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2008年10月27日 (月)

ヴァイオリンに・私がしていた・誤解

ここんとこ考え始めた「古楽」問題の続きです。--->(最初)(そんつぎ)

私自身は、自分のヴァイオリンを自分でメンテナンスしたりはしません。駒が曲がったら直すくらいです。・・・何でそれ以上はやらないか? 所詮、どこまで行っても、楽器のメカニズムとか質については素人だからです。そんなに高価な楽器を手にしているわけではありませんが、状態は気に入っていますし、ヘタに手をつけて、それを崩すのは、さすがに怖い。

ですから、楽器のメンテナンスを謳った本には手を出したことがありません。

が・・・今日、ふとこないだから抱いた疑問のひとつ、
ストラディヴァリは合奏用、グァルネリ・デル・ジェスはソロ用に作られたのではないか?」
という疑問に答えてくれる適切な本はないか、時間にちょっとゆとりがあった時、ふらりとあたっていたら、ずいぶん前から出ていた本なのですが、書店においてあるのが
「弦楽器のしくみとメンテナンス_マイスタのQ&A 」(佐々木朗、音楽之友社)
しかありませんので、軽い気持ちで開きました。

ストラディヴァリが、当時としては沢山作られた、という認識自体は間違っていませんでしたし、変に自分でメンテしない方がいいという「心構え」も間違いではなかった(ですので、この本も専門家に任せるべきところについてはキチンとそう記されています)ことも確認出来ました。その他さまざま、「おー、何にも知らない自分にしては上出来じゃないか!」と思うくらい、内容は普段感じていたことに一致していました。・・・この著者は信頼できる、と思いました。自分のいい加減さは棚に上げて、です。
とくに、ヴァイオリンなんてそう安易に「鑑定」出来るモンじゃあないし、金額で決まるモンでもない、という点をしっかり述べてあることには、たいへん好感が持てました。



で、やっぱりこちらは素人で浅はかだった、と思ったのは、佐々木さんの記述(豊富な実体験に基づく)によれば、グァルネリの渦巻き部分はストラディヴァリに比べて造り(細工)が荒い、ということを全く知らなかったと気づいた瞬間でした。

ストラディヴァリには手抜きがないんだそうです。渦巻きの細工も丁寧なんだそうで。つまり、たしかにたくさん作ったかもしれないけれど、それはおそらく「まとまった数」の受注があったから(その可能性は0ではないでしょうが)というだけでなく、新作・・・作り立てほやほやの時から、今の言葉で言えばブランドものとしてきっちり知れ渡っていて(ですから、作られた当時から高値がついていたことは、結構いろんな人の話に出て来ます)、ここは他の人が書いていないところだし、佐々木さんの表現も間接的なのですが、ストラディヴァリの工房は、ブランドであることに誇りを持ち、ブランドであることをけがさない仕事をし続けたから、注文も長期間にわたって多くなされた結果、たくさんの作品が残った、ということなのでしょう。
対するグァルネリは、音響への影響が小さい渦巻きの部分は手を抜いてもいいと思った。理由は分かりませんが、昔読んだ本に「生活の荒れた人だった」みたいな話があったから、それを信じれば(って、いいかげんだなあ・・・)、とにかくいまこのとき、いちばんいい音のする楽器が出来さえすれば、あんまり重要じゃないところはさっさと済まして、はやくお金に換えたかった!(・・・まあ、こんな話は、ウソでしょう。。。)

となると、数の残り具合や、通の現代ソリストがグァルネリを愛しているケースが多い(実際、江藤さんのグァルネリだけはかなりの間近で見もし、聴きもしましたけれど、衝撃的なほど太い音でした)ことから、一方のストラディバリと対比して「あっちはソロを、こっちは合奏を想定していた」などという安直な推測はしてはいけないんだな。。。



クレモナの銘器なるものは、実際には1丁を瞬間的に触ったことがあるだけで(セラフィンという人の作品でした。当時は楽器の扱い方が分からなかったから、ちょっとしか触らせてもらえなかった!)、こんな感じだった、というお話は私には出来ないのですが、学生時代から結婚して5、6年後まで、私は人から「おまえの奏法を直すにはこの楽器がいい」と、そのときどきの、その人から見た目で、その時々の私の欠点をカヴァーしてくれるさまざまなタイプの楽器を入れ替わり立ち替わり、「借りて」弾かされていました。音は弾き込んで作ったりしないで、とにかく調整の名人であるその人に任せっぱなしで、最初から「鳴る」状態で借りるのです。・・・今思うと、たいへん恐縮なことです!
ですから、響板の厚い楽器、薄い楽器、膨らみの大きい楽器、あまりない楽器・・・等々、それぞれがどんなふうに「鳴り」や「必要な弾き方」に違いがあるのかは、経験的には感じ取っているところはあります。・・・分かっている、とは、口幅ったくてとても言えません。ただ、楽器は胴体だけでなく、佐々木さんの指摘した渦巻き、まではホントのことを言うと考えたことも体験したこともありませんでしたが、糸巻き、糸枕、指板、テールピース(とその取り付け具合)、顎当てといった部品ひとつひとつの状態が、普通に思われているよりは結構重大なほどに、ヴァイオリンの音の具合に影響を与えます。指板が事故で剥がされた時に死ぬ思いをするほどショックを受けたことがあるのですが、こうしたときの修理は、大きくなれば指板の下地を削らざるをえなくなるので、指板の高さが下がり(これは佐々木さんのお言葉からは、製作側からみたときと奏者では感じ方が少しズレがあるのかな、とは思いましたが)、弾くときの体重の掛け方の感覚を変更せざるをえなくなるので、その事故は演奏テクニックのない私にとっては絶望のどん底に落ちなければならないほど致命的な出来事でした。・・・でも、アマチュアでは奏者自体が、あんまり理解していないので、残念です。

とにかく、いろんな「普通に出回っている」楽器をとっかえひっかえ弾いて来た私の目からすると、ストラディヴァリは平ら目で、エッジ(さまざまな角の部分)がしっかりした輪郭で出来ています。ということは、合奏した時につややかな響きがカーン、と通るので、ヴィヴァルディの合奏協奏曲なんか弾いたら、それこそ鮮やかな音がするんだろうな、と、そう感じたのです(このへんはトロンボーンのマウスピースの話と同じです)。
グァルネリの方が、エッジは甘い気がします。それでも、あの膨らみは、計測したら多分、陪音がより豊富で、エッジが鋭くなくてもストラディバリに比べると独特な音色感があり、奏法をきちんとマスターした人にとってはこうした楽器でも輪郭のはっきりした音を出すなんてそう難しいことは無いですから、きっと、合奏の中からきちんと浮かび上がって聞こえるんじゃないか・・・あくまでかたちからの対比でそう思い込んでいたのですが。

こういう決めつけは、結局のところ、あまりよろしくなかった、というお話でした。

これだけ、なんですけどね。

お粗末様でした。


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