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2008年10月 6日 (月)

曲解音楽史46)戦国期の日本

大宮光陵高等学校音楽科23回定期演奏会、是非お越し下さい。



前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽  5)トランス 6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ  14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア  16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
    18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
    20)日本固有(?)の古歌 21)グレゴリオ聖歌
    22)平曲と能楽:付)発声法について 23)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌
    24)西ヨーロッパ中世 25)ジョングルール 26)十字軍時代前後のイスラーム
    27)ペルシア伝統音楽〜中世からの遺伝子 28)インド中世 29)宋・元時代の「中国」
    30)日本の「オラショ」 31)ヴェトナム伝統音楽 32)インドネシア 33)東アフリカ
    34)イスラムと西欧の融合 35)ルネサンス? 36)フランドル楽派 37)16世紀スペイン
    38)16世紀中南米 39)15-16世紀イタリア 40)英仏戦争の頃 41)15-16世紀中欧
    42)オスマントルコ 43)アフリカ 44)明朝時代の「中国」 45)朝鮮中世



朝鮮侵攻した頃の日本は、歴史の教科書類では「民衆が活気づいた時代だ」とされるものの、その文化についてまとめた内容には意外に偏りがあります。たとえば、建造物や美術工芸品については、打ち続く戦争(合戦)で焼けてしまったものが多い、とのことで、紹介される事例は安土桃山時代としてくくられる時期の後期に限られます。それでも決して優れたものがなかったわけではなく、代表例として山形県の羽黒山の五重塔(戦国大名であった最上義光が再建したもの)などは、まさに戦国期まっただ中の建立であり(1370年頃)、その後ある程度の平和が訪れた時期に伊達政宗が宮城県仙台市に建立した大崎八幡宮の絢爛さとは違った、渋い重厚感に溢れていたりします。焼け落ちた安土城に思いを馳せるのも結構ですが、他の時代に比べると、私たち素人は合戦譚にばかり目が行きがちです。こうした建造物の遺構のほうにこそ、目を向けなおしていくべきではなかろうか、と、自分自身合戦の話にばかり夢中だったことを反省しつつ、考えております。
幸いなことに、ザビエルに始まり、フロイスやヴァリニャーノといったイエズス会の宣教師が残した記録で、西日本域に限られますが、当時の人々の生活については、「外からの目」による記録が豊かに残るようになったのもこの時代の特徴です。が、概してそれらの本(訳書)が高価だったり、新書にダイジェストが載っている程度で、全体像が本当には掴みにくいのは、やや遺憾です。


音楽については、ザビエルの興味はどうしても布教の場を見出すことに重点が置かれざるを得なかったため、すくなくとも講談社学術文庫にある『ザビエルの見た日本』(P.ミルワールド著、松本たま訳、1998)には音楽に関する記述は見出せませんでした。・・・読み落としがあったかなあ。。。
後年、キリスト教の聖歌教育に熱心だったヴァリニャーノが
「日本の弦楽器は聴くに耐えない」
と述べていますが(團位玖磨『私の日本音楽史』孫引き。69頁、NHKライブラリー1999年)、これは明治初期に日本に長期滞在したモース(大森貝塚の発見者)と同じ見解なのが興味深いところです。西欧人の耳には、同じ発言楽器でも、リュートやハープとは全く違う、騒音としての響きしか、琴や琵琶には感じられなかったのですね。
フロイスの日本人観察は文庫にまとめられたものがあり、安価に読めるのが嬉しくてすぐ買ったのですが、家内逝去直前だったのでどさくさに紛れて紛失し、今参照できません。先ほどの團さんの本から、また孫引きすることでご容赦頂きたいと存じます(再入手できて面白い部分を見つけたら追記などします)。・・・彼の印象も、また、似たり寄ったりです。
「(日本の音楽は)単音がきしきしと響くだけで、ぞっとする」
では、日本人の方はどうだったかというと、
「(協和音や調和は)かしましい、といって好まない」
つまり、この嗜好が江戸期も続いていたのだとすれば、明治期に西欧音楽が「すんなり」日本に馴染まれたように見えるのも、実は非常に政治的で作為的なものだった、ということを窺わせてくれます。


さて、当時の日本人そのものが、自分たちの音楽、音環境をどう感じていたか、となると、まとまった文献は(もしかしたら存在はするのでしょうが)庶民の手に届くところにはありません。
とくに、武家に属した婦人の回想録である「おあむ物語(石田三成の城の落城を回顧)」、「おきく物語(大阪城の落城を回顧)」は、落城という場面が場面だけに、音楽の話など全く現れません。(いずれも岩波文庫に収録されていましたが、絶版です。古本では割に出回っています。)

どんなものが演じられていたか、となると、文庫で読めるのは武家の記録に限られるため、民衆ベースのものは分かりませんでした。ですが、先のフロイスの感慨の一端から、民衆も、琴や琵琶の奏楽をある程度楽しんでいた(それが、専門の演奏家が弾くものを聴く楽しみだったのか、自ら弾く楽しみだったのか、までは分かりませんが、おそらく前者でしょう)ことが推測されます。

武家に関わりはあったものの武家ではない、連歌師宗長の日記は(岩波文庫 黄123-1)、また、漂泊する人の間では尺八が愛好されていた様子を数ヶ所描いていて、興味を引かれます。22頁に登場する紹崇という人物は、時宗に属する「尺八吹く僧」だったといいますし、三井寺の老僧が尺八を披露する場面もあります(40頁)。また、面白いのは、渡し舟で、笛・つづみ・太鼓が鳴らされ、舞が舞われたらしい様子が数ヶ所現れることで、そうであれば舟は単純に人を向こう岸に渡す小さなものではなく、相応の大きさがあり、安定感もある乗り物だったことも想像できます(85頁他)。「田楽のうたひ物」が口ずさまれている様子も現れます(97頁)し、小座頭が浄瑠璃をうたう、などといったこともあったようです(164頁)。・・・必ずしも純粋に音楽ということは出来ない、語り物や芝居の要素も含まれる物ではありますが、庶民の音楽文化は、時代劇なんかに現れるよりは人々が身近に接することのできるヴァリエーションも、結構豊富だったのではないでしょうか?

合戦の場での楽器の役割というのは、洋の東西を問わず重要だったようで、それは「いまここでは合戦が行なわれているから、関係のないものは入って来ないように」という合図でもあったかのようです(「中世の音、近世の音」講談社学術文庫・・・恐縮ですが立読みです。でも、いい本で、お勧めできます)。「北條五代記」や「甲陽軍艦」には、そんな軍楽器として貝や鐘(鉦)も用いられたことが記されているようですが、残念ながら私は直接にはそうした文章に触れていません。貝については、大貝というものが、「太閤記」巻第十。二の一節(岩波文庫でリクエスト復刊されたものの22頁)に、戦闘中の将を鼓舞する場面で現れます。
太田牛一『信長記(信長公記)』(角川ソフィア文庫1969年、平成13年13版)は、当時の記録を駆使して書かれた力作であり、『太閤記』(リンクは上巻、中古)の講談調に比べると格段にないように信憑性が高いと察せられる残念ながら合戦の場での楽器の用いられかたは殆ど登場せず、私が見つけたのはかろうじて巻八(角川文庫183頁)に
「一番、山県三郎兵衛、推太鼓(おしだいこ=進軍の合図の太鼓)を打って懸り来り候」
以下数行に、推太鼓の語が数度出てくる箇所だけです(注釈に、退却の際にならす「引き鐘」というものが呼称だけ出て来ます)。
(太鼓については、「太閤記」で秀吉軍が柴田勝家に最後通牒を告げる場面でも「攻鼓(せめつづみ)」という打ち方で用いられた旨が記載されています。ただ、「太閤記」は『信長記』に比べると客観性に欠けるため、太鼓が打たれたのが事実であっても、「攻鼓」と呼ばれる打ち方があったのかどうかを信じていいかどうかは分かりません。)

合戦の場以外について、しかし、『信長記』は音楽に関する情報を極めて豊富に提供してくれます。(「太閤記」では秀吉の関白就任後にようやく音楽の記事が現れますが、『信長記』よりも登場する場が限定されていまして、そちらに現れる範疇のものはすべて『信長記』に包含されていると言っていいと思います。)

信長は内裏の復興を行ないましたから、当時の宮中で歌会のほかに「神楽歌」がきちんと伝承されて歌われていた様子も出て来ますし(角川版238頁)、武家の側は旧世代である守護職の家では能がよく催されていた様子が随所から窺われ、信長自身もそれを受け継いで盛んに能を催しているのが分かります(巻三など)。将軍(義昭)臨席のおりのものだと、番組表も残っています。演者も、秀吉の朝鮮出兵時の演能では今春に偏っているのに対し、観世・今春が半々ずつに配されていて、秀吉と信長の人間性の違いが出ているように思われます。
面白いのは、普請(大きな建築工事)のときに、職人を鼓舞するために笛、太鼓、つづみ、鳴り物(何かは不明)が脇で囃子をしていることが分かる場面で、幕府の御所の新造(巻第二、角川版95頁)、内裏造営(巻第十、角川版224頁)の折りに催されているのが描かれています。
舞も、有名な「人生五十年・・・」の場面を含め、しばしば舞われている様子が現れます。
楽器については、琴が宮中への持参品とさえていることから、琴は高級品として扱われていたことが分かります(巻第十二、291頁)。



豊かだった「戦国期」の音文化も、「能」以外は今はどのようなものだったかを具体的に再現されたものを聴くことが出来ず、非常に残念です(「能」の謡の例は掲載済み)。
尺八なども、今手軽に入手できる録音は江戸中期に諸流派が出来て以降のものだけですし、琴についても同様です。幸若舞も、独立で伝承されているものは、私は耳にできていません。資料をご存知の方にご教示頂ければ幸いに存じます。

歌舞伎の下座音楽のうち、開演前に鳴らされる太鼓、劇中の鐘や囃子などに名残はあるかと思いますので、それを少し、載せておきましょう。

・一番太鼓
一番太鼓

・寺鐘(梵鐘ではありません)
寺鐘

・祇園囃子
祇園囃子

以上、KING RECOEDS「鳴物選集」 KICH 2092/3


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