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2008年11月21日 (金)

父の「影」〜ボロディン「交響曲第2番」から:好きな曲011

心臓移植への応援の願いサイト「大樹君を救う会」
http://savedm.web.fc2.com/
・・・是非、お目通し下さい。



ファジル・サイのつくば公演もお聴き逃しなく!
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/in-808f.html


・ボロディン「交響曲第2番」第2楽章〜カルロス・クライバー指揮 シュトゥットガルト放送響
カルロス・クライバー

「好きな曲010」で綴った、イッちゃんが死んだ日の夜は、たまたま具志堅用高の防衛戦だった・・・ように覚えているのですが、記憶違いかもしれません。何を見てるんだか分からず、ただテレビの前でぼおっと画面にたたずんでいたのだけはたしかです。

高三になっていた私は、当時は父親との仲は最悪でした。
ひとつ目の原因は、「私と血のつながりがない」祖母(母方ですが、父は婿養子です)と父の関係もこの頃一番ひどいと思われるくらい良くなかったこと(その頃は知りませんでしたが、金銭がらみだったようです。父は給料の殆どを新築した家につぎ込み、自分はせいぜい昼飯代程度しか手元に持っていなかったはずですが、それでも「家なんか建てて、どっかに大金を隠しているんじゃないか」みたいなことを祖母に言われたこともあったらしい。そんなことを言われれば、当然、我慢にも限界がありますよね)・・・理由を知らない私は、私を可愛がってくれる祖母を露骨に嫌う父が、自然と嫌いになっていたことにありました。
二つ目の原因は、進路です。私は高校入学のときから、大学は文学部、と、親に内緒で心に決めていました。「だから、高校のうちに理科系を勉強しておこう」という魂胆で、「理数科」というのに入ったのです。父は、私が当然理科系の大学を目指すものと信じ込んでいて、「大学に行くなら工学部だ、そうじゃなきゃ就職しちまえ」が口癖でした。この意識の食い違いで、よく大喧嘩をして、ある時には電気ストーブを蹴飛ばして壊してしまい、そのまま家を飛び出したりしましたし、しまいには口もきかなくなってしまっていました。

そんな時期の話ですが・・・でもって、時系列で行くと、初めてナマのオーケストラを聴いた話、レコードは雑誌の付録を集めてレパートリーを広げた話、中学の時には地元の大学オーケストラの演奏会に通い詰めるようになった話もしたいんですが、とりあえずすっ飛ばすことにして・・・、日頃露骨に「嫌い合っていた」父との、私にとって忘れられない大きな思い出(幼児期のものも別にあるのですけれど)のひとつは、この、イッちゃんの死んだ日に父がしてくれたことでした。

テレビの前にいる私のところへ、父は無言で一升瓶を持って来てコップを手渡し、日本酒をついでくれました。自分のコップも持って来て、父は手酌でそれに父自身が飲む酒を注ぎました。
そうして二人、そのテレビ番組が終わるまで、ちびりちびり酒をのみながら、黙って並んですわっていました。

大きい思い出、と言いましたけれど、中身はそれだけの話です。



冒頭に掲げた、カルロス・クライバーの指揮によるボロディン「交響曲第2番」は、面白いことに、父でやはり名指揮者だったエーリヒ・クライバーが演奏したものと同じCDに収録されて発売されています。(SWR music CD 93.116)

・エーリヒ指揮のNBC交響楽団の演奏もお聴き下さい。
エーリヒ・クライバー

エーリヒ・クライバーは、ウィーンではない場所のオーケストラでもウィーンの雰囲気を充分に持ったウィンナワルツの演奏をさせられるほどの名指揮者として評判の高い人でした。R.シュトラウスの歌劇(楽劇)『バラの騎士』の録音は、いまなお名盤の評判が高いですし、実際に、モノラル録音であるにもかかわらず、高い評判に値するだけの豊かな音を聴かせてくれ、目には見えない場面を音楽を通じて私たちにはっきりと見させてくれます。
残念ながら、ドイツ音楽で活躍した指揮者は、ナチスの台頭中、ドイツに残ったフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュの方が第2次世界大戦後いっそう名声を高めていったのに対し、皮肉なことに、そのファシズムに反抗を表明し亡命した人たちは、正当な行為をしたはずだったにもかかわらず、戦前の名声を取り戻すことが出来ませんでした。とくに故地に昔ほど受け入れられなくなってしまった典型例はブルーノ・ワルターですが、ワルターはアメリカに新天地を求めることが出来ましたから、まだ幸運でした。エーリヒの場合は、南米に活路を見出しはしたものの、結局は安住の地を再び見出すことが出来なかったに等しかった。1956年という、戦後まだそれほど経たないうちに亡くなったことも不運でした。・・・そうでなければ、彼の音楽性の豊かさは、彼にもっとふさわしい、高い知名度を、現在でももたらしていたかもしれません。

息子のカルロスは、終生、この父を「規範」とし、父を超えようとし続けた、と伝え聞いています。詳しい話はたくさんの刊行物にもあり、ブログなどを捜してもエピソードが出て来ますので、あらためては触れませんが、このボロディンにしても、「バラの騎士」(録画が2種類、現在も入手できます)にしても、父の重要なレパートリーでした。2回タクトをとったウィーンフィルのニューイヤーコンサートで採り上げたJ.シュトラウス作品、またしかり、です。彼のレパートリーは極めて限定されたものでしたが、
「父を超える演奏が出来ないものは、自分はやらない」
と、心に決めていたのでしょうか?

是非、もう一度、親子の演奏を聴き比べて見て下さい。・・・2拍子のスケルツォです。

・父(エーリヒ)
エーリヒ・クライバー

・子(カルロス)
カルロス・クライバー

・・・化学者としても第一人者でありながら、音楽家としてもロシア国民楽派(五人組)の中で、リムスキー=コルサコフの先輩として最も優れた作品を残したボロディンの、ずっと弾きたかったシンフォニーですが、実際に弾けたのは社会人になってだいぶ経ってからでして、しかも、その時の演奏とは成功とは言いかねましたので、リベンジしたいと思っております。
小学校時代にたまたま、珍しい20センチ程度の赤い半透明のレコード(30センチ版でも同じ創りのものがあり、EMIのエンジェルレーベル独特のものでした)で中古屋さんで見つけて来たのが、私とこの曲との出会いでした。珠算検定の帰りでした。・・・後先になってしまいましたが、じつは、ベートーヴェンとドヴォルジャークに次いで3番目に知った交響曲でした。


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