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2008年9月18日 (木)

ウィーンフィル:一夜だけのオールイタリアプロ(ムーティ)

将来モノになるかどうかは問わないとして、娘がトロンボーンを習っていますので、是非聴かせたかったコンサート。

ウィーンフィルが、今回の来日で、たった1度だけ組んだ、オールイタリアプログラムのコンサートです。

2881838093本日(2008.9.18)19時より、サントリーホールで行なわれました。
冬に来日するベルリンフィル同様、発売初日の1時間チケットをほぼ完売したウィーンフィルでしたが、発売日に1時間を過ぎたあとでもなお切符がとれたのが、このオールイタリアプログラムだったのはありがたいことです。なにせ、今回の指揮者はリッカルド・ムーティなのですから。

娘に聴かせたかったいちばんの理由は、このプログラムの中に、ニーノ・ロータのトロンボーン協奏曲が含まれていたことです。ソリストはイギリスの俊英、イアン・バウスフィールド。1964年生まれだそうですから、もう43歳か。。。

いずれにしても、このオールイタリアプロは、今度の来日では絶対に、最も「良い」プログラムでした。日本でウィーンフィルがこれらの曲をやるのを耳にする機会は、もしかしたら二度とないでしょう。・・・有名曲に殺到した皆様、御愁傷様でした!



19時開演

前半)19:00〜20:00
<ヴェルディ:オペラ「ジョヴァンナ・ダルコ(ジャンヌ・ダルク)」序曲>
ピッコロ・フルートのソロ部分をムーティは全く振らず、次の曲以降もそうでしたが、トゥッティはコンサートマスター任せ(本日のコンサートマスターはキュッヘルさん)、各パートのニュアンス揃えは各パート任せ、という姿勢を明確にし、オーケストラは自由自在、勝手気まま、という感じで・・・そこは最上の器です、気ままだからこそのゆったりした響きが聴き手を虜にしてしまいました。
この序曲、全く知らなかったと言って良いのですが(収録されたCDはあったはずです、しかもムーティの指揮だった気がするけれど、どこへやってしまったんだろう)「こんな魅惑的な序曲があったんだ!」と目から鱗の、題材が悲劇であるにもかかわらず、活気と光輝に満ちた作品でした。アマチュアオーケストラのレパートリーにも加わったらいいなあ、と思いました(トロンボーンまでの編成です)が、トロンボーンはあんまり出番がないかも。それでも、娘は大変気に入っていました。

<ヴェルディ:オペラ「シチリア島の夕べの祈り」からバレエ音楽(四季)>
最初の曲ではステージの端を歩いていたムーティが、この曲の開始前には第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの間を通って来て、意表をつきました。クラシックのコンサートではあまり突飛なファンサービスが出来ないのが常ですが、完璧に「狙った」タイミングで現れたムーティの、これはまず最初のユーモラスなサービスでした。
さて、バレエ音楽の曲想は巧みに変換するのですが、全編が起伏に満ちた「ワルツ」とでもいうべきもので貫かれており、ウィーンフィルにはおあつらえ向きの作品だなあ、と強く感じました。ムーティの「オーケストラ任せ」はこの曲の演奏でも発揮されていて、メンバーは皆、ウィーンがドイツでもなければイタリアでもない、どちらをも包み込んだ文化の上に成り立っていることを主張しているように見えました。それがまた、イタリアのオーケストラが演奏するのとは一味違った、「甘い香りのする」ヴェルディを聴かせてくれることに繋がっていたのが、非常に印象的でした。

後半)20:20〜21:05
<ニーノ・ロータ:トロンボーン協奏曲>
ソリストと一緒にいったんステージに現れたムーティは、指揮棒を忘れてまた袖に戻って行きました。会場爆笑。ソリスト失笑・・・でも、リラックスできましたね。オーケストラのメンバーも笑っていました。これが、サーヴィス第2弾かな。生真面目なはずのムーティさん、意外とお茶目なのかもしれません。・・・でも、あとで触れるアンコールの紹介は真面目な口調でした。低めの、静かながら良く通る、いい声の人だということを、初めて知りました。
名作であるこの協奏曲の内容についてはひとことだけ。
第2楽章の最後、再弱音に消えていく響きの、何と美しかったことでしょう!

<ニーノ・ロータ:交響的管弦楽組曲「山猫」>
ヴィスコンティの映画に付けた素晴らしい映画音楽を組曲に仕立てたものですが、「交響的」と最初に付したところに作曲者ニーノ・ロータの自負が現れています。プログラムでは8部に分かれる組曲ですが、切れ目は殆どめだたないと言ってもよく(もちろん、曲が転換する時に譜めくりをする休止はあるのですが)、激しい和音で開始された音楽は、一貫して、時に強く吹きすさび、時に和らいで頬を撫でるような、非等質ながらも、やや湿り気を含んだ風、という印象を聴き手に与え続けます。これは「まさにヨーロッパならでは」の音楽だなあ、と思いました。アメリカの映画音楽の発祥がヨーロッパから移住した主にドイツ系の作曲家によって担われたにしても、やはりあちらはヨーロッパに比べるとドライなのではなかろうか、と、そんなことを考えながら聴きました。
ウィーン・フィルでなければ実現できなかっただろう演奏展開がありました。第1ヴァイオリンが、全員一緒に弾くある箇所のメロディを、一人一人微妙にタイミングをずらしている・・・これは見ていないと分かりませんでした・・・、そのことによってレガートをよりレガートに仕上げているのです。これはベルリンフィルだったら出来ない芸当でしょうし、なおかつ、ウィ−ンフィルの連中にとっては計算してやっていることではなく、普段からそういう音作りの訓練をしていることに由来する自然な行動だったのではないでしょうか。

アンコール
プッチーニ「マノン・レスコー」第2幕・第3幕間の間奏曲>
チェロパートの重奏に始まって、その上に順次ヴィオラ独奏、ヴァイオリン独奏が乗る弦楽器の室内楽で始まり、叙情的、かつオペラの間奏曲とは思えないほど、ある意味で非標題音楽的にひびく名曲です。・・・これほどまでの名曲とは、知りませんでした。
「マノン・レスコー」は1998年に、ムーティがイタリア国内で初めて指揮したプッチーニ作品として話題になったものです。このオペラ、プッチーニの3作目だそうですが(かつ、私の知っているプッチーニ作品の中では最初期のものであることにもなりますが)、このあとの作品に比べると、「プッチーニっぽくない」のです。ドニゼッティに似ている。ムーティが採り上げたのも、そのあたりに理由があったのでしょうか? どうだか分かりませんが、ムーティは、どちらかといえばロッシーニやドニゼッティ向きでプッチーニが似合うとは思っていなかったので、この選曲にも驚きました。
それにしても、オペラを知りつくしている指揮者は、いいもんだなあ、と、つくづく思いました。

どこもかしこも振りまくらず、ときに腕を全くおろしてウィーンフィルという大きな船にゆったりと身を委ねる姿を見せてくれたムーティ、全然老けない人なんですが、名人の域に達して来た感を強く受けた演奏会でもありました。

もうちょっと安く聴けると嬉しいんですけどね。
チケット完売なのに、なぜか幾つか空席がありました。そういう買い方をなさる方がいなくなることをも望みたいですが・・・昔からあることですから。

ちなみに、ウィーンフィルは今回が26回目の来日。第5回〜7回のチケットが1万円、ということで泣く泣くあきらめた1970年代後半からみると、額面相場は3倍にがっていますが、対物価でみると上げ幅が少し大きいくらい、ではあります。でも、一般庶民の平均的な所得水準は下がりつつあるからなあ。

「マノン・レスコー」の間奏曲。
ムーティの映像がDVDでは出ているのですが、YouTubeにはなかったので。

José Cura/Erkel Theater Failoni Orchestra の指揮でご覧下さい。

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