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2008年8月30日 (土)

ベートーヴェン第8「メヌエット」解釈の変遷

先日、作品の筋書きが明解なスメタナ「モルダウ」をアーノンクールとフリッチャイで聴き比べて頂いた際、その「相違の少なさ」に感嘆して下さったsergejOさんがコメントで、
「ベートーヴェン第8でのフルトヴェングラーとカラヤンとアーノンクールも<同質>ではないか?」
との問いを投げかけて下さいました(主旨を誤解していたらごめんなさい)。

あいにくカラヤン盤を所持していなかったのですが、これはお応えしなければならない・・・すなわち、自分で確認しなければ、と、案外深刻に受けとめておりました。

が、8月の自分の分の予算はほぼ使い切り、アーノンクールの全集は通常は高価なのでやっと廉価なものを見つけて注文を出したものの、在庫取り寄せ中です。
で、使用しているプロバイダのニフティが、9月8日から、アップできるファイル容量に1MBという、音楽を主体に掲載する私にとっては「雀の涙」にしかならない制限を設けることを急遽決定してしまったので、アーノンクール分の掲載がそれに間に合うかどうか分かりません。
カラヤン盤は、1977年(75年?)にベルリンフィルと録音したものは1,000円で入手できますので、取り急ぎ入手してみました。

そのうえでフルトヴェングラー(オーケストラはストックホルムフィルですが、好演ですし、彼の「演出」はオーケストラが違っても基本線は変わらない点は他の曲で確認済みですので)の演奏とのお聴き比べは頂けます。

同時に、カラヤンと同じくベルリンフィルとの録音を残している(何度も繰り返して申し上げていますが、ベルリンフィルが初の「ベートーヴェン交響曲全集」を収録するにあたって自らの意志で選定した指揮者である)アンドレ・クリュイタンスの演奏が手持ちにあります。

その3例を、取り急ぎお聴き比べて頂けるようにしておいて、後日の対応に備えておきます。

分かりやすい第3楽章で比較して下さい。(第2楽章はテンポ取りの違いに誤摩化されて、同じ点、違う点が必ずしも分かり易くはありません。)

フルトヴェングラー(1948)
「408_beethoven__symphony_8_in_f_op. 93 - 3. Tempo Di Menuetto.mp3」をダウンロード
EMI 7243 5 74173 2 7

カラヤン(1977)
「07_symphonie_nr. 8 F-dur, Op. 93 - 3. Tempo di Menuetto-krajan.mp3」をダウンロード
Deutsch Gramophone UCCG-5127

クリュイタンス(1967)
「07_beethoven_symphony_no.8_ Tempo Di Menuetto.mp3」をダウンロード
EMI T4988 006 61288 4



詳細は後ほど(今日できるかどうかは分かりませんが)追記しますけれど、簡単にまとめますと、
・三者とも演出方針は明らかに違う
・ただし、曲の構成が古典的なため、作品そのものからくる制約で一致して聞こえる箇所も少なくない
・器が同じベルリンフィルであるクリュイタンスとカラヤンでは、オーケストラの音色・音程が同じ
 *ただし、編成規模がおそらく違うし、管と弦のバランス調性方針が違う個所があり、
   その場合には相違して聞こえる
 *ストックホルムフィルはベルリンフィルより「長三度(ドとミの関係)」を狭くとっているのが
   お分かり頂けると思います。
・カラヤンについて特記すると、規模はおそらくブラームスを演奏するときと大差ないほど大きく、
  かつ、演出方針の基本もブラームスの場合と一緒である。


この「第8」は、金聖響氏が講談社現代新書「ベートーヴェンの交響曲」で触れている通り、ベートーヴェンの交響曲では唯一「献呈者」の存在しない作品であり、その背景には金氏著作では(規模の上で仕方なかったでしょうが)触れられていない背景がいろいろに想定され、それについても面白く突っ込んでみたいのですが、ちょっとそこまでのゆとりは今はなさそうです。
これも出来たらあとで追記します。

取り急ぎ、という感じで申し訳ございません。



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コメント

>(主旨を誤解していたらごめんなさい)
あっております!私もどう表現して良いのか判りませんが、いろいろ違って聞こえるけれど、古典派らしい音の充実感といいますか、古典派らしい推移の楽しさは根本的には一緒だったかな〜と。

>案外深刻に受けとめておりました
お忙しいところ申し訳ありません!

>・三者とも演出方針は明らかに違う
>・ただし、曲の構成が古典的なため、作品そのものからくる制約で一致して聞こえる箇所も少なくない
上に上がった三人ともいいなーと聴いておりました。思うに、私がそもそも「似ている」と感じたのは、とある実演で、ぜんぜん何の曲か判らないような演奏を聴いた故なのでしょう。

投稿: sergejO | 2008年8月30日 (土) 14時03分

「聴く」ということを楽しむのでしたら、本来、こんな具合に比べたりする必要はない・・・どなたも、ご自身が「これは言葉にならないけれど、心に突き刺さるなあ」と思った演奏で、その曲を好きであり続ければ充分だと思うのです。

で、それが
「どんな演奏できいてもこの曲はいい!」
と感じるようになっていらっしゃるのなら、それは「違いが分からなくなるような演奏を聴いたから」ではなくて、ある意味、その曲、その音楽自体が「好き」になった、ということなのでして・・・

ということは・・・sergejOさんは、ホントにベト8を愛していらっしゃるんですね。

まあ、こうした記事は、遊びだと思って。。。

ただし、演奏する立場でものを考える場合には、比較する耳、それを「好き・嫌い」と決めつけない姿勢というのは、絶対に必要なのだろうな、と、痛切に思う今日この頃です。

で、これからは私が「嫌い」なものを、どうして「嫌い」なのか客観的に考えていってみたいなあ、とも思っているところです。

(今回の記事への追記は、今日明日は出来そうにありませんが・・・好き嫌いでものは言っていないし考えていないので、まあ、お許し下さい。)

投稿: ken | 2008年8月30日 (土) 23時40分

自分がどういう風に聴いているのか、なんの違いを感じ取っているのか、多分、評価の軸も時にぶれ、いい加減だな〜と思っているので、こうやっていろいろ書いて頂けると、自省する機会になりますので、こちらこそ深謝申し上げます。

「ほんと、なんも判ってないんだな〜」と判るのが良い機会です!長三度の音程の違いは何度聴いても判りません!←嗚呼・・・

投稿: sergejO | 2008年8月31日 (日) 01時30分

>長三度の音程の違いは何度聴いても判りません!

トリオが始まった時、移動ド読みで言いますと、
1番ホルンは「ソラシ|ドーレミ|ミーレド、(実音CDE|f-ga|a-gf)
2番ホルンは「・・・|ミーソド|ドーソミ(実音---|A-Cf|f-CA)
と吹きます。このときの、1番ホルンの「ミ(A)」と2番ホルンの「ド(F)」が重なるところを何回かお聴き比べになって下さい。ストックホルムの演奏の方が、1番ホルンの「ミ」が心持ち低く聞こえることに、だんだん耳が気が付いてくれると思います。
一番あらわに分かるのはこの箇所でしょう。
ただ、そこまで厳密に聴かずとも、メヌエット後半で1番ホルンの「レーミ(g-a)」が響くところで、ベルリンフィルの演奏の方がホルンがめだって聞こえる上に、ストックホルムより高めに聞こえるはずです。

そのあたりを目安にお聴きになってみて下さい。
たぶん周波数を測れば、そんなに大きな数値差は無いでしょう。
ですが、こうした少しのピッチの関係の差が、たとえば広めにとるイタリアの連中の演奏の色を明るくし、狭めにとるロシア系の連中の演奏の色を暗くするのです。そこに気が付くと、結構、「イタリア人がロシアものを演奏するときのちぐはぐさ」の理由もはっきり分かったりします。狭めはキツく、広めはおおらかに、と、音色が変わって聞こえますから。そういう面では、ドイツは中間地帯ですかね。

管弦楽よりも、弦楽四重奏などではこの違いがはっきりと大きな差になります。
これはどちらも名演奏(録音)なのですが、ベートーヴェンの弦楽四重奏をイタリア弦楽四重奏団とスメタナ弦楽四重奏団で聴けば、音程感の違いがまず音色感を変える。それを、両団体がそれぞれ自分たちの特性を理解しつつ、自分たちの方針をしっかり構築した上で、それぞれの違いが明確になるような演奏を展開していることがはっきり分かります。(いずれも往年の団体になってしまいましたが・・・この2団体の対比が、いちばん分かり易いですよ。)
モーツァルトの弦楽四重奏の方がもっと分かり易そうなもんですが、モーツァルト作品の方がクセモノで、ベートーヴェンに比べると、各団体とも、一貫した方針をどう取るかが決めにくいんではなかろうかと思います。・・・ハイドンなら、ベートーヴェンと同様の対比で聴くことが出来ます。

長くなりました。すみません。

投稿: ken | 2008年8月31日 (日) 02時17分

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