救いの影
私の所属します東京ムジークフローの第45回定期演奏会の演奏をアップしました。忌憚なくご批評頂き、少しでもよい演奏をするヒントを頂ければ幸いに存じます。
この記事は、明日にでもDVD<第三帝国のオーケストラ>をご紹介しようと思っている、その前置きとして綴るものです。ですが、紹介したい現物についてより、長々したおしゃべりになるかもしれません。
<第三帝国のオーケストラ>では、ナチ時代を生き抜いたベルリンフィルのOBたちが、 「音楽家は前から政治に疎かったし、これからも疎いだろう」 と述べています。・・・純粋な音楽家は、私も「かくあるべし」だと思っております。 なぜ、それが「かくあるべし」なのかについては、ですが、社会の現実との対比で見ておかなければなりません。
昨日、息子と映画を見に行きました。 見たのは、「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」です。 中身はともかく、エピソードが1957年に設定されているところに、「ほほう!」と思いました。 アメリカは「赤狩り」、ソ連は「スターリン苛政後期」の時代です。 主人公のインディはKGBにつきまとわれ、それが災いしてFBIにも睨まれる、というのが、話のスタートになっています。 「アメリカでも、<右だ、左だ>という両極端な発想は消えつつあるのかな」 そんな感慨が、脳裡をよぎりました。
日本でも、ようやく、「昭和世代の発想である、『左翼は労働者の味方』というのは、もはや誤りである」と公言する人が出てきました。私は、最初にベルリンフィルのOBの言葉を引いたことからお汲みとりいただけるかと思いますが、このものの見かたに対する評価はするつもりはありません。ただ、次のことだけはお話しておきます。私の勤めている会社は、世間様の中では決して小さい部類ではありません。本体には「組合」もあります。ですが、私は「子会社」採用でした。子会社は本体の組合の対象外でした。そのくせ、私の勤務先は、なぜか、最初の職場以外は、本体と密接に関わる、あるいは本体そのものの仕事ばかりでした。異動するたび、私の周りは「壁」で囲まれました。比喩ではなく、実際に仕切りがありました。
最近、小林多喜二の『蟹工船』が、リヴァイヴァル・ヒットを遂げました。昭和の頃にはまだ想像もつかなかったことですが、書店で『蟹工船』が積み上げられた台の前には、大きく
「プロレタリアート文学、と敬遠しないで読んでみよう!」
などと書かれています。
敬遠?・・・表面はともかく、「プロレタリアート」という言葉に日本人の歴史的時間がしみこませてしまった、なんらかのマイナスイメージが除去されていないことが、書店の大書の意図とは裏腹なのではありましょうけれど、裏付けられています。
一方で、その隣には<現代の蟹工船!>と銘打たれた本が、これまた山と詰まれています。
『ブラック会社に勤めているんだが、俺はもう限界かもしれない』
という、「2ちゃんねるログ」文学(?)とでもいう代物です。
ですが、後者を読んでみても、
「なんだ、これは『蟹工船』とは全然重ならない話じゃないか」
と首を傾げざるを得ませんでした。
どこが、なぜ、どのように違うのか。
「プロレタリアート」は、主義主張云々に全く関係なしに、「子供以外に財産を持たない人」を意味するラテン語に由来し、「無産階級」を現すことになったドイツ語です。これが思想用語として使われだしたのはフランス革命以後のドイツでのことです(それ以前、習俗的にどうだったかは、今は措きますし、その後どのように色づけされて行ったかにも触れません)。
言葉の意味を調べての上でなのか、全く関係なしになのか、『蟹工船』が最近異例の売上となったことについて、リンク先の記事のような、論評とも慨嘆ともつかない、半端な文章が掲載されました。
肝心の多喜二の作品を読まぬままに、この文章にある次のような個所に触れるとします。
・過酷な労働の様子や、労働者が資本家に虐げられる内容が読者の共感を呼んでいるそうだ。
・自分たちは決して楽にならず、監督や船長の利益が増えるだけ。79年前の小説ながら、確かに現代のワーキングプアに通じるものがある。
・「プロレタリア文学」っていうと難しく感じるけど、作中の人物が言うには、「あなた方、貧乏。だからあなた方、プロレタリアート」ということになるそう。
つまり「プロレタリア文学」とは、言いかえると「貧乏文学」ってことになるのかも。そんな小説が売れちゃうのが今の社会か…。でもなんだかなぁ、やるせない。
言葉の表面だけ捉えるならば、こうした文言に接すると、
「そうなのかあ・・・」
と思ってしまうことでしょう。
が、多喜二が描こうとした本質については、この文章の筆者は全く「素通り」していて、かつ、そのことに気づいていないことは、作品そのものを読めば明白になります(文の筆者が『蟹工船』をちゃんと読んでいない証拠は、上に引用したもののなかからも分かります。『蟹工船』の中では、船長はナンの利益も得る立場にありません)。
<過酷な労働の様子>だけに共感を覚えたのでしたら、これまで年間五千部しか売れなかった本が、なぜ一気に35万部も売り上げたのかは全く説明がつきません。過酷な労働状況を書いた小説なら、私のようにあまり文学は知らない人間でも、たとえば夏目漱石に『坑夫』というのがあるのを読みました。しかし、『坑夫』における、漱石のある種登場時人物よりも高い位置からの視線では、『蟹工船』は書かれていません。
<労働者が資本家に虐げられる内容>の例示としては、蟹工船の監督者(=資本家の代理人・・・多喜二は巧妙にも、実は違うのだということを行間ににじませていますけれども)が、仲間の船の遭難の救助を阻止したり、死んだ漁夫の粗末な葬儀を同じ船で働く別の漁夫達があげる事さえいまいましく思う風景などを持ち出せばいいのかもしれません。・・・ですが、資本家の代理人であったはずのこの監督は、『蟹工船』の結末では資本家に解雇されることになり、その際に
「あーあ、口惜しかった! 俺ア今迄、畜生、だまされていたんだ!」
という捨て台詞を残していることを忘れてはなりません。
その他、出てくる漁夫達は、表面上は親しく会話を交わしながらも、物語の大詰めに至るまで、それぞれがそれぞれに別々の感情でしか行動をしていません。
ポイントとしてまだ触れるべき場面は数多くあるかと思います(大きく見たときには、『蟹工船』という存在が船舶法にも工場法にも保護されない対象だったということが事実かどうかは、専門のかたがご研究済みかもしれませんが、衝撃的な背景の一つとなっています)。
が、最後のとどめは、ロシア人と接点を持った遭難者が船に戻ったところで皆と会話するうち、船に乗り込んでいた「共産主義」の知識のある学生がそれを漁夫達の「連帯感」醸成に活用する、という、一見、船の上の問題がすべて解決しそうになった段階で、まだ彼らは「それでも大日本帝国、その海軍は俺たちの味方だ」と思い込んでいて、どん詰まりで「・・・実はそうではなかった!」と気づく、パニック寸前の状態で、具体的描写が寸断されてしまうところにあります。・・・「附記」は、寸断された場面以後について明瞭に描くことはなく、円満解決で話をとじています。
とくに学生の視線が、多喜二の分身になっているところが、一つのキーかな、と思います。
かつ、この小説に登場する「プロレタリアート」は、「貧乏」なのではなくて、正真正銘の「無産階級」なのです。この点では、歴史的背景について後述するように、やはり上記の「評」の筆者は、作中の「あなた方、貧乏。だからあなた方、プロレタリアート」というロシア人が難破者に聞かせた言葉に対して表面的な反応をしただけで、作品を「読む」姿勢を全く持ち合わせていないことが分かります。
昭和晩期以降、日本には「階級」という言葉は中性化(意味があるようでない言葉化)されてしまっていますから、それが読み取れなかったのは無理もないのかもしれません。
そこはしかし、やはりキッチリ勉強してもらいたいものだ、と思います。
ロシアにはロシアの歴史の上で、「階級」が存在しました。・・・古代から「階級」の存在しない社会は皆無に等しいのですが、ロシアの場合は、まずそこに住む民族がスラヴ族だったこと(スラヴは英語などで奴隷をあらわすスレイヴと同起源で、これは古代ヨーロッパではスラヴ族は奴隷にされやすい社会的位置にいたことを示します)、そのスラヴ族が自分達の王朝を確立した際に、「先進ヨーロッパ」を模倣したために「農奴制」というかたちで奴隷制を継承し続けたこと・・・すなわち、「無産階級=プロレタリアート」が多数存在した、という面で、ロシアは特異な存在でもありました。「貧乏」だから「プロレタリアート」だったわけではないのです。したがって、多喜二が知っていたかどうかは問わないとしてもなお、多喜二はなお、先の
「あなた方、貧乏。だからあなた方、プロレタリアート」
というセリフは、あくまでその後の物語の進行のために小道具として使ったに過ぎないことを、まず理解すべきです。
さらに言うなら、単純に「貧乏」に反応して漁夫達が「俺たちもプロレタリアートだ」と思ったのか、というと、そこは違うでしょう。
日本の「無産階級」は、明治が訪れるまでは希少であるか、居住地域が限定された人たちでした。
それが、明治において急速に経済の仕組みが変化していく中で、それまで「無産階級」でなかった人々までが大量に「無産階級化」していった、ということも、物語の背骨となっています(詳細は歴史の本などをご参照下さい)。「貧乏」という言葉を、漁夫達は、自分達の(この当時だと)祖父母の時代まで遡って、「なぜ?」と自問せざるを得なかったはずです。「これが俺たちの本来の姿なのか?」と。
そこには、「貧乏」という表面的な事象を超えた、人間存在としての自己の尊厳への問いがあるのです。
すなわち、多喜二の描いた世界は、そうした「大量発生した無産者」たちの日々を、はたして自分達はどのような自助努力で、非人間的な境遇から開放するか、に対する多喜二なりの回答案なのであって、それが「共産主義」であろうがなんであろうが、本来は構わなかった・・・そうはいっても、別の選択肢はなかった、だから後代「プロレタリアート文学」と<括られてしまう>作品を、命がけで作らなければならなかったのです。
これは(新潮文庫版では)併載されている『党生活者』の方で、こんどはまた別の、「これしかない選択肢」がいかに茨の道であるかが、『蟹工船』では学生が持っていた視点をより深めて、直裁に描かれています。
ともあれ、『蟹工船』は、色眼鏡を捨てて読んでみれば、面白いほど、黒澤明監督映画『七人の侍』に似ている・・・などと言い添えたら、まじめに『蟹工船』を読んだ方に叱られるでしょうか?
では一方で、「現代の蟹工船」と称して書店の棚で『蟹工船』と並べ置かれている代物の方は、どうでしょう?
『ブラック会社に勤めているんだが、俺はもう限界かもしれない』
この本の内容は、非常にかいつまんで言ってしまえば、中卒ニートのプログラマ君が過酷な労働条件、連帯意識など生まれようもない職場で、新入社員となって早々とんでもない苦労を重ねはするけれど、最終的には自分の両足で立つ事ができる自信を得る、という、標題とは裏腹の成功物語です。
・・・成功物語が、なぜ、『蟹工船』と並列で見られなければならないのでしょう?
共通すると思われるキーワードは「過酷な労働条件」、そこから双方を連想で繋げる言葉は「ニート」および中卒という「学歴社会からのはみだし」です。
けれども、まず連想で繋がっている部分には、決して等式は成り立ちません。
「ニート」は、階級ではありません。
「学歴社会からのはみ出し」は、即「無産」を意味しません。で、こちらにはそれでも若干の意義は認めようか、と考えてみても、まず無理なようです。主人公が、最終的にはこの「仮現的階級」から脱することに成功してしまっているからです。
成功してしまった主人公が「ニート」であったことも、同時に捨象され、消滅してしまうのです。
「過酷な労働条件」のほうは、如何?
読んでみると、これは『蟹工船』における局面と次元を全く異にしています。
サラリーマン、とくにセールスに携わったことのある人ならば、実は似たような経験や覚えをしたことのある人が多数存在する。で、そういう読者達も、「過去ニート君」と同じように、同僚同士で(結果的には)その条件を丸めあい、ごまかしあい、容認することで生活してきたのです。・・・ここに至るには、第二次世界大戦後に日本で合法化された「組合」が、結局は<労働基準法遵守>よりも<賃金確保>で経営者側と妥協してきた、という、およそ多喜二が理想としたのとは程遠い現実が重ねられてきたことの結果が尾を引いているのです。
現在、大手企業からの受注に頼らなければならない多くの中小企業が苦境に立つ一方で、大きな自企業の「労働者」たちの労働条件を「改善しよう」と持ちかけているのは、むしろ経営者側であることにも注目しておく必要があるでしょう。・・・なぜか? 労働条件の改善が、「上乗せ残業代」の減額、「労働災害」の減少による賠償責任の低減、等等、結果的に「コストダウン」に繋がるからなのです。
さらに、ニートやワーキングプア問題は措くとして、「労働者派遣業」の隆盛(平成と同時併行で拡大してきました)が、最初は「転職していろいろ経験したい」(昭和の終わりあたりから、実際にそう話す派遣社員さんを、私は何人も見てきました)と若い世代の欲求を吸収するかたちで始まり、今となっては「終身雇用者をこれ以上確保できない」企業の便利屋化し、結果的には、いちばんの働き手になっていってくれるであろう若い人たちの雇用への不安感を煽る一方となってしまっている点にも着目しておかなければなりません。
『蟹工船』が読み直されたのは、そこに描かれた「不安」が、読み直した人たちの「不安」と何処かで重なったから、であるのは間違いないとします。
ところが、まだ根本的に読み取られていないのは、
「じゃあ、俺たちはどうしたらこの不安から逃れられるのか」
という、これは多喜二の方にはちゃんと解決策が謳われていた方の部分でして、残念ながら、時代が違うために多喜二が示したとおりの方法(『蟹工船』と『党生活者』で示されているものはそれぞれ違いますから、どちらかを選択出来るのでしたらまだよかったのでしょうが)は使えない、ということも、おそらく読者は理解できています。
・・・と、ここまで「まとめ」てしまっておいて、じゃあ、ここで私なりの以上に対する解決案を提示をどうするのか、は、実は答えを何も用意していません。
要は、以上のような問題を総括的に捉えようという試みが「あるまとまり」としてなされようとしない状況では、ヘタをすると反動的社会がまた訪れはしないか、という危惧が、私の中にあります。それが過去人々が「右」と呼んだり「左」と呼んだりした、いずれの世界であっても、恐ろしい。
類似の問題・課題は「雇用」に限らず、「経営」・「教育」・「経済」・「福祉」・「環境」その他多岐にわたって発生しています。
それぞれを解決することが出来るのは、それぞれの当事者でしかありません。
(その中には、私自身も、私の家族も、私の親しい人たちも、全て含まれます。)
『蟹工船』ブームを断片的な例として捉えるのではなく、そこで何が求められたのか、それは他の社会的課題とどのように整合性をとって解決されていくべきなのか、を、私たちはまず、社会に生きる当事者としては真剣に考えていかなければならないことは間違いありません。
いちばん最初に大切なことは、しかし、流行したのが「思想書」・「プロパガンダ」の類いではなく、文学だったということから見出される「救いの影」です。
文学は言葉の芸術ですから、「思想」に最も近いところにありますけれど、それは「思想」とは違ったかたちとして結晶したものです。
そこから、まず短絡的な結論ではない、もっと根源的な「私達の存在とはなにか」を求める、本能的な力を、私たちがまだ失っていないことを信じても、良いのではないでしょうか?
「第三帝国のオーケストラ」そのものは別途、きちんとご紹介しますが、長くなってしまった今回の文の最後に、この映像に登場するベルリンフィルのOBたちの、<ヒトラー後>の行動についても一言しておきましょう。
ベルリンフィルの中にも数人のナチがいました。戦中は、ベルリンフィルの大多数の連中が、数人の党員のおかげで窮屈な思いをしたのでした。
・・・それでもなお、彼らは最終的に、米軍によって「非ナチ化」された旧党員達を許し、受け入れたのです。
「思想」では解決できないものが「文学」にはあります。そのなかに、人はまず心の救いを見出します。
それでもなお見出しきれないとき、人は「音楽」に癒しを求めるのかも知れません。
私が、冒頭に掲げた
「音楽家は前から政治に疎かったし、これからも疎いだろう」
という、大先輩達の言葉に共感するゆえんです。
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