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2008年9月28日 (日)

秘すべし、秘すべし

Ohfunakanzeon今日、子供たちと「小旅行」をしました。
息子が先日テレビを見ていて、何を思ったのだかふと
「お城ってどんなところ?」
と訊くので、じゃあ、それらしい実物を見せておこう、と思い立ち、娘の息抜きも兼ねて、小田原城まで出掛けたのです。
行きのルートでは通らないのですが、帰り道の途中が大船で、ここには有名な観音様がいらっしゃいます。娘が、そこにも寄りたい、という意向でした。
息子が幼稚園から小学生低学年の頃喘息で、ある夏、白眼が真っ黒に充血するほどまでひどい咳に苦しみ、家内が別の観音様に一生懸命
「治りますように」
とお願いしたことがありました。
幸いにして、息子は大きくなるにつれて自然に喘息が治り、家内は
「いつか観音様へお礼に行かなくちゃね」
と言い続けていました。
が、自分自身が、思いがけず心臓の急な病であっけなく死んでしまい、とうとう生前にお礼を果たすことが出来ませんでした。
その「代わり」の意味も込めて、大船観音様に「お礼をあのときの観音様にも伝えて下さいますように」
と、お参りしておくのも悪くないな、ということで、小田原城址を見物したあと、大船観音へも寄りました。備え付けのノートがありましたので、「お礼」の件を書きとめて来ました。

そんな合間に、息子が素朴な疑問を投げかけて来ました。
「観音様の中にいっぱい願い事やお礼が書かれている、っていうのは、みんなに知らせたいからでもあるのかな?」
「いや・・・」
私は、ちょっと返答に困りました。
「ここの観音様はね、大きな戦争のあとで、みんなが平和を願っているんだ、ってことをみんなが知っている必要があったから、それを誰でも分かるようにしておくようにしたんじゃないかな」
「なるほどねぇ」
「でもね、ずっと昔だと、中に<うちのおかあさんが天国(仏教では正しくは極楽なんですけれどね、天国と極楽の区別は、今の子供たちにはないでしょう)に行けますように>って書いて仏像の中にしまって、あとは誰にも見られないようにしていたんだ。願いがちゃんと叶うには、他の誰かが知ってしまうようじゃいけない。かなえて下さる仏様だけが知っていて下さればいい。誰でも知ってしまったりすると、<なんだ、あいつんちのかあちゃんなんか、天国に行けるわけがないじゃないか>って、軽蔑したりして邪魔することがあるからね。」
「ふうん。でも、ボクの咳は治ったから、みんなが知っててもいいんだね」
「まあ、そういうことかな・・・」

話しながら、少々戸惑いましたが。



平安・鎌倉期はもちろん、江戸期に至っても、父母や祖先の往生を願う願文が仏像にしまい込まれていて、近年レントゲン調査されるまで分からなかった、という事例は枚挙にいとまがないほど判明しています。ですが、それを私たちが現代の技術で知ってしまったことが、果たして本当に良かったのかどうか、は分かりません。仏の像に「思い」を込めた、その心の深さを察することは出来ますが、「理解する」ことは、おそらく本人ではない以上、出来ないのではないか、と感じなくもないからです。

仏像の例はともかくとして、日本の平安期の歌論書などでも
「相構へ他見に及ぶべからず候」(藤原定家「毎月抄」)
などと末尾に記すことが当たり前のように行なわれていました。
老舗の味に秘伝あり、という方がもっと知られているでしょう。これは出汁などの調合を秘密にしておくことで自分のところの評判が続き、利潤がもたらされ続けるように、との、特許がない時代の「商業主義的な:発想だ、と解釈されているのではないかと感じるのですが、それは、たとえこのような商家の「秘伝」であっても、「秘伝」であることの本質には迫っていないのではないかと思います。

では、秘伝の本質とは何か、ということを分かり易く示してくれる言葉が、世阿弥の『風姿花伝』中の第七「別紙口伝」最末尾にあります。

「この別紙の条々、先年弟伝四郎相伝するといへども、元次(世阿弥の長子元雅の初名か)、芸能感人たるによて、これをまた伝ふるところなり。これを秘し伝ふ。」

すなわち、「秘する」のは、この場合、芸の本質を弁えた者でなければ本質を継ぐことは出来ない、という、切実な思いからもたらされているのが明らかなのです。



J.S.バッハが、父の死後面倒を見てくれた長兄の「秘して」いた楽譜を半年かけてこっそり筆写し、バレてさんざん叱られた上に筆写した稿も没収されたエピソードは有名です。
兄からすれば、まだ「本質」を理解しているはずもない幼い弟(10歳から15歳の間の時期です)が秘伝を「盗む」などもってのほかだ、と考えたのでしょうか。
だとすれば、西欧に於いても、日本と共通する「秘伝」意識・・・本質を感得するまでは「本質を記述したもの」に触れてはいけない、本質を悟れない者には「秘伝」を継承する権利がない、という発想が色濃くあったのではないかと推測されます。中でもドイツはマイスター制度が今も生きているほどの土地柄です。「本質」を大切にする姿勢というのは、他所のどこよりも強固に保持されているのではないかという気がします。

私もこの場でやりがちですが、「分析・分析!」と夢中になることが本質に迫れない以上は、やはり誰も、ファウストの最初の嘆きから逃れることは出来ないのではないでしょうか?

ところが、J.S.バッハの場合は、「本質」を感得する天性があったのでしょう、やがて本格的に修行に入ると、ものすごい勢いで、ドイツ音楽の核心を貪欲に吸収して行きます。
その中での最初期の作品が、有名な「トッカータとフーガ ニ短調 BWV565」だったりするわけですが、このモデルとなったとされるブクステフーデのホンの短い作品の方をお聴き頂き、バッハが如何に本質を盗み取ることにたけていたかに、今回は思いを馳せて頂ければ幸いに存じます。

・ブクステフーデ「パッサカリア ニ短調」BuxWV 161
BuxWV161
Capriccio Stravagante, Skip Sempe deutshe harmonia mundi 88697 28122/15


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