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2008年8月26日 (火)

フリー・ワーキングプア・ニート・音楽屋

最初にお断わりしておかなければならないのは、2点。

ひとつめは、これはいわゆる「プロ」の方には非常に不愉快で、誤解に満ちた文だと思われることでしょう。しかし、綴っている私には悪意はありませんし、まして、「プロ」さんを貶めたいなどという意図もありません。
私自身が、娘には、音楽専門の学校に進むことを認めたくらいですから。
従って、私にとっては、この文は私の娘の将来を考えるうえでの真剣な問いかけでもあります。
まして、息子の方は・・・まだ針路を見極められる年令ではないものの、音楽関係と似たようなリスクを抱える映画関係の専門に憧れているのです。・・・そして、結果的にそれを選択するようでしたら、私は許そうと思っております。

ふたつめは、「音楽屋」という用語を使う理由についてです。
たいしたものではありません。
日本の名指揮者だった故・山田一雄さんは、私たちアマチュアの下っ端をお茶のみに連れて行って下さった際、
「オレたちゃ<楽隊屋>はなあ、他には何にも出来ねえからなあ。君たちゃいろんなことを勉強しなくちゃあいけねえよ」
と仰っていました。
その<楽隊屋>という言葉には、私は「卑下」は無かったと思っております。むしろ、そこには「職人」としての誇りを感じました。・・・高止まりでいてはホンモノなんか出来やしないさ、という、強い意志があったものと思います。
で、「楽隊」ではグループ活動をする場合に話を限定しなくてはならなくなりませんから、ここは「音楽」に入れ替えさせて頂きました。・・・ただし、今回は「個人」の「音楽屋」を取り上げるので精一杯になると思います。
「屋」という語尾は、職業としてそれ(音楽)を行なうことを指します。以下、この職業に付きまとう「家」という字は、すべて「屋」に置き換えます。



さて、「音楽屋」というのは、どういう範疇のご商売をなさる方を含むでしょう?・・・レコードのプロデュースとかプロモートをする人は、除外して考えます。
すると、大雑把には3つかな、と思います。

・作曲屋〜曲を作る
・演奏屋〜演奏をする
・教育屋〜音楽についての決まりごとを人に教える

問題は、「屋」とつくからには、それは職業として安定的に成り立つような錯覚を私たちが抱きやすいというところがひとつ、さらに、この三つがそれぞれ区分された職業であるというふうに捉えやすいと言うところがもうひとつ、でしょうか。
後者のほうが簡単に片付きますので(本来はそうではないのかもしれませんが、言い切ってしまいましょう)、現実には、まず「音楽」を扱うということの中に、「曲を作る」ことも、「演奏する」ということも、「決まりごとを教える」ということも、渾然一体としているのは自明だ、と断定してしまいましょう。昨日その演奏例を掲載したディヌ・リパッティにしても、本来は「作曲屋」になることを夢見ていた、との話もあります。リパッティに限らず、有名「演奏屋」にはそういうエピソードを持つ人が多い。幸運なことに、「作曲屋」としても「演奏屋」としても認知されたバーンスタインのような人物もいますけれど、彼自身は、かならずしも「作曲屋」としての自分が「作曲屋」として報いられたとは思っていなかったそうです。

で、大多数の「音楽屋」は、三つの種別のうちのどれに自分をあてはめるか、ということから出発するのが、現代の実情ではないかと思われます。



ところで、種別が決まったとして、それが「安定した収入」をもたらす職業足りえているか、というところが「音楽屋」の、長い歴史的な悩みのタネです。
ヨーロッパで言えば、貴族社会が保持されているあいだは、貴族社会に(言葉は悪いですけれど)信頼され、寄生することが可能な限りは、「音楽屋」は「作曲屋兼演奏屋兼教育屋」という複合的なかたちでの身分が保証され、保証される範囲においての定収を得ることが出来ました。あるいは、自治権のある都市においては、市の為政者が貴族に代わりましたし、全ヨーロッパに革命が広がった後には為政者の役割が大きくなり、この二百年で選別の方法は変わったとはいえ、定収を得るには為政者の信頼を得るか、制度的に設けられた関門を突破する(この際、やはり経済的なバックアップをも同時に得られることが条件にはなります)ことによって、定収への道がひらける、というヴィジョンは、特段変化したわけではない、と、私は思っております。

では・・・定収が得られない「音楽屋」はどうなるか?

次善の策は、学校(初等・中等)教育という制度の中に組み込まれた「教育屋」になることです。私の亡妻もそうでした。ですが、学校に常勤で雇用される音楽の「教育屋」は、少なくとも日本では、どうも「音楽屋」としての存在価値は認められていないようです。

「音楽屋」としての存在価値が認められる「作曲屋」・「演奏屋」さんたちは、では、どのようにして収入を得るのでしょうか?

言ってみれば、「フリーター」です。
入ってくる仕事は、とにかく受ける。現場に行ってみる。そこにはすでに「安定した収入」を確保した「音楽屋」が、上位面して存在する。そのご機嫌を損ねてしまっては、次の仕事が来るかどうかわからない。ですから、自分の音楽に対する価値観はさておいてでも、上位面の「音楽屋」さんには気に入られなければならない。可能ならば、作った曲の質のよさ、演奏の腕のよさを充分に認めてもらい、とにかく自分と言う人格を気に入ってもらって、「安定した収入」への階段を、一段でも多く上っておきたい。。。
けれども、そこまでの幸運に預かれるかどうかは運次第です。幸運に恵まれるまで、「音楽屋」は入ってくる仕事に対してがむしゃらに向かっていかなければならない。1作・1回あたりの報酬は、しかし、大抵の場合、スズメの涙です。締め切りや本番までの練習回数だけは厳密に決められているけれど、報酬については最低額の保証もない。「音楽屋」には「大会社」への就職のあてはもちろん、派遣会社というクッションさえ存在しない。あるのは「縁」という不確実なつながりだけです。
「はたらけどはたらけど・・・」という啄木の句が、これほど似合う「職業」は、他にはどれくらいあるでしょう?・・・私の息子が憧れる映画界もそうかもしれません。創作に関わる全ての職業が同様でしょう。俳優、またしかり、です。

そうでなくても世の中の雇用情勢は変化してきています。
これは主観ですが、フリーターは悪の権化、みたいな価値観が、巷には蔓延している。
ですが、一般企業でも、大小を問わず、新卒のストレートな就職はますます狭き門ですし、入社できたから幸せか、というと、不景気の波を否応無く被ることになり、恵まれていてもサービス残業はあたりまえ、中小企業ともなるとボーナスも出ない(企業側も苦しい)という世の中です。とくに、サービス業関連は、私の若い頃は「夜」のものでなければ正社員の方が多い、というケースも半数以上はあったかと記憶していますけれど、今ではアルバイト待遇での雇用が常識化している。すなわち、そこでの雇用が保証されないから、収入が保証されないから、フリーターになっていく。と同時に、ワーキングプアともなっていく。

さらに、ここのところ人の口の端に当たり前にのぼるようになったのが、「ニート」という用語です。・・・この用語がクセモノであるのは、「ニート=ひきこもり」という図式が、日本ではほぼ定着してしまっているところにあります。さらに、この等式とは本来まったく別である「ニート=就労意欲が無い」という等式が、並立させられています。
「ひきこもり」は、「就労意欲が無い」ということとは、必ずしも重複しません。
働きたくても認知されない・・・認知されなければ、どうして社会に飛び込むことが出来るでしょうか?かつ、社会に飛び込めない、ということは「ひきこもり」ではありません。認知され、飛び込むチャンスさえあれば、そこへはかならず飛び込んでいくのです。
「ニート」という、非常に誤解を生みやすい言葉については、ここでは本質までを言い尽くすことが出来ませんから、本田・内藤・後藤著「ニートって言うな」をご一読いただければと思います。ここでは、これまでにします。



「音楽屋」に話を戻します。・・・ちょっと、妙な戻り方をします。

「音楽屋」は、そうなる、と決意したその瞬間に、フリーターとなり、ワーキングプアとなり、仕事がこない日々がやってくれば「いわゆる今世間でそう決め付けているニート」となる運命を背負うのです。

そんな職業に就くことを平気で認める親がどこにいるか?
・・・はい、ここに、一人おります。
じゃあ、自分の子供がこんなに経済的に不幸になる確率の高い職業を選ぶことを、何故認め、許すのか? 経済的にバックアップしてやれるのか?
・・・いいえ、まったく出来ません。

「無責任極まりないではないか!」

いえ、認めたのですから、責任重大です。

経済的にどんなに苦しい状況におかれても辛抱できる、そんな精神力を自分で身に付ける人間に、私は私の子供達を育てなければならない。

そんな思いの親がいるときに、世に溢れる「音楽屋」さんたちは、果たしてご自身が「音楽屋」であることについて、どれだけの見本となってくれるでしょう?

どなたもが
「私たちは、形として残ったり、直接におなかを満たしてやれたりするわけではないけれど、人の心にかけがえの無いうるおいを、優しさを、力を与えてあげる職業についているんだ」
そんな誇りさえ持っていて下されば。
そして、これからおなじ「音楽屋」を目指す若い世代が、それを確実に受け継げさえすれば。

私は、胸を張って、
「この子達は這ってでも生きていける。何故なら、誰よりも<生きる>ということの根っこを、しっかり知ることのできる職業についているのだから」
と、我が子を世に送り出すことが出来ると信じております。

ブログの趣旨ですから、政治的なことには直接触れませんが、ひいてはそうした「誇り」が、健全に世に満ちることが、もしかしたら、激変しつつありながらもいまだに正体を完全にあらわさない<経済地盤メカニズムの転換>の上に立って苦闘している、たくさんの若い人たちに、大きな希望と指針を与えることが可能なおではなかろうか、とさえ思っております。
なぜなら、「音楽屋」ほど、フリーターあるいはワーキングプアとしての長い歴史を誇る職業は、他には無いからです。これは、決して皮肉ではありません。知り尽くしているからこそ、「いざとなったら」のノウハウを豊富に持っているはずだし、そうでなければ本物ではなかろう、ということです。



組織体としての「音楽屋集団」、ヤマカズさん言うところの「楽隊屋」については、このことを踏まえて、別途考えてみたいと思っております。

とんだ暴言でした。

なお、フリーということについては、良書があり、別立てのブログで簡単なご紹介をしておりますので、こちらにリンクしておきます。この本も、ご一読をお勧めいたします。



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