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2009年1月 3日 (土)

偉大さを偲ぼう! 没後200年はハイドン、同250年はヘンデル

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生誕何百年、というほうが「祝う」にはふさわしいので、昨日はメンデルスゾーンについて記しました。
他には、実はヘンリー・パーセルが生誕350年でして、彼のことをも見直さなければなりません。

没した年から200年、250年という記念年にも、大物が控えています。

200年がハイドン。
7765566c2beeba761809年、ナポレオン軍が侵攻して来たウィーンで、5月31日に77歳で亡くなりました。その際、占領軍のフランス兵も彼の死の床を訪れて敬意を表した、というエピソードを読んだことがありますが、日本語での伝記が現在は手に入らず、以前出ていた大宮真琴「ハイドン」(大音楽家・人と作品2 音楽之友社 1991 第7刷までは発行が確認出来ます)にはそのようなエピソードの記載はありません。ガイリンガーによる伝記("Haydn a creative life in music" University of California 1963,1982)には、ハイドン逝去の5日前に、フランス軍の軽騎兵クレメント・スレミー(サレミー、かも)という人物がハイドンの元を訪ねて、彼のオラトリオ『天地創造』の中のアリアを歌い、ハイドンの感涙をさそった旨が記されています。
交響曲106曲、弦楽四重奏曲67曲、ピアノソナタ54曲(上掲大宮著による数)をはじめとする多くの作品は、彼の生涯の大半がエステルハージ家の宮廷楽団という狭い世界での創作であるにもかかわらず非常に実験精神に溢れており(室内楽の編成は多種多様で、たとえばピアノ三重奏曲や木管の重奏曲にも「愉快」なものが豊富にあります)、すでに有名作曲家となっていました。エステルハージ家から開放された後は、死の前年のモーツァルトと涙の別れを交わしてロンドンに向かい、途中のウィーン期間をはさんで5年間、イギリスで活躍、名声に拍車がかかります(名曲ぞろいの交響曲、ザロモンセットはこの時期の作品です)。
が、彼の交響曲第1番は、推定によれば彼が27歳のときに書かれています。この事実に「意外」の感を抱く人も多いかと思いますが、これがまた非常に活き活きした、素晴らしい作品であることも、この際知って頂けたら嬉しいな、と考えましたので、掲載しておきます。

・ハイドン「交響曲第1番ニ長調」第1楽章

アンタル・ドラティ/フィルハーモニア・フンガリカ DECCA 425 900 2

この演奏ではチェンバロが通奏低音として用いられていますが、ザスロウ氏や大崎滋生氏などの研究家にはチェンバロを伴うことは否定されています。・・・この話題については、ゆとりがあればあらためて触れます。
日本語による伝記の発刊を、是非望みたいと思っております。



250年前に死去したのが、ヘンデル。
E6a0d0cb2cf36138こちらは日本語版の伝記もあります。
近年、ヨーロッパでヘンデルのオペラの見直しがさかんであり、多くの作品が復興されていますから、その流れが有利にはたらいていたかもしれません。
生まれはドイツ、初期はハンブルクで活動しましたが21歳の時イタリアに移り、25歳ではじめてロンドン行きを果たしたあと、27歳の時にはイギリスに定着することになります。イギリス王室のバックアップを得る努力は怠らなかった、とはいうものの、おそらくはイタリアの先輩オペラ作家達の生き方に倣い、生涯の最後までには実質的に音楽のみで身を立て大成功した最初の人物となりました。
同年生まれのJ.S.バッハと比較され、「バロック最後の大家」のひとりに加えられがちであり、そのこと自体は否定できるものではありませんが、イギリスに渡りながら、その作品が実質上ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンにも直接的な影響を与えた、という側面は、あまり真剣に注目されていないのではないかと思われます(モーツァルトの「レクイエム」に、ヘンデルの作品の痕跡が認められることが、研究で明らかになっていますし、モーツァルトはまた、ヘンデルの「メサイア」や「アチスとガラテア」の編曲も行なっています。ベートーヴェンは、最晩年にヘンデル全集の入手を心から望み、贈呈を受けた時には非常に喜んでいます)。
オペラは42作、パスティッチョは13作に及びますが、全てイタリア語による作品であることも留意しておくべき点です。もはやオペラでは成功できない、とふんで、転向して作曲をしはじめたオラトリオ(21作)の3作目においてはじめて、彼は英語の歌詞による作品をものにしています。

一方で、彼の合奏協奏曲、とくに作品6はイタリアで接した大先輩、コレルリの手法をそのまま発展させ、独立作品としてのシンフォニア(より適切に言うのであれば協奏交響曲【サンフォニー・コンセルタンテ】)の前身とでもいえる、堅固な作品に仕上げられており、「水上の音楽」・「王宮の花火のための音楽」のような有名で壮大な、しかしより自由な管弦楽曲が作曲当時の流行に沿った機会音楽に過ぎなかったのに対し、合奏協奏曲では確実に「音楽史」に一歩を踏み出させる業績を残したことは、再評価されなければならないのではないでしょうか。

・ヘンデル「合奏協奏曲作品6:第6番ト短調」第1楽章

カール・リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団(1970年) ARCHIV UCCA-3201


没年記念年の作曲家は生誕記念年の作曲家を祝うのとはまた違った面からアプローチされなければならないでしょう。 ハイドンも、ヘンデルも、その膨大な作品に駄作がない。 それだけに、彼らが積み重ねた業績の正体は非常に見極めにくくなっているかもしれませんが、 「人間の可能性とは何か・限界とは何か・そのうえで何を大切に見つめるべきか」 を考える上で、彼らの音楽に、あらためて謙虚に耳を傾けることも、また大切になってくるでしょうね。

それにしても、ロンドンに縁の深かった「ドイツ生まれ」の、それぞれバロック・古典派を代表する大御所が揃って記念年、ということには、なんだか重みを感じます。
石井宏さんが「反音楽史」で、ヘンデルや、今回の記事には直接関係はしませんが、クリスチャン・バッハは、イギリスの音楽家なのだ、それをドイツ音楽だと思い込ませた音楽史はドイツ人の恣意である、と激しく批判なさったことは記憶に新しい。ですが、20世紀前半のドイツを批判する上で石井氏の意見は貴重ではあるかもしれませんが、もっと視野を広げてみれば、ヘンデルらをイギリスの作曲家だ、とするのもまた正しいことではありません。ヘンデル、クリスチャン・バッハ共に、イギリスにおいて「イタリア語オペラ」を書き続けたことへの考慮、また、両者ともドイツ圏を離れたことのないモーツァルトに強い影響を与えていることへの洞察・・・かつまた、純正ドイツ音楽しか書かなかったはずのハイドンがロンドンばかりではない、パリでも大いに受けたという事実をどう考えるべきか。
このあたりは、日本人のクラシック享受者は仕切り直しがを必要とされることどもではないでしょうか。


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コメント

遅れましたが、
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
お互いに楽しい音楽生活を送りましょうね!


ハイドンの「1番」がなかなか素晴らしい曲だという話は
聞いてはいましたが、実際に聴いてみるとホントに楽しい、
いい曲でビックリです!
「交響曲の父」の異名は伊達じゃあないですね。
エステルハージ家の宮廷楽団、という狭い世界での創作は
実験精神に溢れたハイドンにしてみれば、
むしろ好都合だったのかもしれません。
(エステルハージ候が音楽愛好家だったことも含めて。)
彼がもし、マンハイムの宮廷楽団に就職していたら
こうは成っていなかったかも。

投稿: Bunchou | 2009年1月 5日 (月) 01時36分

Bunchouさん、あけましておめでとうございます。

モーツァルトのスコア読みは、どうも、独りでいられる環境でないと手がつけられずサボっておりますが、間違いなく続けますので、今後とも何とぞ様々ヒントを頂けますよう、あらためてお願い申し上げます。

ハイドンは、日本語の伝記が手に入りにくいので、ガイリンガーの本を(抄訳とは行きませんので)縮約して掲載していきたいな、と思っております。
第1番は、亡くなった畏友のオーボエ吹きさんと「是非やりたいね」と言っていた曲なので、個人的な思い入れもあります。
(たぶん)エステルハージ家に仕える前の作品ですので(ガイリンガーの頃の推定ではそうしたシンフォニーは13曲ないし20曲あります)、確実にエステルハージ家に奉公してからの作品である「朝」・「昼」・「夕」とはまた違った作りをしている気がします。
同年代の他作曲家の作品に比べても優れていると思います。
モーツァルトの27歳の交響曲は「リンツ」ですけれど・・・
その24年前ですからね・・・

投稿: ken | 2009年1月 5日 (月) 23時07分

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