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2008年12月25日 (木)

ハイドンほど大胆ではない:TMF演奏会を前に-3

Tokiomusikfroh200812
特別演奏会東京ムジークフロー演奏会(12/27)、是非お越し下さい。
(バナーはsergejOさんがご好意で作って下さったものです。)
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/1227-22d9.html



心臓移植への応援の願いサイト「大樹君を救う会」・・・是非、お目通し下さい。
http://savedm.web.fc2.com/


大宮光陵高校管弦楽部がSONYのウォークマン"Play You"のCMに12月13日から出演しています!
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/sony-play-youcm.html

記事の最上部でご案内にリンクしました通り、きたる12月27日、私の所属する東京ムジークフローが演奏会を開きますが、そのプログラムを楽しんで頂くうえで興味深いかな、と思われるトピックの3つ目にいってみたいと思います。

7765566c2beeba76とは言っても、先の2回が、いずれもフルトヴェングラーの『音と言葉』による<ロマン派><ワーグナー>を見てきたのでした。
今回も同じ路線で行こうか、と思って『音と言葉』をめくっても、しかし、無駄なのです。フルトヴェングラーは、一昨日述べましたように、シューマンについては(残された演奏の録音から察する限り)素晴らしい理解者だったはずなのですが、あくまでブラームスを遡った線上として捉えていたのか、『音と言葉』はおろか、書簡でもほとんどまとまった見解を表明していません。それ以前の作曲家で大バッハとベートーヴェン、とくに後者に関心が集中していることがはっきりしていまして、間に挟まれたハイドン、モーツァルトには全く視線を向けていないかのようです。・・・ところが、これらの作曲家の作品についても名演を残しているのですから、言葉になっていないことイコール、ハイドンやモーツァルトを理解していなかった、ということになはらないのです。
フルトヴェングラーも述べていないハイドン、モーツァルトも含め、古典派の作曲家に対する20世紀中葉のドイツ系の記述が思いのほか少ないのには、何か事情があるのでしょうか? ゲオルギアーデス(1907〜1977)も、前にご紹介した『音楽と言語』の中では、古典派となると大バッハから一足飛びにベートーヴェンを最も重く扱っていて、あたかもその太刀持ちとしてハイドン、モーツァルトが存在したとでもとれるような記述にとどまっています。(12/29付記:孫引き情報ですが、その後、フルトヴェングラーは「ハイドンがいなかったら、音楽はもっと貧しいものになっていただろうな」といった意味のことを述べている由、知りました。)

シューマンについては旧ブログでカテゴリを設けて採り上げましたし、新ブログでも幾つかの記事を綴って来ましたので、(それに明日綴るとなると、少なくとも、もうTMF団員の人・・・仮に読んでくれているとすれば、ですが・・・の参考にするには遅すぎますから)過去記事を再読頂ければ幸いです。とくに、彼が『ユーゲントアルバム』に記した<心得集>に類する言葉は、演奏家全てに重要なものを多く含んでいますので、リンクをしておきますから、是非、もういちど目にしていただければと思います。(明日は家内の3回忌の命日ですので、おそらくシューマン関連の記事を綴らないかもしれません。)



さて、となると、問題は、ハイドンです。
古典派がなぜこうもベートーヴェン中心でしか見られて来なかったのか、その他、せいぜいモーツァルトと、これから述べるハイドンにしか目が向かなかったのか、には、「ロマン派の時代」(社会的には『市民革命の時代」)と後に見なされることになった19世紀の社会が、直前まで宮廷が主導権を握っていた「古典派の時代」と、あまりにも直接的に断絶したことの影響が大きいのではないかと思われます。これについては大崎滋生氏『文化としてのシンフォニー Ⅰ』のあちらこちらにも言及されていますし、資料研究に長けた大崎先生のみるところには間違いがない、とは思います。

ですが、それでもなぜ、ヴァンハルやディッタースドルフが忘れられたのとは違ってモーツァルトやハイドンは人々の記憶に残ったのか、については、私は大崎先生といささか異なる感触を持っております。
まず、今回のプログラムにはのらないモーツァルトですが、大崎氏の記述では

「モーツァルトが宮廷社会に提供したシンフォニア(私注:ザルツブルク時代のもの・・・他地に旅行中に作ったものを含む)は、少年が大人のオーケストラのために書いたものとして奏者に過度な要求をするものではあり得ず、いわば当たり障りのない平準的なものである。」(前掲書152頁)

となっています。ハイドンに関する記述は、ハイドン作品を緻密に研究することからスタートした大崎氏の述べるところはおおむねすんなり受け入れられますが、モーツァルトを個別に追いかけていく時、この「少年モーツァルトの作曲したシンフォニアは平準的だ」という命題は、ジャンルこそ違え、マルティーニ神父がモーツァルト少年期の作品を既に「現代的」とみなしていた事実があることから「偽」であると証明し得ます。大崎氏は、この問題をここまで明確に命題化するべきではなかったのです。いみじくもこの記述の延長として同氏が述べている(ここでも氏はモーツァルトの初期シンフォニア、もしくはシンフォニー、交響曲に対するアンチテーゼとして以下のことを述べており、現象としての真実はそこに間違いなく把握はされているのですけれど、限定的に過ぎます)

「それら(=モーツァルトの初期シンフォニア)はそのつどの場所と機会に応じて、それぞれ異なる期待に、すなわち様式的慣習に沿って書かれ、一貫して『普遍(アルマゲイン)様式』を追求していくというものではなかったからである。」(同書同頁)

すなわち、19世紀以後も残る正当な「古典派」とは『普遍様式』をもつものである、というのが大崎氏の見解であるかのように思われます。あたかも、モーツァルトの、言葉を悪く言えば「場当たり的な」作曲態度の中には、古典派は存在しなかった、とでもいいたいかのような主張です。
ですが、これはハイドン専門家であった大崎氏の、ハイドンへの(正当でありながらも)相対的には特別すぎる見解であると、私は思わざるを得ません。
エステルハージ家から出られないままに国際的名声を勝ち得ていた(しかも自身は必ずしもそれに敏感ではなかった)ハイドンではありますが、彼もまた多くの古典派作曲家と同じ条件下で、すなわち、モーツァルトとも同様に「場当たり」作曲を強いられたひとりであった、という点は、忘れてはならないはずなのです(『西洋の音楽と社会6古典派--啓蒙時代の都市と音楽』第10章「エステルハージー宮廷におけるハイドン」参照)。そして、ハイドンもまた、モーツァルト同様、一旦は「ロマン派の時代」の中で忘却されます。その復活がモーツァルトの後期六大交響曲と併せて出版されたハイドンの『パリ交響曲集』であることをも、記憶しておいて下さい。



あまりに近い時代は、隣接する次世代からは捉えられにくいのが世の常です。ハイドンやモーツァルトの時代には、大バッハが忘却されていました。その復活の経緯については、小林義武『バッハ復活』または『バッハ 伝承の謎を追う』を嚆矢として、新書などの簡単な読み物でも比較的信憑性の高い記事がようやく現れて来たところです。・・・大バッハの存在そのものは(途中の「通人のみが知っていた」時期・・・知っていたメンバーの中にはハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの三人ともが含まれていますが、実作上彼らの対位法は大バッハの対位法を継ぐものとはなっていません・・・そういう時期は度外視するのが正当でしょうから)19世紀前半には既にかなり大きく再認識されたものの、本当の大バッハ理解は、没後約260年を経た現代になってようやく実を結びはじめたところです。資料としての古典派の楽譜は、研究界ではすでに漏れがないほどにライブラリ化されているそうですが、実のところ、ロマン派の直接の先駆者としてまつり上げられたベートーヴェン以外には、それらの音楽的価値についての正当な評価は、まださほど進んでいるとは思われません。モーツァルトは、彼が「ロマン派」には直接繋がらなかったという特性をもって(シューマンの『音楽と音楽家』に登場するモーツァルトの音楽像も、モーツァルトがロマン派の人々には特異な存在に映っていたことを読み取り得ます)早くから研究されたのであり、個人という面では調べ尽くされて来たかもしれませんが、そのためにかえって、「古典派という時代」の中でのフツウであるべき位置づけについては、まだまだ「ロマン派の時代」に把握された、あるいは作り上げられた虚像から抜け出せていない、というのが実際のところではないかと思います。

では、「古典派」を、どのように「理解」しなおして行かなければならないのか?

軸としてふさわしいのは、やはりハイドンかもしれません。彼はモーツァルトとベートーヴェンの双方と接点がありましたし、その他忘れられた古典派作曲家たちやその前世代ともときに深い関係を結んでいました。(ハイドンが自作のオペラをハッセに賞賛されたことを大変誇りに思っていた、というエピソードがあります。ハッセはモーツァルトとのオペラ競争に敗れて引退をしたというエピソードで有名ですが、そうは言いきれないことはモーツァルトに触れる中で言い及んだことがあります。)
ベートーヴェン像をも見直す、とくにその初期に彼がハイドンから受け継いだものがなんなのかを、楽譜の上から読み取り直すことが必要なのではないでしょうか?
あるいはモーツァルトにしても、「ハイドンセット」がハイドンのどのような面に刺激を受け、その中のどれを発展させることに意を注いだのかを見つめ直すことが必要なのではないでしょうか?

ディッタースドルフとの生活環境の類似性と相違点の社会私的な観察も、またヴァンハルの交響曲演奏環境とハイドンのそれとの違いの、大崎氏の記述をヒントにした(大崎先生はこのあたりについても適切な観察をなさっていますので、前掲書は是非覗いてみて下さい)把握から始め、当時の重層化が始まっていたウィーン社会(もはや宮廷中心ではなく、啓蒙君主を表看板にした複合社会と化していて、もしフランス革命がなかったら、メッテルニヒ体制による反動的な時期なしに違う世界が出来上がっていた可能性もあります。それほどまでに、すでにモーツァルトが定住した頃には既に、この都市では「貴族」以外に、イギリスとはまた違った意味の「市民階級」の成長が見られます)の中で、あらためてそれぞれの音楽家の活動がどの階層間を行き来し、どこで成功し、どこで失敗しているかを見つめ直さない限り、とくに代表して「ウィーン古典派」と呼ばれる文化が発生し、革命前のフランスにまでなぜ影響を及ぼしたのかを、きちんと見据えるのは、今後、重要な課題であると思うのです。

話がちょっと抽象的になっちゃいましたかね?

今回採り上げるハイドンの交響曲そのものについては、当日お配りするプログラムに簡単に記しましたので、そちらをご覧頂けましたら幸いに存じます。

お越しを心からお待ち申し上げております。

最後になりましたが、ブラームスは、興味深い発言を残しています。

「モーツァルトやハイドンに比べれば、ベートーヴェンだって形式では大胆とは言えない。」
(フェリンガー『ブラームスは語る』33頁)


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コメント

大崎滋生氏の著書、僕も読みましたよ。
恥ずかしながら、立ち読みですが…(汗
Kenさんの指摘と同じく、モーツァルトに関する箇所には
個人的にどうしても違和感を拭えませんでした。
神童時代に旅行先で作られていたシンフォニアはともかく、
ザルツブルクに落ち着いて連作された交響曲群に関しては
もう少し綿密な検討が欲しかったと感じてしまいます。

それともう一つ。
これはたしか著書で言明(弁明?)されていたと思いますが、
管弦楽セレナードからの抜粋交響曲を
「考慮の対象外」
としたのは問題ですよね。
あれらが有るのと無いのとでは、かなりの違いが現れるような気がします。
それに「ハフナー」やハイドンの劇音楽からの編曲交響曲と
どういう違いがあるのかよく分からず、ナゾでした。

とはいえ、
他の部分はとっても興味深く、充実した読み物で
大いに楽しんでしまいました。
特にディッタースドルフの作品は
「聴いてみたい」
思わされてしまい、ウズウズしております。
彼の比較的知名度の高い交響曲は方々で評判が悪く、
今までは避けていたのですが、
不覚にも心を動かされてしまったワケです。

投稿: Bunchou | 2008年12月27日 (土) 23時44分

大崎さんの研究は資史料の絞り込みから始まっているので、絞り込み方が極端だと思われる場合がありますが、その場合は
「ああ、こういう方針で絞り込んだのか」
と推測するしかありません。
ただ、交響曲のご著書に関しては「1」ではなんとかなったものの、「2」では同じ路線の延長にあるのかどうか、素人目ながらちょっと疑問に感じるところが多く、
「大崎先生らしからぬ!」
と、少し失望を覚えているところですが・・・私の読みが浅いせいかもしれません。

そもそも「シンフォニア」とか「シンフォニー」と称されて来たものを交響曲の訳語で統括して見ること自体に非常に無理があるのでして、それでも大崎先生のご研究はかなり良心的です。別の人が著した『交響曲の生涯』は、採り上げている1作1作についてはよく考察なさっているとは思いますが、前史へのツッコミが充分ではなく(だったらいっそなにも綴らなかった方が良かったんじゃないの? と言いたかったです)、マーラーをもって「交響曲は死んだ」とするところ、今に至っても「交響曲」を称した作品を作っているたくさんの作曲家たちは、じゃあ立つ瀬がどこにあるんだ? という面があり、これは大崎先生の3冊目に期待するしかありません。

ディッタースドルフ、私は未だ充分に音楽が聴けておりませんが、活字を通してこのひとの発言に触れると「ホント、そのとおりだよなあ」と頷いてしまうことが多く、かなり理性的な人物だったのではないか、と思っております。

投稿: ken | 2008年12月28日 (日) 17時30分

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