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2008年7月23日 (水)

第三帝国のオーケストラ

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私の所属します東京ムジークフローの第45回定期演奏会の演奏をアップしました。忌憚なくご批評頂き、少しでもよい演奏をするヒントを頂ければ幸いに存じます。
昨日ご紹介の「前置き」を綴った、実際に「見て頂けたらいいな」と思っているDVDです。 ただ、どうも品薄のようで、私がネットで購入した際、一度「品切れ」通知が来て、キャンセル直前に「ありました」通知が来ました。以下のご紹介によって興味をお持ち頂いたら、店頭などで見つけた際には是非、即、ご入手のご決断を!
41n66ff11pl_sl160_aa115_正式のタイトルをきちんと訳すと、

帝国のオーケストラ(第三帝国とベルリンフィル)>

というものです。

1933年から1947年にかけての、ナチスとベルリンフィルの間の、また、ナチス敗北後の占領軍との、秘められた苦闘が物語られたドキュメント映像です。

インタヴューを中心とした構成ですので、演奏そのものにしか興味がない、というかたには用がない代物かも知れません。
ただ、そういうかたにも瞥見していただく価値のある映像が、いくつかちりばめられていますので、そちらを先に、順不同で挙げてみましょう。(有名指揮者に限ります。ただし、ここに挙げないヘボ指揮者のものでも、そんな棒の下でベルリンフィルがきっちりした演奏をしている、ということも見落とさない方が良いかも知れません。)

・フルトヴェングラー指揮による第九終楽章最終部(1937、1944)
・フルトヴェングラー指揮、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲(某工場での演奏)
・フルトヴェングラー指揮、「ティル・オイレンシュピーゲル」一部(1950)
  〜全曲演奏の映像が残っているものの一部です。
・クナッパーツブッシュ指揮、ベートーヴェン第5第2楽章一部(アラゴンにて。音は後でつけたもの?)
・クナッパーツブッシュ指揮、「エロイカ」終楽章後半
・クレメンス・クラウス指揮、「未完成」一部(ただし、状況の悪い映像です。ベルリンではないようです。)
・ジョルジェス指揮、「ティル・オイレンシュピーゲル」リハーサル風景一部
  (ルーマニアの指揮者だそうですが、この指揮者の詳細については知りません。
   やり手だったように見えます。)
・R.シュトラウス自身の指揮?:ベルリンオリンピックでの「オリンピック賛歌」一部
・チェリビダッケ指揮、「エグモント」序曲の一部

フルトヴェングラーの「ティル」、クナッパーツブッシュの「エロイカ」、チェリビダッケの「エグモント」の映像は、他に出ているDVDでも見ることが出来るものですが、現在ではそれらのディスクは手に入りにくいので、未見でしたら「帝国のオーケストラ」で是非ご覧下さい。

なお、集められたフルトヴェングラーの指揮ぶりを見ていると、過去に「フルトメンクラウ(降り方が分かりにくかったとされる近衛秀麿氏に付けられた渾名ですが、フルトヴェングラーの棒の先が震えて楽員には分かりにくかった、とのエピソードが流布していたことに由来します)」などという言葉を生んだのとは裏腹に、思いがけないほど拍節感を明確に振っていることが分かります。・・・ついでながら、近衛さんの棒も、決して分かりにくいものではありません。



第三帝国のオーケストラではなかった、と、ナチ時代の記憶を強烈に持ちつづけているベルリンフィルのOBたち、その家族達は、今も確信しています。
それを実証するために、ドキュメントの中の登場人物は、信念を持って証言しつづけます。

これが、かいつまんでしまえば、このドキュメンタリーの全てです。

話は1934年の、ユダヤ人メンバーの自主あるいは強制退団から始まります。
いったいなにが、自分の傍で起こったのか?

若いコンサートマスターだったセバスチャン氏の証言は、それについての自問から始まります。
人数は決して多くはなかったものの、尊敬し、目標としたシモン・ゴールトベルクをはじめとする貴重な人たちが、「人種」故に、「アーリア人ではない」故に、もっと突き詰めれば「ユダヤ人」であるが故に、身に迫った「自分自身と家族の投獄」から逃れるため、ポツリ、ポツリと姿を消していく。
代わりに、団内には純正なナチス党員も5,6名現れる。そして、他の団員の行動に目を光らせる。
「セバスチャン君、さっき君と歩いていたのはユダヤ人だったのかい?」
「そうだけど・・・」
訊いて来たのは、ナチス党員となったトランペット奏者だった。
ベルリンのフィルハーモニーの建物に飾られていたメンデルスゾーンの肖像も、いつの間にか取り外されていた・・・
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲につけたクライスラーの名カデンツァも、隠れて練習するしかなくなった。

ベルリンフィルはそれまでは「会社組織」のようなものだったのに、「国有化」される。
そのかわり、メリットもあった。戦場に行かずに演奏を続けてよい、というものだった。

ユダヤ人でも、ハーフであれば、指揮者フルトヴェングラーが尽力して、ナチスの手が及ばずに演奏が続けられるよう取り計らった。

いろいろな物語があり・・・戦争はやがてドイツに不利に展開、空襲も激化する。

ベルリンフィルは、ドイツの完全敗戦の間際、野戦病院へと慰問コンサートに向かう。
そこには、手足を失ったりした、たくさんの負傷兵がいた・・・
街からは、団員以外の若者は、とっくに、一人残らず姿を消していた。兵役に駆りだされたためだった。

「突然、私が何をすべきか、が分かったんです」
セバスチャン氏は涙ながらに回想します。
「音楽を・・・傷ついた人々に、音楽を。。。」
彼らはベルリン陥落間際までコンサートを続けたのです。

4月にソ連軍が侵攻してベルリンは陥落、7月にはアメリカ軍がベルリンを占領します。
と同時に、「ナチス」の呪縛から開放されたベルリンフィルは、5月にメンバーが再会すると、まず自主的に「ナチ党員」を除名し、それから、ナチス時代には禁じられたメンデルスゾーンの「真夏の世の夢」やチャイコフスキーの交響曲第4番を演奏し、喜びに浸りました。
それもしかし、まだ苦難の終わり、ではありませんでした。
彼らの保護者だったフルトヴェングラーは「ナチスだった」と断定されてしばらくのあいだ指揮活動を禁止されます。
代わりに団員の信任を得て常任指揮者となったボルヒャート氏は、アメリカ軍の誤った(?)銃撃によって悲劇的な死を遂げます(ウェーベルンを誤射して殺したのも米兵でしたね)。
そこで、若いヴァイオリニストが知り合いだった、まだ学生のチェリビダッケ(映像中ではチェリビダッハ、と発音しています)が、しばらくのあいだ、正指揮者を務めることになった・・・チェリビダッケとベルリンフィルの出会いは、これが真相だったことがわかります。

やがて、待ちに待ったフルトヴェングラーの復帰。
ですが、彼は1955年に予定されていたアメリカへの演奏旅行まで生きることが出来ませんでした。
55年のアメリカ演奏旅行については、カラヤンがその同行者だったこと、カーネギーホールで鳩が離されるという妨害や、"NO HARMONIE with NAZIS"のプラカードを連ねるデモに会ったこと以上には詳しく語られません。・・・それはベルリンフィルの本質には何も関係が無い、だから、さほどの問題ではない、とでもいうふうに、ドキュメンタリーはその際のデモの写真を映し出し、一方で不幸な運命をたどったゴールトベルクの残したコメントをナレーションとして流し、静かにエンディングを迎えます。



もちろん、内容はここで綴った簡単な梗概にとどまりません。

彼らの味わった苦しみのドキュメントは、たとえばスターリンとショスタコーヴィチの葛藤を描いたものに比べれば、遥かに地味なものであるかも知れません。
ですが、このドキュメンタリーは、現代の私たちに訴える確実な「何か」を持っています。

敵国、というだけで、その文化を守ろうとしただけで、戦勝国がその国の人々を勝手かつ単純に「ナチス一辺倒だった」と裁くことが妥当だったのかどうか?
さらに、戦勝国は、占領した敵地で、罪もない、貴重な人材を、たとえ誤射だったのが本当だったとしても、勝手に殺戮した事実について、なんの負い目も持たずにいて良いのか?

こうしたことが、今でもなお、ベルリン占領時と同じように、世界のあちこちで行なわれているのは、いったいどういうことなのか。

じつは、セバスチャン氏の言っているとおりではないし、他の証言者も同趣旨のことを言っているので、それらを要約したものでああるのですが、

「音楽家は政治に疎かったし、これからも疎いだろう」

という言葉は、見かけ上の言葉の弱さとは裏腹に、実はかなり強いメッセージを私たちに伝えようとしているのではないかと思うのです。

政治、というものに・・・言葉を変えれば、それを「実行」する特定の人物に集中すると錯覚される「権力」に・・・、名前こそ大きいながらホンの小所帯に過ぎないベルリンフィルのメンバー達は、小さいながらも、固い結束をもって背を向けてきた。それについての宣言を、しかし、彼らは別に大袈裟にやろうだなんて思ってもみもしないだけです。

「音楽家は政治に疎かったし、これからも疎いだろう」

この言葉は、淡々と語られるにとどまります。

本当は、「言葉にする必要すらないのかもしれないなあ」、と思いつつ語ったのかも知れません。

大事なことは、行動でした。
・数人混じっているナチス団員とは決して口を利かないこと。
・せめて、助かった半ユダヤ人は、自分達で守りつづけること

そして、戦争が終わり、ナチスの余韻もほぼ消えうせると、ベルリンフィルのメンバーは、かつて除名したナチス党員だったメンバーをも、その程度の軽重によって、あるいは団員に復帰させ、あるいはエキストラとして呼び寄せました。

「音楽は思想・信条を超え、一緒に奏でる者同士にはいかなる差別も存在してはならない」

・・・私のこのまとめが適切かどうか分かりませんし、よいものでもないかも知れませんが・・・ベルリンフィルは、自分達の身をもって、こうしたことどもを人々の前で実践して見せたのです。



ついでながら、ゴールトベルクは日本で亡くなっています。
彼の重要性が
「これほどまでだったのか」
という認識を持っていただく上でも、このドキュメンタリーは日本人にとっても必見のものではないかと思います。
ゴールトベルクの晩年を看取られた日本人の奥様、山根美代子さんは、2006年10月に逝去なさいました。

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コメント

おすすめのDVD、早速ネットで購入しました。
絶版になる前に買っておこうと思いまして。

いつ見られるかわかりませんが、早くみたいです!あ、まだ見てないDVDが何本かあるんだった・・・

投稿: gatto-rosso | 2008年8月 1日 (金) 12時54分

>あ、まだ見てないDVDが何本かあるんだった・・・

無駄遣いはいけません!
・・・って、人のことは言えないか。

投稿: ken | 2008年8月 2日 (土) 13時30分

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