曲解音楽史41)16世紀のボヘミアとハンガリー(二つの帝国の狭間で)
前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ
4)言葉と音楽 5)トランス 6)古代メソポタミア
7)古代エジプト 8)古代インド 9)古代中国 10)古代ギリシア
11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について
13)ササン朝ペルシャ 14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
15)中世前半の西ユーラシア 16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
20)日本固有(?)の古歌 21)グレゴリオ聖歌
22)平曲と能楽:付)発声法について 23)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌
24)西ヨーロッパ中世 25)ジョングルール 26)十字軍時代前後のイスラーム
27)ペルシア伝統音楽〜中世からの遺伝子 28)インド中世 29)宋・元時代の「中国」
30)日本の「オラショ」 31)ヴェトナム伝統音楽 32)インドネシア 33)東アフリカ
34)イスラムと西欧の融合 35)ルネサンス? 36)フランドル楽派 37)16世紀スペイン
38)16世紀中南米 39)15-16世紀イタリア 40)英仏戦争の頃
オーストリア、チェコ、ハンガリーをひっくるめて、これらの地域のハプスブルク家支配の時代を「ドナウ・ヨーロッパ」と、現代の編纂になる、ある地域別シリーズ物の歴史書ではひとまとめに扱います。
それ自体は妥当なことだと思います。それだけ、この範囲の時代の流れを追いかけるのは、逆に「国家」単位でひっくるめるのが困難だからです。
問題は、ボヘミアやハンガリーが、当時は穀倉地帯として、近隣諸国にとってその豊かさが非常に魅力だったことにあります。
現代の目で地図を見ると、これらの地域は地理的には単純に繋がっているように見えますが、その境界は精神的には非常に大きいものがありました。
かつ、16世紀当時は、ボヘミア、そしてとくにハンガリーは、バルカン諸地域までを支配していたオスマントルコとの激しい確執を繰り返していました。
ハンガリーは、若い国王がトルコとの戦いで、後継を残さないまま戦死してしまったことが、こんどはその義兄弟であったオーストリア国王であるハプスブルク家のフェルディナント(神聖ローマ帝国皇帝カール5世の甥)が支配に名乗りをあげ、また別に立つ国王もあり、混乱状態となります。・・・最終的には、ハンガリーは16世紀から18世紀まではオスマントルコの傘下に入り、その保護を受けることとなります。
ボヘミア地方は、それに比べれば、やすやすとハプスブルク帝国の傘下に加わった、といっていいでしょう。
いずれにせよ、その歴史の紆余曲折は、ここでは言い尽くせないほどのものがあります。
ハンガリーに、16世紀当時のヨーロッパ音楽の痕跡は見出せません。
ボヘミア地方には、宗教改革によって誕生したルター派のコラールに影響を及ぼした古い聖歌が残っています。しかも、普通の歴史書では分からないのですが、その伝統は結構古く、ゴシック期に遡ります。2例、お聴き頂きましょう。
・Ave Maria stella(16世紀。ただしAls Antiquaの影響下にある)
「16AveMariaStella.mp3」をダウンロード
・More festi(16世紀。15世紀にはその由来を持つと推測されている。)
「39MoreFestiQuerimus.mp3」をダウンロード
(以上、2曲とも"Gothic Christmas in Bohemia" MATOUS MK 0058 - 2 231(発行2007)
そうした民間の、あるいは宗教上の一般人の音楽が、本来の地元の音楽なのですが、神聖ローマ帝国(=ハプスブルク家)は1583年に宮廷をプラハにおくことで支配を強め、そこに後期フランドル楽派の名匠を呼び寄せました。
その中で最も素晴らしい作品を残した大家、デ=モンテはイタリアで活躍した人で、イギリスのバードとも親交のあった人物でしたが、晩年はプラハの宮廷に身を置きました。ここでは他に代わりも見つけられませんので、デ=モンテの作った美しい宗教作品から聴いておいて頂きましょう。
Missa Ultimi miei sospiriからSanctus
「05_monte___missa_ultimi_miei_sospiri___sanctus_benedictus.mp3」をダウンロード
CINQUECENTO Renaissance vocal hyperion CDA67658
あまりに簡単で恐縮ですが、次回はトルコに目を移したいために、わざとあまりくどくど綴らなかった面もあります(かつ、間もなくニフティのファイルアップロード容量に制限も加わりますから、長い作品を聴いていただくのはしばしの間を考えると、へたをすればここ数日が最後のチャンスですし)。
オスマントルコがヨーロッパにとっていかに脅威となったか、を含め、また場を変えてご覧頂こうと思います。
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