながら、私はヨーロピアンクラシックの演奏もしますが、それだけが音楽だとは思っていませんから、多様な世界に接したい気持ちがあります。
・そうして眺めて行くと、どんな国の音楽にも・・・当然日本の音楽にも・・・さまざまな「様式」があり、聞くだけの人はともかく、演ずる人たちはこの「様式」を非常に大切にしていることが分かります。・・・さとちゃんさまに失礼なことを申し上げる意図はありませんが、少なくとも、綴って下さったことにはこの「様式」と「形式」の混同が見られます。
分かりにくいかも知れませんが、一つの例え話をさせて頂きます。

日本で序曲とよばれるようになってしまったものは、ほんの100年前までは、ヨーロッパで曲を作る人の意識の中では「シンフォニア」というものと「オーヴァチュア」というもののあいだで、いまの私たちには忘れられた何らかの基準に基づく明確な「線引き」がありました。・・・それを、感覚的に「聞いて美しければいい、境界が曖昧なのは当然だ」と受け止めて良しとするのは、はなはだ二十世紀的な、伝統と縁を切ることを良しとした物質文明的なものの見方です。

まず、本記事が単体としてしかお捉え頂けていないのではないか、ということに、非常に危惧の念を抱いております。

各論を述べても堂々巡りになりますので、これでもなお必要をお感じになるようでしたらコメントを頂ければ嬉しく存じます。

ここで、私が何を目標としていて、それ故に何をしりたいのか、ということについて、まずご理解を頂ければと存じます。

とりあえず、不躾な文面で恐縮ですが、土俵を揃えなければ行けませんので。

可能でしたら仕切り直しませんか?

投稿: ken | 2009年5月11日 (月) 21時57分

こんにちは。KENさんでよろしいのでしょうか。

私自身勘違いしていたようで、別に論争を挑もうとしたわけではありません。
お気を悪くされたら、ごめんなさい。
 
このページだけでなくほかの記事を読み、音楽と歴史の学術的なものや、楽譜的アプローチもされ、学術論文等も研究されています。

私は、高校生の頃から、バロック音楽に興味があり、ブルーメやグラウトやアーノンクールやダートなどの本も読みました。

これから、少しづつ、記事を読ませていただきます。
ノリントンに対する、記事はまさにそのとおりだと思います。

是非とも、最新の専門書など、いろいろご紹介ください。
是非とも、長く続けてください。
読者の一人です。

投稿: さとちゃん | 2009年5月16日 (土) 04時48分

さとちゃんさま

ありがとうございました。
御礼・お返事が遅くなってすみません。

お考えの出発点が確認できれば、私も安心です。むしろ、お気遣いをさせてしまい申し訳ございませんでした。

最新の専門書等は情報に疎いのでそうそう目にはしていないので、お恥ずかしい限りです。読みかけのツンドク状態でして・・・ (^-^;

いずれにしても素人が背伸びをして綴り続けているものでありますので、ご寛恕の上、今後ともご指導宜しくお願い申し上げます。

ほんとうにありがとうございました。

投稿: ken | 2009年5月17日 (日) 09時34分

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