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2008年9月 9日 (火)

曲解音楽史43)多様な大陸・アフリカ

前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽  5)トランス 6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ  14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア  16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
    18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
    20)日本固有(?)の古歌 21)グレゴリオ聖歌
    22)平曲と能楽:付)発声法について 23)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌
    24)西ヨーロッパ中世 25)ジョングルール 26)十字軍時代前後のイスラーム
    27)ペルシア伝統音楽〜中世からの遺伝子 28)インド中世 29)宋・元時代の「中国」
    30)日本の「オラショ」 31)ヴェトナム伝統音楽 32)インドネシア 33)東アフリカ
    34)イスラムと西欧の融合 35)ルネサンス? 36)フランドル楽派 37)16世紀スペイン
    38)16世紀中南米 39)15-16世紀イタリア 40)英仏戦争の頃 41)15-16世紀中欧
    42)オスマントルコ



33)で、マルコ・ポーロ時代のインド洋交易が東アフリカまでを包含していたことに触れました。
また、中世までのアフリカ史の史料が、アフリカ現地はもちろん、ヨーロッパやイスラーム圏の記録にも少ないことをも述べました。

地誌的な記述が少ないために、なかなか掴めないアフリカの歴史ですが、日本人向けには、1997年に出版された講談社「新書アフリカ史」では、日本人の手によって、これまでにアフリカ現地の努力などによって判明したことの多くが手際よくまとめられています。それによれば・・・本来北アフリカのエジプトやその南方のヌビア地方については古代から知られていたわけですし、同じ大陸の他の地域に同様の高水準な文明があったことは当然想像しておいてよかったはずですが・・・この逆さL字型の大陸の各地に、実際には人々の豊かな営みが展開されているのが分かり、無知だったとはいえ、あらためて驚かされます。
とはいえ、新書としては例外に属する、本文が550頁にも及ぶこの本でも、近代ヨーロッパの侵略より前のことを記述しているのは260頁、と、半分に過ぎません。

北方のベルベル人が活躍したモロッコについては2634に含めて、イスラームの総体的な動きとまとめて捉えていいのかと思います。
ですが、ガーナ帝国からマリ王国に至る西アフリカ、コンゴ帝国の中央アフリカ、グレート・ジンバブエの南アフリカがそれぞれ独自に築いて来た文化については、それぞれの独自性について、身近な読み物が、これからもっと沢山出てくれることを望みます。その間隙を埋めるのが、散在し、移住を繰り返して焼畑農業や牧畜を営む人々なのですが、私たちがアフリカというとまず頭に浮かべるのは、築かれて来た文明の盛衰よりは、古来の風習を珍しいものまで保っていると思われる、こうした非定住の部族の人たちであることが多く、アフリカを全体像として、あるいは「文明の展覧会場」として偏りなく把握するには、私たちはまだまだ困難な状況にありますし、興味も不足しているかもしれません。



南アフリカ方面は、他地域・他大陸との交渉がほとんどないままに、15世紀までを独自の大国家分立を続け、その生活は牧畜が中心であったようです。しかし、後述の通り比較的早くにコンゴ王国と交流を始めたポルトガルが、コンゴ同様にその生活バランスを切り崩していくことになります。現在でも貴金属を多く産することで有名なこの方面は、ポルトガルにより財源として目を付けられ、1609年には、中心的な大国であったムタパの内紛に乗じられて、一時期ポルトガルの支配下に入ります。しかし、ムタパの高官の家系にあったチャンンガミレが1963年にポルトガル勢力を駆逐し、以後200年、ふたたび独立の道を歩み、19世紀末まで命脈を保ち、現代アフリカの独立の象徴と見なされています。しかし、一方で、アフリカと言えばこれしかニュースにならない、部族間の激しい抗争や戦争は、この地域の北部、中央アフリカよりで展開され続けています。本来共存共栄であったはずの、この方面の部族が、なぜ現代は抗争の渦中にあるのか・・・その原因となる「ヨーロッパ諸国による植民地化」は、もう少し後の話になりますので、その時期に触れる時に見ていきましょう。
この地域では「親指ピアノ(ムビラ)」(リンク先のサイトがユニークです)による音楽が嗜好されていました。(「親指ピアノ」には、他にコンゴ方面にリケンベと呼ばれる種類があります。「親指ピアノ」というのは、「金属や竹の平たいリードを親指などで弾いて鳴らすリード楽器」【若林忠宏「世界の民族音楽辞典」】とのことです。)・・・この方面については、すみませんが、お聴き頂ける音源を持ち合わせておりません。


西アフリカは、地理的には北アフリカのサハラ砂漠に阻まれて孤立していたかのように見えますが、サハラはむしろ地中海文明の橋渡しとして古くから重要な交易路であったらしく、古代からギリシャやローマと交流があったことが判明しています。が、その国家の実態が明らかになるのは、14世紀イスラームの歴史家イヴン・バトゥータの記述(残念ながらオリジナルの翻訳を目にしていません)を待たなければなりません。彼が訪ねた頃は、ガーナ帝国の後継、マリ王国の盛期でしたが、彼はその王宮の様子を次のように記述しているそうです。
「王は宮殿の中庭で謁見する。一本の木があり、その下の演壇に絹布を敷く。日除けをさしかけるが、その上に黄金の鳥が飾られている。[略]王はヨーロッパ製織物からなる赤い袖なし服を着ている。[略]王は、金と銀の琴をもった楽師たちに先導されて歩く。王の後には、三百人の武装した奴隷たちが従う。[略]彼が玉座に着くと、太鼓やラッパや角笛が鳴り渡る」([新書アフリカ史」136-137頁掲載の訳)
太鼓の響きは、いわゆるトーキングドラムのようなものだったかもしれません。ドラムの種類は現在でも多岐にわたっており、これによって発信されるのは、<言語>としての音が主流で、その例は川田順造『サバンナの音世界』【白水社カセットブック、1988。現在でも入手可のはずですが、AMAZONの検索では出て来ませんでした】に詳しく記載され、カセットテープに音が収録されてもいます(残念ながら私はいまカセットの音をPCに落とし込むだけの装置を持ち合わせておらず、ここに音を掲載できません)。収録地はマリ王国の故地であり、現在も「王」が存在しています。笛言葉、というものもあるそうで、文字をもたなかった代わりに音声による多様な「言語」を獲得していたこの方面の文化には、ただ驚嘆させられます。・・・これについては、いずれ川田氏の著書をようやく出来たらいいなと思っております。
ついでながら、この地はコーラの実を交易に使用していました。コーラの実はイスラーム圏で嗜好品として愛好され、交易の道具としてこの実が使われる習慣は現代にも残っているとの、これまた驚くべき話があります。
マリ王国あたりの地域がイスラーム化するのは、ちょうどイヴン・バトゥータが訪問した頃です。イスラーム化したおかげで、コンゴのような事態には陥らなかったものと思われます。

現在、コートジボアールに太鼓音楽を伝える国立アンサンブルが組織されていますが、これは当時の太鼓音楽よりは近代化された音であるように思えましたので、今回はあえて掲載しません。
別の側面から、西アフリカの15世紀頃を聴かせてくれるのではなかろうか、と思う素材を採り上げます。
イスラーム化されたとはいえ、この地域には文字通り八百万の神を信仰する伝統的な古宗教も根強く残っており、そうした宗教を今日に伝えるヨルバ族の「仮面劇」の音楽がありますので、それを聴いておきましょう。

・たくさんの仮面
many masuques
「世界宗教音楽ライブラリー:西アフリカのアニミズム」 KING RECORDS KICC 5743



逆さL字の大陸の縦線の中央に位置するザイール川の熱帯雨林は、おそらくインド洋交易の恩恵を受けていた東アフリカ経由でアジア原産のバナナが(早くも5世紀に)入って来たことにより、栽培がそれまでのヤムイモよりもラクだったこの作物の豊かな実りのおかげで14世紀までには中央アフリカの三分の二(東の境はタンガニーカ湖、西は大西洋に面する)をほぼ横断的に支配する大規模なコンゴ王国を生み出すまでの生産力を身につけていきました。折しも、イスラームの阻止を受けずにインドへの航路を模索し始めていたポルトガルが、充分な下地の上に力を付けて誕生していたコンゴ王国と、1490年に、まず対等の関係で交易を始めます。アジアやヨーロッパと違い官僚機構があまり発達しなかったと推定されているアフリカ大陸社会ですが、コンゴは例外的に首都には総督や最高裁判所長、警察長官、報道官などがおり、広い領土は州に分けられ知事によって治められるという、他大陸に似た統治機構をもっていました。とはいえ、コンゴ国王の実態は、「諸王国連合の親族的・宗教的な象徴的権威として位置づけられたものであった」(「新書アフリカ史」76頁)そうです。
最初は対等の関係で始まったポルトガルとの交易ですが、コンゴからの「輸出品」に、後の災いのもととなる「品目」が含まれていました。「奴隷」です。
ほぼ同時期に南米のインディオを奴隷にすることには猛烈な非難を浴びせたスペインのイエズス会士も、黒人が奴隷であることにはナンの抵抗も感じていなかったふしがあるのですが、その原因は、こうしたコンゴ王国とポルトガルとの奴隷貿易の常態化が大きく影響しているのでしょう。
奴隷が交易されること自体は、人種・民族を問わず、古代から中世まで、世界的に決して珍しいことではなかったようです。ですが、奴隷は戦争捕虜が陥る身分であり、戦争があって初めて供給源が生まれるのが普通のあり方でした。
交易が始まって百年ほど後、コンゴはポルトガルよりも劣勢に立たされ、その無理な奴隷数要求にも応えざるを得なくなります。これが、後の「黒人奴隷」貿易に繋がっていくこととなり、ひいては黒人差別や、無文字社会であることへの不当な蔑視をヨーロッパ人、北アメリカの白人、それらの影響を受けた人々(日本人を含みます)のあいだに広げていくことになります。

さて、南アフリカ方面の音源がありませんでしたので、南アフリカでも愛好された「親指ピアノ」のコンゴ版、リケンベの響きを聴いて頂いて、この回を終えることにしましょう。

・マンバサ宿のバラード
親指ピアノ
「アフリカの音楽」 JVC VICG 41140

こうした総合像をもっていたアフリカの東岸に、インド洋交易ルートを利用して、中国から明王朝の艦隊(有名な「鄭和の遠征隊」の分団)が1413、1417、1421年の三回、到達しています。
そんな次第で、次は明王朝に目を移してみようかと思っております。

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