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2008年9月 6日 (土)

「クラシック音楽」お仕事ヴィジョン(2) 「クオリア」の誘惑?

(1)で書名を採り上げ、本そのものの評価は私はAMAZONで星2つの人たちと同じだ、と申し上げた

茂木健一郎『すべては音楽から生まれる』

ですが、この本、「お仕事ヴィジョン」の視点から見ると、実は大変に興味深いのです。

と、いきなり始めるのをお許し下さい。



AMAZONで星2つのかたのお言葉に、ちょっと耳を傾けてみましょう。

ピヨタマさんのコメントの最初の部分が、鋭い。
「本の内容に興味を持って読み始めた筈の読者達は、読み終わる頃にはごく自然にラ・フォル・ジュルネという音楽祭のチケットを買うように導かれているという寸法だろう。つまり、この本は、茂木氏が日々の研究の内容を著したものではなく、タレント科学者として、恐らくは広告代理店の働きかけにより書いたものなのではないかと想像できる。

・・・<大当たり>だと思います。
この本の後半は、書かれた翌年にシューベルトをテーマにすることを決めていた<ラ・フォル・ジュルネ>のプロデューサーであるルネ・マルタン氏との対談になっている。
で、傍証になるかどうか分かりませんが、ひとつには、この本のサブタイトルは「脳とシューベルト」なのです。にもかかわらず、いちおう本質的に(かなり無理をした形跡がありますが)シューベルトそのものに触れるのは、全体で5章あるうちの第3章だけ。かつ、この章だけは、「脳」に関する話は一切出て来ないのです(少なくとも、私は本章中に「脳」という言葉をひとつも発見できませんでした)。
もうひとつの傍証として、<ラ・フォル・ジュルネ>主催者の働きかけで、この本と同時期に、やはりタレント作曲家が薄手のシューベルトの伝記を出版しています。

「シューベルト」と<ラ・フォル・ジュルネ>の双方が結びつけられた本が、知名度の高い、かたや「学者」、かたや「作曲家」によって同時期に、2種類出版されている。

お金がなければ出来ないことですが、まずこの背景としては前年のテーマが特定の音楽家に絞れなかった時の広告戦略の見直しもあったと思われます(ただ、<ラ・フォル・ジュルネ>じたいが努力しなくても、このときは「のだめ」という後押しがありました。「のだめ」がテレビドラマになることで、日本の一般家庭の人が知っているクラシック作曲家の名前数が増えたからです)。
かつ、最初はモーツァルト、翌年はベートーヴェン、という強烈な切り札を持って来れた<ラ・フォル・ジュルネ>でしたが、それらに比べると、シューベルトは、ターゲット客の多くが事前に知っている曲の数も種類もずっと限られているのではないか(交響曲がせいぜい2曲、他は歌曲が数曲程度)、特にシューベルトの本領が発揮されている器楽・室内楽面でインパクトが弱いのではないか、という懸念があったことが考えられます。
ですから、広告戦略は、少なくとも二つの点で、ターゲット(予定される聴衆)に向けて「印象の強い」インフォメーションを発信し、インパクトを少しでも広く強く与えておく必要があった。



推測するに、
・インパクト強めるために、2つのそれぞれに、知名度の高い人物の手による情報のまとめをしてもらう
・まとめた情報は「広告」としてではなく、一般市場に自然に出回るかたちで流布させる
 (「広告」と銘打ってしまうより、いわば「無党派層」まで取り込む上で有利になる)

という次第で、加えたかったインパクトは、
1)シューベルトという人の、ちょっとだけ詳しい「知識」(既に持っている人には不要)
2)付加価値として、出来れば今後も<ラ・フォル・ジュルネ>のイメージアップに使えるキーワード
・・・とくに後者が重要だったのではなかろうか、と思います。

ですので、後者を担当した茂木氏は、ヒヨタマ氏が渇望したような
「科学者としての見識から、音楽と脳の関係について研究し、語ってくれること」
はこの本を著す際に望まれておらず、
おなじく星2つのショパショパ さんが記していらっしゃる
「てっきり脳科学から見た音楽というのを検証してくれるのかと思ったら、ただの著者の音楽礼賛でした」
という、まさにそれだけの内容の本を上梓すれば済んだのでした。突っ込んだ内容よりは、大衆的に「キーワード」ひとつを読者に摺り込めれば充分だった。

では、茂木氏に求められたキーワードは何か、というと、彼が盛んに喧伝した(もちろん、そうできたことには仕掛人がいたことを茂木氏自身が別の著書で明記しているのですが)ことで知れ渡った

<クオリア>

です。



本のタイトルには用いていないのですが、茂木氏は第1章で盛んに<クオリア>・<クオリア>と連呼します。
「じゃあ、クオリアって何?」
と目を凝らしてみても、この言葉の定義については何も記されていない。これがミソです。本書自体が「読み流しがきく」程度の軽い内容にすぎませんので、大抵の読者はクオリアの定義なんか気にしないまま、先に進んで行ってしまうでしょう。ただ、初頭効果で、「クオリア」という言葉だけは無意識ながら明瞭に深層心理に記憶されて、読み進めて行くといきなり
「この世には、音楽にかかわらないものはなにもない。」(124頁)
なんて言葉が出てくると、そうだ、音楽のクオリアは素晴らしい、だなんて・・・クオリアって何なのか、繰り返しますが、その前のどこにもきちんと書いていないんですよ。にもかかわらず・・・読者は自然に「クオリア」というキーワードに取り憑かれてしまっている。

語彙というものは、言葉自体は覚えやすくて、意味は分からないものほど、催眠効果が高い!

立読みで結構です、この本をお見かけになったら、確認してみて下さい。
あとのほうで断片的にむりやりこじつけている以外には、茂木氏が本書で「脳と音楽」について語っているのは26頁までで(しかも、学問的にではなく、個人の思い出を絡めた極めて主観的なエッセイとして綴られているに過ぎません)、かつその最終頁にある「音楽のクオリアは、自由である」は、あまりにも唐突に現れます。ここ以降は、悪意があるととられても仕方がない言い方をすれば、あきらかに<ラ・フォル・ジュルネ>広報ご担当者の「やらせ」です。



そんなわけで、はなからこの本は手にする価値を感じていなかった私ですが、「コンサートを広告する手法」としては、これは本質的には非常に大切なことを教えてくれるんだ、ということに気が付いて、ちょっと中身に立ち入った次第です。

広告の本質という面で大切な情報は、さらに第5章に埋め込まれているのであって、これはショパショパ さんがAMAZONのコメントで
「最後のマルタンとの対談も、最先端の文化人同士にしては平凡なものだなぁというのが正直な感想です。『クラシックをポピュラーにしたい』『クラシックもポピュラーもあまり違いはない』なんて誰もが考えそうな事を…」
と苦言を呈していますが、そんな程度に留めておくことが重要だったのでして、そのことについてはまたあらためて述べたいと思います。

ついでながら、<クオリア>とは何か、そもそも音楽(の美?)を論ずるのに<クオリア>という概念が必要なのか、という話もあるのですが、これも別にまとめる予定です。

今回は、ここまでにしましょう。いちおう、<クオリア>についてはWikipediaへのリンクは貼っておきます。





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コメント

はじめまして

私は、ヴォイス・コレクション音声衛生研究所の代表をしております。

歌声と脳との関わりを最優先とする「脳を喜ばせて歌う方法:ヴォイス・クオリアの世界」を推し進めています。

ココログにて全文公開しています。ぜひにお立ち寄りください。

ご意見をいただければ幸いであります。よろしくお願い申し上げます。

http://voi-colle.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-f468.html

投稿: 毛木敦彦〔モギアツヒコ〕 | 2008年11月14日 (金) 14時02分

毛木さま

コメントありがとうございました。
拝読しましたが、盛り沢山ですね。ゆっくり勉強させて頂きます。
時間が出来た時にはジュンク堂にご著書を拝読に伺ってみますね。

心より御礼申し上げます。

投稿: ken | 2008年11月15日 (土) 23時32分

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