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2008年10月12日 (日)

フルトヴェングラーとカラヤンの「マイスタージンガー」前奏曲

大宮光陵高等学校音楽科23回定期演奏会は本日無事終了致しました。ありがとうございました。



昨日記事では、バイロイトで1984年に上演された「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から、第1幕への前奏曲に用いられる動機の登場する3場面をYouTube画面でご覧頂きました。

そちらの最後にお約束した通り、本日はフルトヴェングラー、カラヤンそれぞれが残した、前奏曲の映像(これも幸いYouTubeにアップされていましたので)をご覧頂きます。

新鮮な耳で聴くと、演奏様式に結構大きな相違点があるのに驚かされることと思います。
いずれもベルリンフィルの演奏です。

・フルトヴェングラー(1943年または44年?、ベルリンにて)

・カラヤン(1957年 日本公演、東京公演)

いずれも日本で発売されているDVDに収録されていまして、
・フルトヴェングラーのものは「ベルリン・フィルと第三帝国」
・カラヤンのものは「カラヤン ベルリンフィル 1957年日本特別演奏会」
それぞれ入っています。

なお、とくにフルトヴェングラーの映像ではあまり映し出されないのですが、弦楽器の奏者のボウイングが決して「弓を弦にべったり付けっぱなしではない」・「たとえばダウン・ダウン、と同方向で弾きなおさなければならないときの動きが非常に速い」ところを、じっくりご覧下さい。レガート部分での管楽器のアンブシュア(がもし映っているところに目が止まったら)の、ディナミークが如何に変化しても安定を保っている(崩れない)ところも注目して頂きたいと思います。
日本人のオーケストラで表情が豊かな団体は、反面、往々にして崩れやすいのですけれど、こうしたところのフォームの安定度が低いためです。逆に動きが少ないオーケストラは表情も貧しくなりがちなのは、安定を保つことに気を取られ過ぎていて、その中で以下に幅を出すか、という「熱意」がキープできない。指揮者の指導が良ければその時は改善されますが、指揮者が「凡」になると元の木阿弥になるのは、オケマンの基本的姿勢の問題だと思われます。
こういう中で、設立当初からの努力の積み重ねが着実に伺われるのが、サイトウキネンオーケストラではないかと思います。最近出た『幻想交響曲』DVDの響きは、設立当初のこの団体の荒さを思い出すと、別人の集まりではないかと思えるほど良質な演奏です(といいながら予算都合で購入はしておりません、全曲立ち見立ち聴きです、ゴメンナサイ!)。地方オーケストラもご奮闘とは思いますが、強力な財政的バックがないと多くの人に聴いてもらえるメディアを出すのも一苦労で・・・単にオーケストラそのものの問題に期するのではなく、スポーツ業界並みの肩入れを、少なくともオーケストラ界にも貰えないものか、と、常々口惜しく思います。



ここで「前奏曲」の形式およびライトモチーフについて一言しておきましょう。
この前奏曲は<ソナタ形式>と見なされていますが、調性面では呈示部は<ソナタ形式>のルールにそぐっておらず(すなわち、テーマの転換点で転調がなされておらず、主調のハ長調で貫かれている)、第3部はこじつければ再現部と見ることが出来ないわけでもありませんが、主要主題がむしろ「愛の主題」に置かれている(これは全体の構成の中では中間部、すなわちダ2部で初めて登場する)などの事情から、<三部形式>だ、と、単純に割り切って差支えないはずです。従って、以下、登場するライトモチーフについては、第1部、第2部、第3部という形で集約します。

第1部:開始部=「マイスタージンガーの動機」、静まり返る箇所=「求愛の動機」
    ファンファーレ=「ダヴィデの動機」、カンタービレ部分=「マイスターの来るべき指針の動機」
    第1部の締めくくり=「愛の情熱の動機」
第2部:開始部=「愛の主題」
    頂点の後のおどけた部分=「マイスタージンガーの動機」&「愚弄の動機の一部」
第3部:「ダヴィデの動機」と「愛の主題」、「マイスタージンガーの動機(低音部)」の重なり合い
    終結部=「ダヴィデの動機」
    エンディング=「マイスタージンガーの動機」



フルトヴェングラーとカラヤンの「演出」の違いに話を戻します。
マイスタージンガーの動機を歯切れよく演奏するフルトヴェングラーの様式は、ステレオ時代以降にクラシックに馴染んだ人にとっては、むしろ違和感があるのではないでしょうか?
しかしおそらく、バイロイトの伝統ではフルトヴェングラーの様式の方が一般的ではなかったのかと想像され、今日は掲載しませんが、クナッパーツブッシュも同様の解釈を施しています。また、以前例示したカール・ムックもこちらの系統です。

・カール・ムックの演奏再掲
MeistersingerPrelude-Act 1
APR APR-5521

一方で、意外や意外、カラヤンの演奏は、彼を忌み嫌ったベテラン陣の顔ぶれの中に入っているトスカニーニが、かなり近い解釈で演奏しています。

音声だけなのですが、YouTubeにトスカニーニの演奏へのリンクもありますので、これもご参考までに掲載します。



ベルリンフィルやウィーンフィルの来日時のアンコールでは、この前奏曲は定番だったようで、先のカラヤンのDVDの他、ベーム/ウィーンフィル1975年来日時、ショルティ/ウィーンフィルの1994年来日時の演奏もDVDになっています。後者は名演です。

本日はこんなところで。


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