« 愛する、愛される(再スタートにあたって) | トップページ | ベルリンフィル時代のチェリビダッケ(2) »

2008年7月 8日 (火)

ベルリンフィル時代のチェリビダッケ(1)

(もとのブログがトラブルで開きませんので、そのあいだは「気の張ったお勉強」は一反中止しまして、そちらとは関連のないものを採り上げてみたい、と思いましたが・・・始めかけていた「お気楽鑑賞」をうっかり忘れていたのに気が付きました。)

チェリビダッケのベルリンフィル時代はほとんど知られていませんでした。
彼の息子さんが作った映画は残念ながら見ていませんので、その映画の中にチェリビダッケのベルリンフィル時代が採り上げられているのかどうかは、私は知りません。
書籍でも、チェリビダッケ自身の言行録の類いからは輪郭が掴めませんし、信頼して読んでよいと思われる「名指揮者」評伝になると、彼の姿は(・・・この点はムラヴィンスキーを初めとする旧ソ連の指揮者たちについても同じですが)その本の中に独立して現れることはありません。新書ではフルトヴェングラーとカラヤンの確執を描いた本の中にやや具体像を持って登場しますが、彼の姿がベルリンから消えたあとについては、ベルリンと接点がある場合にのみチラッと顔を出すに過ぎません。また、独立した彼の伝記も登場しましたが、立読みしたかぎりでは、著者は彼の姿を好意的に書くことに熱中し過ぎているように思います。

具体的に彼がベルリンでどの程度の評判だったか、ということは、従って、客観的に判断出来る「文章」は、いまのところ見当たらないのではないか、と思っております。

それなら、当時の世評を窺い見ようなどという試みよりは、彼がベルリンフィルとどんな音楽を演奏していたかをじかに(とは言っても、もちろん後代の私たちは録音を通じてしか出来ないのですが)接するのが、いちばんいいに決まっている。

ところが、これがなかなか発行されていませんでした・・・少なくとも私のような一庶民が身近に聴けるようには、売り出されていませんでした。

それが、今年(2008年)5月に、なんと、10枚組セットで、しかも2,000円を切る値段で登場したのです。
チェリビダッケがベルリンフィルの常任指揮者や正指揮者に就任出来なかったのは、フルトヴェングラーの死のタイミングがカラヤンに有利に働いてしまったため、また、チェリビダッケが人間的にベルリンフィルに対して厳しすぎたため、と、どちらかというと「運・人格・政治」的側面からだけ理由づけられていますが、本当に「それだけ」だったのか・・・肝心の演奏の中身について、考慮しなければならない点は存在しなかったのか、というのが、このボックスを見た時に私がとっさに思ったことでした。値段も値段ですし、この際、ちょっときちんと聴いてみようかな、というわけです。

この10枚組、ロンドンフィルとの演奏も含むのですが、ベルリンフィルの正指揮者を勝ち得られるかどうかという時期の貴重な資料です。
CDのナンバーは、おおむね演奏されている曲の作曲年代順になるように付けられています。
まずは、その1枚目を聴いてみましょうか。・・・と言っても残念ながらご一緒に耳にすることが出来ませんので、私の「主観的な」印象を綴ります。実際にお聴きになって、
「いや、ken、そこは違うんじゃないの?」
「そうかい?」
なんて会話が出来れば、ずっと嬉しいのですが。



CD1の収録曲は、
1)モーツァルト:交響曲第25番(小ト短調)
2)ハイドン:交響曲第94番「驚愕(ビックリ)」
3)ハイドン:交響曲第104番「ロンドン」
で、内1曲がロンドンフィルとの共演、残りふたつがベルリンフィルとの録音です。

さて、クイズ。
ロンドンフィルと共演しているのは何番でしょう?

「3番!」

ハズレです。・・・まあ、そう来ると思ってたでしょう?

1番のモーツァルトが、ロンドンフィルとの演奏です。

あとの2つのハイドンは、いかにも後期ロマン派から第二次世界大戦にかけて「肥大化」し続けたオーケストラの演奏を具現化していますし、とりたててチェリビダッケの個性が表れた演奏だとも思えませんでしたが、注目していいふたつの点があります。
1)「ハイドンは小規模なオーケストラで演奏されるものだ」という最近の「新常識」は疑ってもいいのではないかということ・・・実際、演奏されている2曲ともハイドンの後期作品で、とりわけ「ロンドン」の方は「小規模な」オーケストラで演奏された、という「保証」があるわけではありません。必ずしも交響曲と同列にみるわけには行きませんが、ハイドンのオラトリオ<天地創造>は非常に大人数で演奏されたことが明確になっています。また、チェリビダッケの演奏に限らないのですが、ハイドンは知らないままにロマン派以降の作品を大規模なオーケストラで聴くことに慣れた耳(30代から40代前半までの人にとっては、既にハイドンは、あまりなじみのない作曲家ではないかと思います)の人はほぼ100%そうでしょう)には、大規模なオーケストラで演奏されるハイドンが、実にロマン派的に響くことには新鮮な驚きを覚えるはずです。「ロンドン」は、ハイドンの作品だと知らないで聴くと、
「え? シューベルトにこんな交響曲があったっけ?」
と首をかしげても、別に不自然ではないくらいです。
2)「驚愕」の第2楽章をこんなに「ビックリ」聴かせてくれる演奏家は、過去も現在も稀でしょう。ここにはチェリビダッケの「才気」が、確かに感じられます。ただし、本質的なものでない証拠に、「驚愕」の演奏で最も印象づけられるのはこの部分だけです。・・・この「本質的ではない」というのは、後年のチェリビダッケの音作りに対する姿勢を考えさせるヒントが隠れていますが、1枚目を聴いただけでは、「それはどんなものか」までを述べることは出来ないでしょう。

さて、モーツァルトです。
・・・うーん、チェリビダッケは、この曲をどう演奏したかったのでしょう?
確かに、悪くない演奏ではあります。でも、つかみどころがありません。
彼が当時最も影響を受けていたフルトヴェングラーに似たモーツァルトを演奏したかったのではないか
・・・ですか? それは、音楽の流れが、ちょっと聴いただけだと「ロマン的に」流れているような感じがするからですか?
フルトヴェングラーの演奏したモーツァルトは、多くはありませんが録音が残っています。同じ調の交響曲ですが、ウィーンフィルと共演した第40番や、歌劇の序曲類があります。これが、チェリビダッケの演奏している25番とは全く似たところがありません。チェリビダッケの指揮した25番には「甘さ(この言葉の持つ2面いずれもの意味での)」がありますが、フルトヴェングラーの40番には「強さ」があります。「ロマン的」というならワルターの25番が代表的だと言っていいでしょうが、ワルターのそれにある「厳しさ」も、チェリビダッケの指揮した演奏にはありません。
どうも、まだ、チェリビダッケ自身がモーツァルトをどう扱うかについて考えをまとめきれていない。極端に言ってしまえば、1枚目の演奏の中では、総体として聴いた場合には「最もつまらない」演奏です。
「いや、待てよ」
なのが、第2楽章です。
もし熟成した後のチェリビダッケのブルックナーの演奏がお好きな方なら、彼が若かりし日に残したこの小ト短調交響曲の第2楽章には
「うむ、なるほど!」
と感じ取れる<何か>がひそんでいます。

同じく素晴らしいブルックナー指揮者だったオイゲン・ヨッフムとの、ブルックナー演奏に対するスタンスの違いの萌芽が、若いチェリビダッケの演奏したモーツァルトの緩徐楽章には、ハッキリと聴き取れます。
ヨッフムはブルックナーの「骨組み」を大事にした、硬質な響きを好みました。老成してからはふくよかさが加わりましたが、若い日からの「確実な構成感」は、一生貫かれています。
チェリビダッケの青年時代のブルックナーは、録音が残っているのかどうか、私は把握をしておりません。かつ、今度出た10枚組にも、ブルックナー作品は含まれていません。ですから、後年の一連のブルックナー演奏から推測するしかないのですが、チェリビダッケにとっては、ブルックナー作品は、そうでなくても既にはっきりしている「骨組み」をことさら強調する必要は感じていなかったと思われます。「器は既にしっかりと存在する」ことが前提で、それが出来ていないオーケストラとブルックナーを演奏する、などとは考えなかった。おそらく、そうした点ではチェリビダッケはヨッフムに比べると、技量のないオーケストラに対しては甚だ厳しい・・・およそ「お前らの面倒なんか見ていられるか」といった具合の人だったのかもしれません。ともあれ、チェリビダッケがブルックナーを指揮する際にオーケストラに求めたのは、「豊潤で柔らかな」、あるいはとんでもない比喩を用いることが許されるのでしたら、「いとしい女性を抱きしめるような」響きでした。・・・これは、「好色」とは全く違うのです。ブルックナーの素朴だった人柄には、むしろヨッフムよりも的確に迫っているかも知れない。口の悪い人にいわせれば「女好き」だったブルックナーが、なぜ結局未婚に終わったかを考えてみて下さい。・・・彼が終生ど田舎もので、女性への愛の告白が素直すぎてヘタクソだったからです。次から次と報いられないわけですから、結果的に、ヘタな鉄砲を数撃って当たらなかった、というわけです。
脱線しましたが、これ以上、実は今回はいうことがありません。

ブルックナーの奥の上記のような精神を感じ取る下地が既にあったにしても、モーツァルトの25番は第2楽章以外は、チェリビダッケにはまだ扱いきれなかった。
その点、カラヤンが同時期にはもう「艶っぽすぎる」モーツァルトの演奏を残していることを付言しておくべきかもしれません。チェリビダッケにそれが出来なかったのは、彼が終生「オペラ」を指揮出来なかった(しなかった、のではなく、出来なかったのだ、と、私は思います)ことと表裏一体をなしているのではないでしょうか?

・・・予定外に長くなってしまった!
・・・駄弁、失礼しました。



2枚目のディスクはベートーヴェン、ベルリオーズとメンデルスゾーンです。
そのお話は、また。

|

« 愛する、愛される(再スタートにあたって) | トップページ | ベルリンフィル時代のチェリビダッケ(2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/208675/41778515

この記事へのトラックバック一覧です: ベルリンフィル時代のチェリビダッケ(1):

« 愛する、愛される(再スタートにあたって) | トップページ | ベルリンフィル時代のチェリビダッケ(2) »