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2008年12月 3日 (水)

それは「ムード」か「命令」か?〜ブラームス「第4」:聴き手のための楽典003

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家内の三回忌の法要の準備に入りますので、明日から4日間、ブログに記事を綴るのはお休みします。・・・世の中に何の影響も無し!

本格的な(?)「楽典」を期待なさっていたのなら、前回採り上げた「速度標語」がたった二つなのには非常にご不満かと存じます。ですから、いずれ一覧表でも作らなければいけないのかもしれません。私が経済的な都合上から未だ現物(翻訳)を持っていないので前回はあえて触れませんでしたが、有名な本で、クヴァンツという人が書いた「フルート奏法」というのがあります。著者はモーツァルトの二、三世代前の人物ですが、「フルート奏法」と称しながら、彼の著書は音楽を広範に取扱っており、そのなかに「速度標語」と「脈拍数」を対比させる試みを行なっています。

「じゃあ、赤字になってもいいから、さっそくその本を買って来て読んで紹介しろ!」

・・・はあ、はい、でも、少し待ってて下さいね。
その前に、カタカナの残りの部分とか、他のことについても、頭に収めておきたい<キホン>があります。
で、今回は、カタカナの部分の、「速度標語」以外についてみていくのですが、併せてちょっと考えておきたいこともあります。・・・ただし、最初の部分と最後だけが「まとも」な文ですので、中間部(突然数式がでて来たりします!)は読みとばして頂くのが無難であることを、あらかじめおことわり申し上げておきます。


ブラームスの「交響曲第4番 ホ短調 作品98」は、

第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ ソナタ形式 ホ短調 2/2拍子
第2楽章 アンダンテ・モデラート 二部形式 ホ長調 6/8拍子
第3楽章 アレグロ・ジョコーソ ソナタ形式 ハ長調 2/4拍子
第4楽章 アレグロ・エネルジーコ・エ・パッショナート パッサカリア ホ短調 3/4拍子

でしたね。これまでのところ、拍子と、カタカナの最初の部分の「速度標語」までについて、
「ああ、そういう意味か」
と分かったところです。
とくに、「速度標語」は(たまたまイタリア語の語彙だからではあるのですが)、イタリア語の日常会話の中では、実は「速度」なんか表わしていない、むしろ気分を表わす場面で使われる、いわば「形容詞」であることを観察して来たのでした。

今回は、そのへんは、少しサボります。参照するのは、前回上げた「これで納得! よくわかる音楽用語のはなし」「音楽用語のイタリア語」、それでもし足りなければ小さなイタリア語辞典です。

第1楽章の「ノン・トロッポ」は、「あまりそうでありすぎないように」。ノンは、non(英語のno)
ですね。
第2楽章の「モデラート」については、速度標語にも用いられる場合があることを前回述べましたが、ここでの用いられ方は「ちょうどいい程度」のアンダンテなのですよ、という具合の、「」の中身に当たるもの。
第3楽章の「ジョコーソ」は「おどけて」とでもいったところでしょうか。
第4楽章の「エネルジーコ・エ・パッショナート」の、真ん中の「エ」は、英語のand、ドイツ語のund、フランス語のetに当たるもの・・・と、これだけ列挙すれば推測が付きますね。「エネルジーコ」かつ「パッショナート」で、と言っているのですね。で、残りの二つも、なんとなく連想できますね。「エネルジーコ」に近い言葉で思い浮かぶのは「エネルギー」・「エネルギッシュ」。これの、後者がイタリア語では「エネルジコ」。「パッショナート」は英単語を使っていうなら「passionをもって」。第4楽章で使われているこの2つの単語は、いずれも女性名詞の形容詞化したものです(但し、後者は私の手持ちのイタリア語辞典にはでて来ませんで、もし大きい辞典にもでていないようなら、音楽用にドイツ人が造語したものである可能性もあります・・・そんな難しいことは、私には分かりませんが)。

このように、「速度標語」の後に続いている語彙は、形容詞か副詞なのですが、「速度標語」も形容詞ですから、・・・文法用語の正確な使い方には疎い私ですので、誤った言い方であるのをお許し頂けるならば、これらは

・音楽の主たる<形容詞>である「速度標語」のニュアンスを強める(「意味」をより限定する)<補語>にあたるもの

であることが分かります。



で、問題は、ここからです。(読みとばすべき部分も、ここからです。)

さて、各楽章につけられているこれらのカタカナ語は、全体で捉えた時、次のどちらなのでしょう?

1)曲の持つ表情について、聴き手にヒントを与えるもの
2)演奏者に対する、曲に込めるべき表情についての指示または命令

言葉はヨーロッパのもので、形容詞で始まっているのですから、これ自体は「文」を形作りません。はたらきは、あくまで、「音楽の表情について形容する」フレーズです。ですから、単純に受け止めれば、「1)」が正解だとしか思えません。聴く人にとっては、前もってこの言葉を知っておくことで、これから演奏される曲の「ムード」に思いを馳せることが出来ます。

ですが、もし「2)」の働きを持つのだとすれば、最初にあるべき、とある動詞(「べきである」・「(このように)せよ」あたりでしょうか)を省略した命令文であるかもしれません。・・・で、実際に、演奏上、楽譜の曲頭に記されたこれらのカタカナ語は、演奏を設計する上では「作曲家からの指示であり、ミューズの命令である」と捉えないと、とんでもない間違いを犯すことになります。もし逆らえば、これらのカタカナ語が持つ「1)」の性質から聴き手があらかじめ予想しているものを裏切り、失望させるでしょう。



きょう色をつけた方の、カタカナ語後半部分は「発想標語」と呼ばれているのですが、ちょっと小難しくいうと、これは「速度標語」が本来「速度を表わす」のでもなんでもない以上、「速度標語」に「表情はこうなんですよ!」といった意味を「付け加える」ものではないのだと、私には思われます。

すなわち、楽典で「速度標語」・「発想標語」というものは、決して

式1:「スピードはこう」×「表情はこう」

という掛け算で成り立っているのではない、と思うのです。

すなわち、歴史上は結果的に「式1」のような意味を有することになってしまったとはいえ、モーツァルトやハイドンまでは"Allegro"とか"Andante"という以上には、後に何の言葉も付けられていない場合の方が圧倒的に多いのです。
掛け算の後ろは決まって値が1、すなわち「掛け合わせられる何物もない(ということは意味を変換させるものがないために数値に換算すれば0ではない、ということです。難しく考えないで下さいね。なぜ0ではないか、というなら、0の掛け算は全体を0にしてしまう、つまり、たとえばせっかくAllegroと付けておいても、その後ろに「なにもない」ということがゼロであるならば、Allegroという言葉を付けた意味が無くなってしまう。従って、「速度標語」と呼ばれる主たる形容詞には、後ろに別の形容詞ないし副詞を伴っていない場合には、単純に数値1が掛け合わされている、と見なすのが妥当だ、という考えを取るしかなくなる。

・・・後ろになにもないのに、いつも「1」という背後霊がつきまとうなんて、なんだか不自然ではないでしょうか?

そもそも、もちろん冒頭に来る言葉(「1番目の語」)が受け手にとってはいちばんインパクトが強いのですが、言葉が「1番目の語」・「2番目の語」・「3番目の語」・・・と、まあ、いくらでも続けられるのでしょうが、そのように続いていけばいくほど、2番目以降の語は「1番目の語」が好き勝手に振る舞いたくても、「ちょっとまって、それで、こうもしなくちゃいけないのよ」とか「あ、でもって、こんなふうになるのはやめてチョウダイ」とかいう具合に、「1番目の語」の進退を制限する働きを強めていく・・・意味としての限定の度合いを強めていくわけでして、いま、「1番目の語」を「速度標語」ではなく「主表情語」、その意味に限定を加えていく2番目以降の語を「副表情語」という呼び方に置き換えるとしますと、カタカナ語の読み方は

式2:「主表情語」+「副表情語1」+「副表情語2」+・・・「副表情語N」

という単純な加算として捉えることが最も簡単な見方ですけれど、意味がどんどん制限されていくことを考えますと、

式3:「主表情語」∈「副表情語1」⊆「副表情語2」⊆・・・⊆「副表情語N」

みたいな、なんだか訳の分からん、中学か高校の「集合」で習ったような記号に読み替える方がいいのかな、なんて思ってしまいます。
(物珍しい記号を使ってみたかっただけでして、私、実は「集合」の本質なんてちっとも理解できていませんから、式3は書き方としては大間違いを犯しているかも知れません。それがお分かりになる方にはおおめに見て頂き、突然何を綴り出したのか、と思った方には、なにせ私は「バカ田大の卒業生なのだ」ということを思い出して頂き、不問に付して頂きたいと存じます。ただし、「主表情語」のみを集合の<要素>にしたのにはそれなりの「考え」はあるのですが、それがいちばんの間違いのようです。次からの記号は、左のものが右のものの<部分集合>であることを表わしています。場合によって、集合には「かつ」にあたる記号も使用しなければならないでしょう。「または」にあたるものは、西欧クラシック音楽では、私の知る範囲では使われていないと思います。)
・・・私の造語は、ここまでで忘れて下さって結構です。ちょっと脱線し過ぎました。



まともにまとめておきましょう。

聴く人のための楽典3-1=「『速度標語』の後ろには別の言葉がついている場合とついていない場合がある。(ブラームスの交響曲第4番の場合は、全楽章についている。)ついている時、それを『発想記号』すなわち曲の表情を表す言葉であると捉えるのが<常識>である。」・・・今回、私はそこからちょっと脱線している!

聴く人のための楽典3-2=「『速度標語』と『発想記号』は、本来はそれぞれの呼び名が表わすような役割分担をしているのではなく、一体となってその曲の『ムード』を聴き手にイメージしてもらう機能を果たし、同時に演奏者に対しては動詞『このように演奏すべきである』が省略された命令文として受け止められて初めて、演奏家によって『より妥当な』音を構築してもらうことを可能にする」・・・のだと、私は信じている。

順番としては、「音譜が読めなくても」という主旨からいけば、次は「ソナタ形式」等々の「形式のはなし」にすべきところですが、いまのところ、そうではなくて、「調」のお話を先に持って来たいと思っております。・・・方針変更はあり得ます。


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コメント

クヴァンツの「フルート奏法」、こないだ某楽器店にて立ち読みしました。
W.エマリの「バッハの装飾音」という本に出てくるので気になる音楽書の一つだったんですが、単純にフルート奏法のみならず、装飾音の扱いや合奏法などに就いても触れられており、(その全てが現代の合奏に携わる者にとって有効か、というところまで見てはいませんが)一読しておいていい本ではないかと思いました。
それにしても、このようなものが邦訳で出ているとは、ちょっと驚きましたけども。

投稿: D | 2008年12月 6日 (土) 02時15分

Dさん、いつもありがとうございます。
エマリも、もう古典ですね。高い価値のある本です。
クヴァンツの、合奏に関する記述は、二十世紀音楽でも、おおむね有効だと思います。勿論、ベートーヴェン以降の作品については曲の書法によって「読み替え」が必要ですが、基本は彼の言う通りだ、と、何度か感じたことがありました。ケータイからなので、これくらいしか綴れませんが。
いずれきちんと整理する価値があるかな、とご示唆を受けた気がしております。

投稿: ken | 2008年12月 6日 (土) 18時27分

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