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2008年10月16日 (木)

モーツァルト:フルート四重奏曲ニ長調K.285

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



マンハイムで作曲され、1777年12月25日の日付を持つこの四重奏曲については、他のフルート四重奏曲(K285a、K285b)との兼ね合いも考え、1778年の作品概観で、挫折に終わったミュンヘン訪問以降に77年暮に立ち寄ったアウグスブルクでのこと、それがあったからこそのモーツァルトでのマンハイムでの充実感(所詮は幻だったのですが)についても瞥見した上で触れるのが妥当かな、と、迷っておりました。

が、K285a、K285bの両作品についてはモーツァルトの真作であるかどうかが疑われているとのことでもあり、これら2曲がいずれも2楽章構成で機会音楽的なものであるのに対し、「ニ長調」は充実度にはるかな隔たりがあり、やはり、翌年の作品群に触れる前に、是非見ておかなければならない、と意を決した次第です。(したがって、有名作ではありますが、K285a、K285bの2作品については、いまのところ、後日になっても触れる意図は持っておりません。)

しかし、そのような経緯がなくても、この「ニ長調」は、作られた年代でのみ観察されるべき作品ではないことも、存分に思い知らされております。



楽譜には、演奏の手段、というだけでない、読み物としての楽しさもあります。もちろん、私はヨーロッパ音楽についてだって深い知識を持っているわけではありませんが、他の地域の音楽についての知識となるとさらに、遥かに薄っぺらさを増します。ヨーロッパのバロック以降についてなら、辛うじて少しは読める、という程度です。
そんなレベルの私にも、モーツァルトの「フルート四重奏曲ニ長調」は、非常に驚くべき<読み物>でした。

この作品、有名ですから、お聴きになった方はたくさんいらっしゃると思います。
そのどなたもが、
「とても単純明快で、伸びやかで素直な作品だなあ」
と、すっきりした後味をもって作品を堪能なさったのではないかと思います。

私自身、訓練の一環として勉強させられたり、あるいは仲間と楽しみのために何度となく演奏した作品でもあります。
演奏にあたって、しかし(作曲論などで専門に勉強した人はそんなことはなかったでしょうが)作品の構造に踏み込むことよりは、主題の明朗さと音の軽やかさ(第2楽章は過度ではない感傷)が必要であること、それはどのように演奏すれば獲得できるかということについてレクチャーされたり、雑談したりした程度でした。

あらためてスコアを「読んで」みることにして・・・
「いやあ、そんなアプローチでは甘かったなあ!」
と、ただ驚愕の念を禁じ得ませんでした。



くどくどと構成を述べると、作品が確かに持っている「単純明快さ・伸びやかさ」という大事な、いや、この曲の魂である部分が、どうしても隠れてしまいます。なぜなら、構成を述べるのは数式の羅列に過ぎなくなるからで、一昨日引用したバーンスタインの言葉の一断面
「音楽が伝えるのは物語じゃない。音楽は、何かについて表わすものでは決してないんだ。音楽は音楽、ただそれだけ」
という部分には当てはまるのですが、それ以降にバーンスタインが述べている大事な部分、
「たくさんの美しい音符と響きがひとつになって、聴いていると喜びを得られるもの、これが音楽のすべて」
等々ついては欠落した記述しかなし得ません。

ですから、まずお願いしたいのは、お読みになる際には、是非、この作品のお気に入りのCDをお見つけになって、実際に聴くことによって、私の文の欠落を補って頂きたい、ということです。・・・ただ、実際にあたった限りでは、なかなか「これ」という演奏に巡り会えない、それだけ演奏面では難しい(おそらく演奏者が多少ナメてかかってるんじゃないか、という気がするのですが)のも事実です。
私は最終的に、信頼する某若手有望女性フルーティストにお伺いを立てて、そのおすすめの録音を入手しました。それは最後にご紹介します。



さて、お聴きになり始めて下さったでしょうか?

では、まず、この作品の、大まかな特徴を箇条書きでまとめてみます。
第1楽章についてだけでも、以下のようなことが言えます。
・(明快に聞こえることに比べると)主題構成が非常に凝っていること
・目立たぬ中に「1小節単位の短いカノン」や「半音進行」の技術を織り込んでいること
・フルートの主旋律に対するエコー(とくにヴァイオリンとヴィオラ)が登場のたび変形されていること
・ヘタをすると聞き飽きてしまうような「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のような、教科書的なソナタ形式ではないこと

で、全体を通じて言えるのは、
・3つの楽章の組み合わせが、イタリア風シンフォニアを彷彿とさせること
・各々の楽章も、イタリア風シンフォニアと同列と見なしていい確かな設計をしていること
・フルートソロを際立たせながらも、コンチェルト的ではなく、シンフォニアと呼ぶにふさわしい、「技巧をひけらか」さない作りであること

と言ったあたりでしょうか。

それまでの室内楽、とくに実験を重ねながら作り続けていた弦楽四重奏曲に比べても、音楽に「考えて踏みとどまった」足跡は決して残しておらず、それが作品の明るさを一層際立たせています。



あんまりならべるとこんがらがるので、第1楽章だけ、ディテールを見てみましょう。(楽譜の「絵模様」を読んでみて下さい。)

<呈示部>
Allegro、4/4、154小節
・第1主題:1-4(Ia)、5-12(Ib)、13-(19ないし)20(Ic)、21-25(Id)の4要素から成立。
・第2主題:26-32(IIa)、33-41(IIb)の2要素から成立。
・呈示部コーダ:42-50(Ta)、51-57(Tb)、58-65(Tc)の3要素から成立。
あんまり述べるとなぜこんがらがるか、は、この呈示部ですでに示されています。
IIbは5小節あったIdの4小節目の動機を元にして形作られています。TaはIbの伴奏部の装飾をハズしたものをもとに作ってあります。Tbはもう少し複雑で、IbのおしまいとIcの初め、Idを組み合わせたものを整形したものです。すなわち、第2主題、呈示部のコーダ(コデッタ=小結尾)の要素は、すでに第1主題に組み込まれています。
なお、伴奏にカノン風に織り込まれたエコーが聴かれるのは、Ibで、最初はヴァイオリンからヴィオラ、2度目はヴィオラからヴァイオリン、と、順番を入れ替えることで色彩感を出しているのは、聞き逃しがちですけれど、行き届いた神経で作られた部分です。Ic部にもカノン風の2小節が挟まれていますね。

<展開部>
大まかには、
(1) 66-78
(2) 79-93
(3) 94-99
の三部分から成り立っています。34小節間というのはこの当時でも別に特記されるほど大規模な展開部ではありませんが(大規模な展開部はベートーヴェンが初めて好んだのではないでしょうか?)、呈示部が65小節だったことを考えると、その半分の分量はあるわけで、けっして侮ってよい「短さ」ではありません。で、その中身がまた、巧妙です。
(1)の部分はIbの展開をイ短調に変じて行ないます(属調の同主調)。
(2)の部分はIcの展開です。ヘ長調です。(平行調)
(3)の部分は一見純粋に再現部への繋ぎに見えますが、Taの諸要素を組み合わせてあります。

<再現部>
当時の常套手段で、呈示部よりは縮めてあるのですが、縮めかたがユニークです。
・100-109までは、Ia、Ibを完全に再現していますが
・110-114はIcの後半部分だけを活かしています。
それだけならなんてことはないのですが、Icの前半は、ここで単純に「省略」されたわけではないのです。あとで現れます。
・115-123はIIaはすっとばして、いきなりIIbを使っています。このことで、音楽が冗長になるのを防ぐ意図があったものと思われます。
・で、124-131が再現部の最後なのですが、ここは呈示部のコーダTa、Tbを完全に再現している・・・これは同時代の作品の中では珍しいかも知れません。
普通ですとIIaの省略よりは、この呈示部コーダ部分を変形して曲を閉じるのです。
モーツァルトはそうはしていません。
なんと、コーダの始まる147小節に、先ほど省略したIIaを持ってくるのです。そのうえで、150小節後半からをIdとIIaを繋いだ要素を使って最後の締めを行なっている。

・・・ややこしいでしょう?
・・・やめときゃよかった?

分かることは、一つだけなんですよね。すなわち、この第1楽章は、全楽章に渡って第1主題を心柱にして作り上げられているのだ、という、実に驚嘆すべき事実。

え? ビックリしませんでしたか?

そりゃ、字で綴っても、訳がわからなくて面食らうだけですよね。。。



勢いですから、第2楽章(Adagio、3/4、35小節)について。
三部形式と見てよいでしょう。1-16、17-24、25-35です。この最後の小節が半終止で終わるところなど、モーツァルトはひょっとしたら本当はこの作品をイタリア風シンフォニアに仕上げたくて仕方なかったんじゃなかろうかと思わされてしまいます。第1楽章にもあるのですが、この楽章では2-3、7、20、24の各小節に半音進行の技法が目立たないように用いられています。
第3楽章は2/2のロンドですが、楽譜上には速度指定はありません。通常、第1楽章より一回り速いテンポで演奏されます。また、他の作例から推測するとPrestoの指示が暗黙のうちにあると思ってもいいのかも知れません。ロンドといいながら実質上は三部形式で、中間部が属調のイ長調であることから、その対象が聴き手にはっきり分かります(この中間部で光が増したように聞こえるはずです。私は自分に色調があるとは思っていませんが、ニ長調の全体が明るいオレンジ色だとすると、このロンドの中間部はきれいな黄色を感じます。

まあ、これくらいにしましょう。

最初にご紹介をお約束したCDは、Henrik Wiese(ヴィーゼ)とアルテミス四重奏団によるもの(WDR PRIMAVERA AMP 5062-2)で、本音を言えばブレスの都合で同一フレーズが違ってしまっている箇所が少々あるのが気にはなりますが、他に聴いたものに比べるとダントツにいい演奏でした。同じ編成で「後宮よりの誘拐」序曲を冒頭に、「ティト帝の慈悲」序曲を末尾に持って来た、構成的にも聴いていて楽しいCDですし、ヴィーゼ氏のフルートは過剰な息を使うことのないバランスのいい音ですし、アルテミス四重奏団も冷静にバランスを保っていながら決して単調に陥らず、命のこめられた演奏で、非常に好感を持っています。
お勧めしない例、というのを、あまり具体的に上げるのも気が引けるのですが・・・この演奏と非常に対照的で、フルート、弦とも「息の過剰」を感じずにはいられなかったのが、キャロル・ウィンセンスとエマーソン四重奏団による演奏です(品番は伏せておきましょう)。


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コメント

この曲はその表向きの親しみやすさとは
裏腹に、各声部の動きの自在さがスゴイです。
四声を追うように聴くとその旨み(?)がよく分かりますね。
後年のモーツァルトの特徴ともいえるものがすでに完成しつつあることがよく分かります。

K285a、K285bの除外は妥当だと思います。
内容の充実度が不可解なくらい違いすぎているので。

P.S) 弦楽五重奏曲K174が飛ばされているのがものすごく気になります。

投稿: Bunchou | 2008年10月26日 (日) 15時48分

Bunchouさん、いつもありがとうございます!

K.714は、手元の作品表に自分が「おとしていた!」とメモしてあります・・・面目ない。1773年作品ですね。
で、どっかの記事に「後日、第2番以降が作られた際に触れます」と言い訳した気がするんですが、気のせいかも知れません。意図的な除外ではないので、必ず触れます。ゴメンナサイ。

ニ長調のフルート四重奏曲は演奏していても「安定度」の高さにいつも感心していたのですが・・・だからこそ繰り返し繰り返し人と一緒に弾いたのですけれど・・・、「やってるだけ」と「チャンと読む」の落差をしっかり胸に刻まされました。いい勉強になりました。

それをお聴きになっただけで「四声を追うように聴くとその旨み(?)がよく分かります」と語れるBunchouさんには、ただただ、頭が下がる思いです。

私の耳は、ダメですねえ。。。

投稿: ken | 2008年10月26日 (日) 20時56分

>意図的な除外ではないので、必ず触れます。
了解しました!

>私の耳は、ダメですねえ。。。
いえいえ、そんなことないですよ。
僕の場合はたまたま、伴奏部分や内声部の
音の動きに感動してしまったことがあって、
それをキッカケに「各声部を追う」ような聴き方をするように
なっただけで、別に耳がイイわけじゃないんですよ。

>「やってるだけ」と「チャンと読む」の落差
分かります。
ウェブ上でモーツァルトの楽譜が見られるようになって以来、
僕も「聴いてるだけ」と「チャンと読む」の落差を
実感しています。
モーツァルトの初期弦楽四重奏曲がよく言われるほど
簡単ではないことを知ったのも、その「落差」のおかげでした。

投稿: Bunchou | 2008年11月14日 (金) 01時02分

技術的には当然、ハイドンセット以降の方が演奏が難しいのですが、音楽の創りとして(大人になってしまったかどうかの差なのですが)楽譜上でより明確に分かり、かつそのヴァリエーションの多様さに驚かされるのは、10代で書かれた弦楽四重奏群と、記述漏れをしてしまった弦楽五重奏です。
で・・・「遊び」で弾く分には取りかかりやすいのですが、これを厳しい日とに監視されながら演奏するほど<キツい>思いをさせられる作品群もまた、ありません。ベートーヴェンの6番までの初期の四重奏か、ハイドンの弦楽四重奏の方が、構造も明解ですし、「ハイドンセット」より敷居が少しだけ低いですから、モーツァルトの初期で苦悩するくらいならベートーヴェンの初期で歓喜した方がハイドンさんもにっこり、ってとこでしょうか。。。ああ、モーツァッルトの初期には、練習では辛い思い出ばっかり!

投稿: ken | 2008年11月15日 (土) 23時39分

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