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2008年9月 2日 (火)

「読めて」いなけりゃはじまりません。。。付)シューマン:第2交響曲

今日、久しぶりに楽器を手にすることが出来て、さっきまで夢中で弾いていました。
これから1年かけて練習してみようか、と思っている楽譜を先日外出ついでに仕入れて来ましたので、それを試してみたくて仕方なかったのでした。

最初の1ページがある程度弾けるようになって、問題箇所の弾き方のヒントが分かればいいや、程度のつもりで始めたのでしたが、「ある程度」はクリアしたかな、とは思うものの、「問題点の解決法」は、把握しきれませんでした。

やはり、楽器を弾く前には、じっくり楽譜を読んでおかなければならない、と、痛感しました。
(ブログのネタを考えるのに活字とか、個人練習したいのとは別の曲のスコアばっかり眺めていましたから・・・しかも、今日はまだ、次のネタにと思っている本を読み終えたり、ノートにまとめたりしていません。)

というわけで、本日は、本来、綴るべきことがありません。

本も読めていない。

楽譜も読めていない。

いや、今日取り組んだ楽譜でも本でも、「浅く」程度だったら中身は把握しているつもりなのです。
しかしながら、その程度では「読めている」とはいえないんだ、ということを痛感した夜になりました。



「読めている」、というのは、「理解できている」ということでしょう。

本を読むスピードで言いますと、私は新書ならば通勤電車の行き帰り(片道1時間強ですが、電車に乗っているのは35分程度です)プラス昼食時間で1冊読み終えます。
単行本は、種類によりますが、段組みしていないものなら250ページ程度のものなら3日で読みます。

でも、早いわけではありません。とくに新書は、斜め読みで理解できるものが多いので、それ以上時間を掛ける必要を感じない、というだけです。

速読ではない証拠に、100頁の小説は1ヶ月かかります。それでも分からないものがあります。
小説は、たぶん、「理解してもらうために」書かれているわけではないからです。

いや、ここで「理解」という言葉については、もっときちんと定義しておかなければいけないのかもしれません。
私がここで言っている「理解」とは、「理屈が」・「(その理屈に賛成は反対かを問わず)理路整然と」・「頭の中で解き明かすことができる」状態を指しているのであって、言葉の意味としては狭い範囲にとどまっています。

100頁とはいわない。文庫本でたった3頁のカフカの小説でも、「分かった!」と声をあげてよろこぶまでに半年かかることだってある。
こういう「分かった」をも「理解」という言葉で括っていいのかどうか・・・これは案外難問ではないでしょうか?

同じことを、楽譜を読むことにも感じる今日この頃です。



・・・と、本日はまるきりの逃げ記事になりましたが・・・

「読めている」と感じるクラシック音楽の演奏例を上げておいて、「読めていない」私は、今夜は退散することにしましょう。

シューマン:交響曲第2番第3楽章
Schumann_ Symphony 2-3
バ−ンスタイン/VPO Deutsch Gramophone 453 049-2

「シューマンはオーケストレーションがヘタだった」と言い出したのは誰なのか分かりませんが、それはとくに
・第3番(「ライン」)と第4番で、同じ旋律をシューマンが管楽器・弦楽器を分厚すぎるほどに重ねて書いていることに最初の原因があり
・その音色を、あたかも違う色の油絵具を混ぜ合わせてキャンパスに置くような演奏ばかりが繰り返されて来たこと
に由来します。また、その結果、シューマンの管弦楽曲研究は遅れていたのではないかとも思います。

第4番は、冬に東京ムジークフローが演奏しますのでなんとか解析したいと思っているのですが、本当はシューマンが2番目に作った作品で、初稿の演奏は準・メルクル/NHK交響楽団のモノが出ていたりしますけれど、これを聴いただけでも、シューマンは当初は「同じ旋律に楽器を積み重ねる」オーケストレーションはしていなかったことが分かります。いま聴かれるオーケストレーションでは管弦が混在している箇所の数多くが、初稿では木管楽器だけで演奏される透明感の高いものです。

残念ながら、初稿の方のスコアの出版状況・入手方法が分からないため、具体例を上げられず、歯がゆい思いをしております。

バーンスタインは、1985-6年にウィーンフィルと残したシューマン交響曲全集で、「重なり合う楽器」でも音色を分離して聴かせ、シューマンがオーケストレーション下手ではなかったことを証明する演奏を展開しています。シューマンが重ねた色を、あたかもダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が補修を経て鮮やかに甦ったのと同じように、くっきりと浮かび上がらせているのです。(これは以前、「ライン」について述べた記事で綴ったことがあります。)

その全集から、しかし、今夜はあえて、シューマンがまだ「色を重ねずに使った」交響曲第2番の、これは「色を混ぜていないゆえに」美しい楽章を、敢てお聴き頂こうと思った次第です。・・・この作品の美しさはもっと知られていいと思うからでもあり、上げなかった他の楽章も併せ、シューマンの第2交響曲には、たくさんの後輩たち(ブラームスはもとより、反対陣営であったはずのワーグナー、ブルックナー、マーラーまで)を彷彿とさせる、豊かな響きがこめられているからでもあります。

これを機会に、御注目下さるかたがお一人でもいらして下さったら、この上なく幸せです。



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