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2008年12月20日 (土)

衝撃のモーツァルト演奏:好きな曲017

東京ムジークフロー演奏会(12/27)、是非お越し下さい。
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/1227-22d9.html



心臓移植への応援の願いサイト「大樹君を救う会」・・・是非、お目通し下さい。
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大宮光陵高校管弦楽部がSONYのウォークマン"Play You"のCMに12月13日から出演しています!
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/sony-play-youcm.html

16世紀後半〜17世紀初頭のイギリス音楽についてまとめたく思っているのですが、時間不足でまだ終わっておりません。また、「楽典」の「調のはなし」も同様です。
そんな次第で、場つなぎ記事の連続で恐縮ですが、また思い出話にお付き合い下さい。

とりあえず、演奏をお聴き下さい。

・モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」K.385から、第1楽章

オトマール・スウィトナー/シュターツカペレ・ドレスデン  edei CLASSICS 0002612CCC

「偉容」と「軽妙」がこれほど同居している演奏には、私は19歳にして初めて触れました。
その衝撃に至った経緯について、毎度の駄弁を弄したいと思います。

なお、この演奏が他の演奏の録音とどれほど違うか、については、ブログを始めたての頃の記事で、ちょっと比較して頂けますので、以下の駄文よりいいかもしれません。
「ああ、また昔話か、付き合いきれねえや」
と言う方は、どうぞ、そちらの「文」はやはり読みとばして、音を聴き比べてみて下さい。

http://ken-hongou.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_dede.html


41r3srsyf8l_sl500_aa240_念願の大学「オーケストラ」に入団出来て、私はとにかく、学業よりオーケストラに夢中でした。 ・・・団員になる殆ど全てのメンバーが、似たようなもんだった、と思います。 ただ、この大学のオーケストラ、入ってすぐにわかったのですが、頑固者の集団で(いわゆる蛮カラ気風がまだ残っていて、かつチカラのあるOBは大学を離れてあとも尊重されました)、新米学生の目からしたら、現役軽視・非力者排除の、民主主義時代にはおよそ信じられないほど<封建的社会>に見えたのでした。・・・そう思ったまま卒業していった、排除された側の「非実力者」もたくさんいます。私もある意味ではそうしたひとりかもしれません。ですが、新米当時のそうした見え方は誤っていた、と、今では思っています。・・・それは、会社員生活をしながらアマチュアオーケストラもハシゴする生活を続けていくうちに、当時のこの大学オーケストラが「何を大切にしていたか」、一般のアマチュアオーケストラでは、いかに同じようには行かないか、を、経験を通して思い知ることが出来たおかげです。

じゃあ、どういうところに差があるのか、ということを精神論でぶっても、おそらく通じませんから、この大学オーケストラが当時「実現」出来ていた優れた点について、出来るだけ具体的に列挙してみます。・・・これでもひとつひとつ解説しないと、本当はなかなかご理解頂けないのではなかろうかと思いますが、解説することで誤解を受けることも多々ありますので、列挙に留めます。

・技術力が上がらないのであれば、「耐えた」だけではステージに乗せない(情でプレイしない)
・技術力が上がらなければ、最悪、罵倒され続ける:退団するか残るかの最初の関所
・面白いことに、それでも最低1年、最長3年で、居残っていると技術力が上がった(例外存在)
・定期演奏会のメンバーに選ばれても、練習中に音楽が理解出来なければ容赦なく交代(管楽器顕著・・・退団するか残るかの、第2の関所)
・広地域への遠征は極力避け(とくに東京へは出なかった)、自分たちの演奏を過大評価しなかった
・個人としての技量ではなく、アンサンブルの呼吸(他パートの動きを読み取り、または相手にこちらの動きを読み取らせる)に重点を置き、その理解度の高いメンバーが理解度の低いメンバーの練習を監督する慣習があった

とくに、最後の点から、ソロ曲を練習していると技術の高いメンバーから完璧に白眼視されました。百年早い、が「罵倒」の決まり文句でした。ひとつには、そこで萎縮するか意地をはるか、あるいは受け流せるか・・・正解の3番目を選択出来るメンバーが確実にいい演奏を支えるようになる仕掛けでした。

私は弦楽器ですので、管楽器の日常は知らないのですが、とにかく毎日、プログラムは基礎練習(シェフチェック【セヴシック】など)、オーケストラ曲の個人練習、同レベルのメンバーがパラパラ揃って来たらクァルテット・・・初歩のうちはハイドン、モーツァルト初期全曲で、だんだんにベートーヴェン初期、モーツァルト後期、ボロディンなどへと曲を拡げていくのですが、これは学年によって団員数がまばらだったので、トクする学年【団員が多い学年】と損する学年【団員が少ない学年】が存在しました。



上の要約は、あるいは「好感を持たずに退団したり卒業したりしたメンバー」からみれば理想化し過ぎに見えるかもしれません。
ただ、私自身は卒業後いったん仕事の性質から3年一緒をすることが出来ず、そのあとまた3年間、今度はOBとして後輩たちに優しく迎えてもらえ、そのあいだに先輩たちの「後輩への口の出し方」に疑問を感じながら3年を過ごし、転勤を機に実質上縁を自分から切ってしまった団体でして、やはり客観的にこの大学オケを見てきたわけではない、むしろ一時は「ここの路線は間違っているのではないか」との強い疑問に取り憑かれた人間です。
ですが、可愛がってくれた先輩に貰って、今でも大切に思っている「格言」が二つあります。

・「音」は「人格」である
・道具(=楽器)がなければ出来ないようでは、音楽ではない

これらについては、また後日駄弁を綴ることにします。
この2つを尺度に、自分自身が東京という土地で、いちおう今所属する団体をホームグランドにし、いろいろなアマチュアオーケストラを歩かせて頂きながら観察を続けて来ましたが、歩けば歩くほど、自分が疑問に思っていた大学オケの姿勢がいかに「実現の難しい」ことか、を思い知らされることが重なりました。離れて20年経ちました。ですから、理想化している面があるとはいえ、上に要約した基本姿勢は、20年を経てやっと理解でき、心からの敬意と賛同を感じられるようになったもので、本質からそう遠くない「まとめ」が、ようやく出来るようになったか、と少しだけ自負しております。・・・もちろん、同時期のメンバーで過去にこだわるかた(「良かった」であろうが「悪かった」であろうが)に、私と同じ「評価」を強いるものではありません。私が受け止めた、私の20年前、でしかありませんから。

CDを発行でき、私の頃とは違って安定した力を子供たちに付けさせるジュニアオーケストラをも熱心に育成してくれる心強いプロオーケストラが仙台にも存在するようになった現在では、大学オケ自体の役割は変質しているかもしれません。でも、そこは独立独歩で歩んでくれていることを、私は信じております。



意気揚々と入った大学オケでしたが、最初の定期演奏会で、私は屈辱の「降り番」を初体験することになります。メンバーを減らさなければならないモーツァルト(演奏したのは今回掲載した「ハフナー」ではなく、「リンツ」でした)のセカンドヴァイオリンで、最後の1席を同学年の東京出のボンボンと争って、結局敗れたのでした。ちなみに、「勝った」このメンバーは最初の定期演奏会後さっさと退団し、私に「どこかのオーケストラに入りたい」と泣きついて来て、前回まで述べたユースオーケストラに紹介してやりましたが・・・(この先は、話題にしない、と前回誓いましたので、話題にしません。)

そのとき、ある先輩から、
「参考にするならこの演奏だからな」
と言われて買ったのが、当時セラフィムというEMIの廉価盤レーベルで出ていた、スウィトナー指揮・ドレスデンシュターツカペレ(と、あのころはこの語順で日本では紹介されていました)の「ハフナー・リンツ・プラハ」の1枚でした。
聴いて、私のそれまでの、モーツァルトの交響曲は演奏がカンタン、というイメージがガタガタに崩れました。
とくに衝撃的だったのが、演奏する予定の「リンツ」ではなく(その柔らかさも非常な魅力ですが)、今日掲載した「ハフナー」第1楽章でした。それまで名声を独占していたベームの「ハフナー」を完全に凌駕していました。

音声を、再掲します。

モーツァルトのトレモロは「スピッカート」という、弓が自然に弾むにまかせる奏法で軽々と聴かせるのがヨーロッパの常道なのですが、音階進行までをスピッカートで、しかもヴァイオリンからコントラバス、木管楽器群まで、これほどの一体感を持ってなされる演奏は、ベルリンフィルやウィーンフィルのものでも聴いたことがありませんでしたし、今でもこのドレスデンのメンバーを超える技を聴かせてくれる録音はないはずです(聴いた限りの「新録音」は、やっぱり負けています)。トランペットとティンパニのバランスの良い抑制感覚にも感嘆せざるを得ません。彼らは響き「だけ」で音楽の輪郭をくっきりと浮かび上がらせます。「古楽」再現と称してこれらの楽器を騒々しくならす演奏の存在には、こうした演奏と比較すると、私個人としてはやはり疑問を感じざるを得ません。クヴァンツなどのアンサンブルについての言及も、バランス感覚を大切に考えていた形跡があるのですから、なおさらです。

話は戻りますけれど、この「スピッカート」を、学生オーケストラでありながら、初心者にまで身につけさせ得たのが、私の所属した大学オケです。もちろん、スウィトナー指揮下のドレスデンには叶うべくもないのですが、日本のオーケストラで、「モーツァルトにはスピッカートが必須」であることをきちんと理解している団体はプロにも少ない(現に、新録音でもみっともないものがあります)ことは、是非申し上げておきたいことです。かつ、アマチュアの初心者にスピッカートを体得させるのがいかに困難かは後年身にしみて知りました。・・・この話も、あらためてしなければならないかな?


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コメント

これは、すごい演奏ですねー。

やはり、「天下の」シュターツカペレ・ドレスデンですね。

私、「ハフナー」大好きなんです。

スウィトナー氏の偉大さが、kenさんのご説明で改めて分かりました。

ご指摘のスピッカーットの部分の一体感。仰るように、木管まで全く同じアーティキュレーションなんですね!すごい。

モーツァルト自身はこの楽章を「炎のように演奏すべきだ」と云っていたそうですが、

徒に騒々しくせず、バランスを保ったまま、最適のテンポ感で「炎のような演奏」が可能なんですね。

私たちは、毎月のようにこの偉大な指揮者の棒でN響を聴いていました。

今、しみじみと、何と有難い事だったのだろう、と思います。

投稿: JIRO | 2008年12月21日 (日) 15時34分

普段、古楽器演奏ばかり聴いてますが、
これはなかなか良いですね。
シャキっとしていて好感が持てます。
スピードに頼りすぎているような気はしますが。

個人的な好みで言えば、
やや弦楽器偏重で管楽器の存在感が薄いのが
残念ってところでしょうか。

投稿: Bunchou | 2008年12月21日 (日) 22時03分

JIROさん、Bunchouさん、ありがとうございます。

衝撃的な演奏との出会い、というのはそうそうあるもんではないし、ナマで、となるとそれはもう希少なのですが、録音でもなかなか・・・です。自分の感性が揺るがされる、という思いがわかなければ、同じ演奏でも感銘を受ける人もいればそうではない人もいる。

スウィトナーとシュターツカペレドレスデンの録音は1970年のもので、古楽系の録音ではこの交響曲を最も早く、また違った意味で「衝撃的」なものとして行なったのはアーノンクールではなかったかと記憶しています。(同時期に海老澤敏教授の講義で聴かされた記憶があります。)これはハフナー交響曲がセレナーデを元にしているという切に基づいたもので、行進曲を最初に付していました。

速度については、じつは古楽系でもそう違ってはいませんで(私はアーノンクール・・・ただし行進曲では始まらないもの・・・の他、ピノック、ホグウッドで所有しております、また、リンクした旧記事でご確認下さい)、スウィトナーの演奏が特別にスピードに依存しているとは思ってはおりません。かつ、とくにピノック盤の演奏は輪郭がスウィトナー盤に次いで明確なものであり、この点でもモダンオーケストラと本質的な差はない、ただ弦楽器と管楽器の人数の相対差で古楽系より木管が隠れて聞こえる、という点はあるかもしれません。
そのあたりは編成の違い、ということで割り切ってお聴き頂ければ幸いに存じます。
(弦楽器偏重、ではないのです。)

本質的に、オーケストラがこの速度でも一体化している、ということは、スピードに依存してしまった場合には逆に出来ないことです。
「このスピードでも<合っている>」
というところを、是非ご評価頂ければ、とは思いますが、嗜好は様々ですから押しつけは出来ません。ただ、スピードが出たら「合う」確率は演奏者にとってそれだけ下がります。(1959ベーム盤は安全を見たのか、よりテンポが遅いのに、クラリネットがずれている、というあたりも参考になるかと思います。)
スウィトナー/ドレスデンの演奏は、たとえばベーム/ベルリンフィルなどのの「なんとなく合って聞こえる」(「ハフナー」の演奏はだいたいそんなものが多いですね)のとは違って、意図的に訓練して合わせたものであるところに大きな価値があります。

そう・・・訓練なしには出来ない演奏を成し遂げているのが、この録音の身上ではないか、と私は思っております。

投稿: ken | 2008年12月21日 (日) 23時07分

>スウィトナーの演奏が特別に~
了解です。
僕がよく聴いているハフナー第一楽章の演奏は
だいたい6分近いものだったので
ああいう感想になってしまったようです。

リンク先、聴かせていただきました。
ああやって並べてみると面白いですね。
ベーム/ベルリンフィルの「なんとなく合って聞こえる」具合が
露見してしまうところが痛い…。

投稿: Bunchou | 2008年12月23日 (火) 00時22分

スウィトナーの名盤(1968年)いいですね。彼は、1960-1964年が主席指揮者ですから、すでに団を離れているにもかかわらず、この演奏ですからたまりません。29番もいいですよね!(前にも言いましたね)テンポとアクセントだけじゃあないんですね。よくわかりました。ありがとうございます。

追伸: 上の演奏表記 36番となってますが35番です。

投稿: ランスロット | 2008年12月24日 (水) 12時26分

ランスロットさん

ありがとうございました。番号、気づかずにいました。リンツを話題にしたから、無意識に36番にしてしまいました。・・・直しました!

スウィトナーとこの組み合わせで、せめて21番以降からは全曲録音を残して欲しかった・・・
29番は勿論ですが、33番あたりや三大交響曲も「おお、なかなかやるな!」なのですよね。。。
残念無念!

投稿: | 2008年12月24日 (水) 23時46分

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