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2008年8月18日 (月)

アーノンクールの問題提起(11)解釈の優先度

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第1節は「音楽と人生」
第2節は「歴史的な音楽の解釈のために」
第3節は「音楽の理解と音楽教育」
第4節は「記譜法の問題」
第5節は「アーティキュレーション」
第6節は「テンポ」
第7節は「音組織と音程法」
第8節は「音楽と響き」
第9節は「古楽器は是か非か」
第10節は「スタジオにおけるオリジナルな音響状況の復元」
でした。
「読み」そのものは今回までです。第1章が、アーノンクールの著書『音話としての音楽----新しい音楽理解への道』(邦題「古楽とは何か(言語としての音楽)」)の総論であり、後続の章は、各論だからです。 ですので、さきに残りの二つの章の、きわめてざっとしたまとめをしておきます。

「第2章 楽器と言葉」は、従来の単純な<上昇主義>に乗っ取った楽器発展論が果たして正しいのかどうか、の、アーノンクールなりの検証であり、改造されて来た「古い楽器」の問題・奏法の問題をも含みます。

「第3章 ヨーロッパのバロック音楽とモーツァルト」は、バロック期を中心に、総論では時間軸を中心に述べたことを、イタリア・フランス・オーストリアという地域ごとの感性の差異に注目して、あらためて見直したもので、その終点にモーツァルト自身が「パリ交響曲」について書簡に残した言葉を総括として最終説に持って来ています。・・・これ以降の時代について、著者が各論的にどのようなことを観察・思索したかについては、いまのところ、本書の著述後、アーノンクールが残し続けた演奏(私たちは録音でしか接することが出来ませんが)で確認していくしかありません。・・・で、その確認のための材料は、今回読んでいく第1章第11節に記述されています。



第11節冒頭は、私にも反省を促す言葉で始められています。
「ヨーロッパの<文化人>にとってひとつの誤りとなっているのは、彼らが、本来は同じ程度に重要なはずのさまざまな事柄のうちから、ひとつだけを選び出し、それだけを重大視してしまうことである。」(訳書148頁1〜3行)
・・・これはヨーロッパ人だけが誤りを犯すことでしょうか? 世界中に、この誤りは存在するのではないでしょうか? では、その誤りは誰にあるか?・・・個々人でしょう。私も、今日までさまざま綴り続けて(綴り続けたからこそ、でもあるのですが)、結構「ひとつだけを選び出し、それだけを重大視する」誤りを犯しています。ですので、本日の読みを終えて以降、そうした自分の「誤り」について・・・その量の多さに比べれば些細な試みしか出来ませんが・・・見ていきたい、と思います。
今週は、そういうことに自分の思考を費やしたいと思います。

尾ひれはともかく。

「われわれにとって非常に重要なのは、個々の選択・決定を正確に位置づけることである。(中略)われわれが求めるべきは再現の説得性であって、<正解>、<誤り>ではない。それゆえ、われわれは異なった意見に対しても、その根底にあるのが同じ精神ならば、より寛大になる。最も説得力のある演奏がたいがい同時に最も<正しい>演奏かどうかは別の問題である。」(訳書152頁6〜13行)

「オリジナル楽器を使用しない通常のオーケストラでも古典派や前古典派の音楽を、今普通に行なわれている以上にすばらしく演奏することは可能だろうし、音楽家がバロック楽器を手にとればそうなるというものでもない。古楽器を用いたところで、二回練習したくらいでは、本人も満足に仕上がっていないと思う程度の惨めな演奏しか出来まい。音楽家はまず最初に、自身が弾きこなせる楽器で、その時代の音楽的表現法を実現しなければならないのであり、私はそれこそ最も重要な点であると強調したい。」(訳書159頁17〜160頁4行)

最後の点が、本当にアーノンクールが示したかった結論なのではないか、と、私は(勝手に)思っております。



本節のなかで、彼が、芯となる上の3つの引用文について具体的な裏打ちをしている部分がありますので、ご紹介しておきます。

・「ヨーロッパ人の誤り」について
「まことに多くの規則や演奏上の指示のなかから、唯一、あらゆる音は短く弾かれなければならないという点だけを参考にしている高名なヴァイオリン奏者がいる。彼は長年にわたって交響楽団で活躍した名手であるが、バロック音楽を始めてからは、その唯一の点をほかのすべてに優先するので、とうてい聴くにたえない演奏家となってしまった。」(訳書148頁11〜15行)

・「再現の説得性こそ求めるべきもの」について
「モーツァルトは彼の初期作品をザルツブルクでは非常に小さな編成で演奏した。したがって今日の人々は、そのような作品には小編成がふさわしく、大編成の演奏は様式感が欠如していると考えがちである。ところが、モーツァルトはミラノにおいては同時期の作品を非常に大きな編成で演奏している。(以下略)。」(訳書150頁17〜151頁3行)
これについてだけ、私が笑止だと思っていることを付け加えると、ハイドンのエステルハージのオーケストラにはチェンバロがなかった(おそらく、そのこと自体はデータからして正しいのでしょう)ことをもって、「チェンバロ付きで演奏されたハイドンの交響曲の演奏の誤りはこれで実証された」と(さすがに声高に出はないものの)決めつけた、研究にご熱心なとある演奏家がいらっしゃる、という事実です。

・「自身が弾きこなせる楽器で」について
「実に大量のリコーダー、チェンバロ、ホルン、コルネット、トロンボーンが出回っているが、それらは本来まったく楽器などではない。これらの奇形児がいくらかでも楽器として音を立てることができるのは、まったくもって何人かの音楽家の驚嘆に値する技量のおかげなのである。ダヴィド・オイストラフのような音楽家なら、情けない子供用ヴァイオリンを用いてすら音楽を奏でることができるのと同様である。」(訳書159頁4〜8行)



「読み」は、以上とします。

では、アーノンクールは、果たして個々までの11節で述べて来たことを、本人なりにはどのように実践を試みて来たのか、について、次回から数例見てみようかと思っております。
それを終えましたら、ふたたび、私自身を含めて、ですが、音楽を(真正であれエセものであれ)「批判的な」耳で聴く、というのはどういうことなのか、を、できるだけラクに入手できる「新書」という媒体の記述、それに対する私の受けとめかたを確認することで検証したいと思います。
・・・そこまでやったら、以前のように「音楽史」や「モーツァルト」に軌道を戻していきたいと思っています。(「音楽史」は、カール5世当時のオーストリアから東欧圏にかけてを半端に放り出していますし、モーツァルトも1777年の途中のままです!)

最後に・・・お恥ずかしいのですが。
アーノンクールノ以上の記述を読みながら、実は毎晩、私は先日、私の所属するアマチュアオーケストラで私が弾いたソロの・・・技術的なミスは別問題として・・・音楽的な構成が、果たして誤っていなかったかどうかが気になり、毎朝毎晩、繰り返し繰り返し聞き続けました。

「仮面舞踏会」2.Nocturne

お聴きになる時、伴奏については不問に付して頂きたいのですが(皆さんよく付き合って下さったので)、当日私が留意したことは、
・アーティキュレーションの区切りにくる部分は原則として空虚感を出すこと
  (一ヶ所だけ、わざと意識して「突然の中断」にした個所があります。)
・「歌う」場合にはブレスをとるべき箇所を「ブレス無し」にして苦しげに聴かせること
・私の音楽に「伸び」があることにつられて伴奏も間延びしてしまったら、
  それを充分に聴き終えてから次のフレーズを始めること
・最後の音以外は「この先も永遠に続く」ようには伸ばさない・・・
  すなわち、逆に最後の音だけは切れないようなボウイングで弾く
の4点でした。
この意図がどの程度実現されているか、恐縮ですがお聴き頂き、反省材料のためにご助言を頂ければありがたく存じます。

もうひとつ、これはフルートソロにヴァイオリンソロが(まったく同じものを音色的な補強として)補う、という例です。

フランス組曲2.Brittany

中間部に、、まず合奏でクラリネットと弦が「ミ|ラソ#ラドラソ#|ララドラシー(移動ド【すなわち非フランス音名】読みのテ−マを奏でるのですが、これをフルートソロがエコーで奏する。エコーのバックですからフルートより音量があってはいけないけれど、音程・ニュアンス・タイミングはピッタリ一致しなければならない。2回目では私は入りで若干の遅延を起こしてしまっています。その他の点については、はたして、やるべきことが出来ているでしょうか? その点をあらためてご評価頂ければ幸いです。

なお、留意した点はすべて、今回読んできたアーノンクールの記述に依拠しています。


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