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2008年11月25日 (火)

「環境」はいつ変わったか?〜スメタナ「モルダウ」:好きな曲012

心臓移植への応援の願いサイト「大樹君を救う会」
http://savedm.web.fc2.com/
・・・是非、お目通し下さい。



ファジル・サイのつくば公演もお聴き逃しなく!
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/in-808f.html


曲の長さもいつもの倍ですが、リンクを貼った記事も長いです。

・スメタナ「モルダウ」(『我が祖国』第2曲)
「モルダウ」
フリッチャイ/ベルリン放送響(1960)輸入盤 Deutsche Grammophone 463-650-2

0d17159849886db8リンク先には、この年、この演奏をしているフリッチャイが南ドイツ放送交響楽団(現シュトゥットがルト放送交響楽団)とリハーサルをした際に、フリッチャイがオーケストラの面々に話したことの一部を載せています。このリハーサルはDVDで残されており、癌(すなわち死)と戦っていたフリッチャイの、真摯ながらも優しい、音楽への心遣いを、深い感動をもって見ることが出来、それによってオーケストラの音がどのように変化していくかを聴くことが出来ます。
Pioneer PIBC-1076

・・・このDVDは、sergejOさんがページトップに掲載なさっています。そちらからご購入なさってみては如何でしょうか?(お手になさって損のない、どころではない、世間に出回っているリハーサル映像の中でも特別な価値を持つものだと、私は思っております。)

ここでは、フリッチャイが、おそらくベルリン放送響との演奏にあたっても、痛み止めを打ちながら全身を「耳」にして、リンク先の記事で述べたような<音楽それぞれの部位についての細かな情景描写>の実現に精魂をかたむけていたであろう、ということを述べて置くに留めます。
フリッチャイの死は、2年後の1963年2月20日でした。



私が「モルダウ(ブルタヴァ)」を初めて聴いたのは、雑誌に付いて来た付録のレコードで、でした。中学生当時、学研から「ミュージック・エコー」という音楽雑誌が出ていて、これに毎月、17センチ盤のLPが付いてくるのです。外国人アーティストの場合は日本では知られていない人の録音でしたが、記憶している2つの歌曲特集(ひとつはバリトン歌手による『冬の旅』の抜粋、もうひとつはソプラノ歌手によるドイツの有名歌曲集【シューベルト、シューマン、ブラームスの作品が収録されていました】)は、なかなかに優れた歌唱でした。
オーケストラ曲は日本人の手になるものでしたが、朝比奈隆指揮の『運命』、近衛秀麿指揮の『第九ー終楽章』、秋山和慶指揮の『くるみ割り人形』組曲など、やはり上質なものが揃っていました。当時はレコードショップで売られている17センチ盤は600円から800円したかと思うのですが、この雑誌はそれよりずっと安い値段でしたから、中学生がクラシック作品の知識を増やすには絶好でした。
あるときの付録に付いてきたのが、山田一雄指揮による『モルダウ』だったのでした。・・・当時の私は、まだ、後年この名(迷?)指揮者に大学オケでお世話になる(もちろん、メンバーの一人という小さな存在としてですけれど)とは思いもよりませんでした。ですが、非常に気に入り、すりへるまで何度も聴きました。中間部のピアニシモ(フリッチャイの記事で述べてある、「5)・・・月の光・・・妖精の踊り・・・」の箇所)が、とてもきれいなこと、クライマックスが壮大なことが非常に印象的な演奏でしたが、現在CD化されてはいないようです。CD化されるなら是非また聴きたいと思っております。

自分がオーケストラのメンバーとしての演奏経験は、残念ながら過去2回だけです。



「モルダウ」とは関係がない、といえば関係がないのですが、川、という意味では「モルダウ」にかさね合わせてしまう、子供の頃の思い出があります。
中二で新設校に行くことになった大きな理由は、私の実家が、それまで住んでいた地域の裏手の山を削って造成したところに出来た新興住宅街に引っ越したからでした。
引っ越す前は、その裏手の山の麓から川が流れ出していました。ホンの短い上流は岸辺に土筆が生え、水の中を泥鰌が泳いでいるほどの「清流」で、まだ造成が始まる前は、そこまで行って土筆を摘んだり泥鰌をつかまえて来て味噌汁の具にしたりしていました。山にも、食べられる茸がたくさん生えていましたし、山芋を掘ってくる人もいました。
ですが、川はすぐ、住宅街の方へ流れ込み、そのとたん、生活排水で、それまでのさらさらした水から一変して、ドロドロになるのでした。これは、裏山の造成前からそうでした。
それでも、小学生の間は、そんなドロドロ川を、何人もで連れ立って上流まで遡る。「モルダウ」の音楽とは正反対の方向へ向かうわけです。それで、きれいな上流にたどり着くのが冒険、なのでした。

造成が始まると、上流も、もう泥鰌も棲まず、土筆も生えない有様になってしまいました。
忘れられないのは、いざ自分の家が造成地の方に新築が始まる間際の頃、ふと「そういえば、あの土筆の生えたあたりはどうなったかな」と行ってみた時のことです。
人が訪ねなくなっていたので、一面、丈が伸び放題の雑草が生えていました。それをかきわけかきわけ歩いていき、足下に何かが転がっているのに気づいてふと目をやり、びくっとしました。
転がっていたのは雉子の死骸でした。
「え?」
と、周りにも目をやると、転がっていた死骸はそれひとつだけではなかった、だなんていう言葉では到底いい尽くせないほどの数でした。無数に折り重なって、というのでも、表現が及ばない。うずたかく積もっていたのでした。

そうやって作られた、当初人口2万人を擁したといわれる(ここは記憶が曖昧)新興住宅街も、40年後の今日では、老人世帯ばかりの増加が目立つ場所になってしまいました。ピカピカだったコンクリートのアパート群は老朽化して傾き、昨年完全に取り壊されました。跡地の使用法は、もう決まっただろうか?

自然環境を壊して作った新環境が、たったこれだけの年数・時間でまた破壊されていっているわけです。

環境というものの正体とはなんであって、その破壊とはどうして起きるのでしょうか?

・・・「モルダウ」に似つかわしくない話ですみません。


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sergjOさんの記事の便利なインデックスも是非ご活用下さい。

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