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2008年11月 9日 (日)

トロイメライ・・・夢・・・(シューマン):好きな曲004

心臓移植への応援の願いサイト「大樹君を救う会」
http://savedm.web.fc2.com/
・・・是非、お目通し下さい。



ファジル・サイのつくば公演もお聴き逃しなく!
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/in-808f.html


現在の精神上、かつ、手をつけてしまった教材の難しさから、なかなかメドが立ちませんが、従来の話題も復帰すべく怠らず勉強しておりますので、そちらはしばしご猶予下さい。


おそらく、どなたもご存知の曲です。トスカニーニも娘婿だった故ホロヴィッツが、アンコールで必ず演奏していた、という作品です。私の最も気に入っている・・・というより、尊敬している演奏で。

シューマントロイメライ:「子供の情景」から

ウィルヘルム・ケンプ



歌を一生懸命うたうのは楽しかったですけれど、学校で渡されたハーモニカを通じて、楽器を奏でることの喜びの方が、もしかしたら歌より大きいかも知れないな、という気持ちも、小さい私の中で徐々に大きくなっていました。
今にして思えば、歌であろうが楽器であろうが、音楽というものは手段で価値が変わるわけではないのですが、なによりも楽器は「歌」では出せない高さ・低さの音まで出すことが出来る(人の声やある楽器が出せる音の高さの範囲のことを音域と言いますね)。それで心を表わす幅も、ずっと広がるような気がしたのでした。・・・ですが、
・まず、我が家には小さなプレーヤーがひとつあるきりで、レコードの数も少なかった
・レコードの演奏にしても、後年知ったものに比べると、レベルは低いものが圧倒的に多かった
・とりわけ、日本の合唱の質は(今なおそうですが)ヨーロッパに比べると低いか、異質である
ために、声楽の良さにほんとうに感動する機会は、すこしあとでNHKが毎年招聘するようになった「イタリアオペラ」を初めてテレビで見るまで訪れませんでした。そのテレビも、
「子供が、何でそんなものを」
と言われながら、家族に無理やり頼み込んでみせてもらったものでしたが・・・
とにかく、声楽への感動は、時期としてはあとちょっとだけ後の経験です。

3702461157もちろん、歌うだけでなく、数少ないレコードを繰り返しじっと聴くのも、密かな楽しみでした。歌をうたってもいい時間が過ぎて、寝るまでのちょっとの間、小さな音量で聴くのです。これが、そう言う制約の下だったからでもあるでしょう、何とも言えず夢心地にさせてくれる、大事な時間でした。
まだ「クラシック」に凝る以前のことですし、10歳にもならないうちのことですから、長い曲は無理で、いくつかあった短いピアノ曲(17センチ盤のEPかLPでした)が中心になります。
そのなかに、弦楽オーケストラをバックにした、この「トロイメライ」の演奏がありました。
記憶の中では素晴らしいアレンジだったと思っているのですが、その後実家が転居してから、何度捜しても見つかりません。大学生の時に、千円で入手できたのが、幸いにして今日掲載した、ドイツの名ピアニスト、ヴィルヘルム・ケンプのものでした。現在は他の曲との組み合わせで数種のCDになってしまっています。

子供の頃は、自分のうちの宗派に関係なく、子供会で、夕方になるとまちはずれ(むらはずれ、と言った方が近いのですが)のお寺の鐘を衝きにいく当番があり、行くと、帰りに、住職さんがお供え物のお菓子を分けてくれるのでした。
「線香臭いな」
「けど、うまいよな」
なんて言い合いながら、歩きつつそれを食べるのが楽しみでしたが、「トロイメライ」には、そうやって衝いてくる鐘の響きをもふと思い出させる柔らかな、厚い綿でくるまれるような暖かみがあって、それもこの曲が好きになる上でおおきかったのではないかな、と思います。

ピアノは、妹は買ってもらえ(実家がそれまでの長屋から戸建てへと転居した後のことです)、先生にも付けてもらえたのに、何故か私は頼んでも頼んでも「ダメ」の一点張りで、とうとう習う機会がありませんでした。ですので、大学時代にケンプのLPで感動するなり、楽譜を買って来て自己流で弾きました。自己流ですから、そのときから何年間かはずっと弾けていたのですが、今はもう弾けなくなってしまっています。いま、楽譜も所有していません。また弾きたいなあ、と思っています。
ただ、弾けていた、という当時の私のピアノは、ケンプの敬虔さをたたえた演奏とは違い、感情の起伏にまかせた大げさなもので、ピアノの達者な1年先輩に「もうちょっとなだらかな曲なんじゃない?」と注意されましたっけ。

この曲には、そんな、音以外の思い出はなにもくっついていません。それでも、他のどんな音楽よりも忘れがたいのは、10歳にもならないうちから50歳を前にした現在まで、一環して大好きな曲であり続けるからだと思います。
結婚して数年して、やっと電子ピアノを買うことが出来た時、家内に弾いて聴かせようと思った時には、もう弾けなくなっていました。ですので、家内は私の弾いたトロイメライは(彼女の耳にとって幸せなことに!)聴いていない、と思います。



精神異常で不遇の最期を遂げたシューマンは、管弦楽曲を書くにあたっても非常に優れたオーケストレーションを施した人物であるにも関わらず、その構成の複雑さから音が濁りやすく、母国でも最近まで低い評価に甘んじざるを得ませんでした。岡田暁生さんの近著「ピアニストになりたい!」に登場する、ピアニストとしての指作りをするための道具をいち早く試した一人であり、結果は指を壊すという失敗に終わったのですが、見方を変えれば、これも、音楽の時流の最先端に常に目を向けていた気鋭の人物だったことのひとつの現れだといえるでしょう。彼の批評が当時の楽壇の若手たちを前向きに刺激し、ベルリオーズ、メンデルスゾーン、ショパン・・・最初は否定的でしたが結局はワーグナーも・・・といった、先輩、同年輩を含む多くの新世代を精神的にバックアップした功績は、こんにち多くの人が認めている通りです。最後に見出した俊英が、ブラームスでした。
一方で、作品の方は、ピアノ曲・歌曲を中心とした限られたものだけが評価された程度で、こちらは不遇と言わざるを得ません。ピアノソロ以外に好評を保ち続けて来たのはピアノ協奏曲くらいのもので、4つの交響曲が均等にその素晴らしさを認められるようになったのもここ数十年のことです。室内楽は精魂こめたわりには、比較的聴きやすいピアノ五重奏以外にはあまり知られていません。野心作のドイツ語オペラ「ゲノヴェーヴァ」は、ようやく日の目を見はじめたところです。

ピアノ曲も、当時の先端をいく高テクニックを要するものが多いのですが、じつは他のジャンルの作品も、そうしたピアノ曲と構造的に差異があるものではありません。「モノクロ」であるはずのピアノ曲は、とても1台の楽器で奏でられたものとは言えないほど色彩感に富んでいます。
ところが、高技巧で複雑な作品よりも、「子供の情景」のようなシンプルな作品の方で、いっそうその色彩感が表面化しているのは、不思議なことでもあり、シューマンの最大の魅力でもあります。
「子供の情景」は、「トロイメライ」以外のどの小品も素晴らしいものではありますが、じつは1曲1曲を別々に聴くのではなく、全部を、シューマンが書いた通りの順番で、通して聴く時に、初めてその真価が分かります。前の曲から次の曲への繋がりが・・・理屈で言うと、不自然にならない調の関係で・・・なだらかで、ムードにも切れ目がありません。是非、全部通してお聴きになってみて下さる機会をお持ち頂ければ、と思います。(おなじような「森の情景」と題された曲のグループがあり、これもケンプのCDでは一緒に収録されたものがあります。「森の情景」も私の大好きな曲集ですけれど、統一感という点では「子供の情景」には及びません。)


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