« 旧ブログ復旧しました | トップページ | ベルリンフィル時代のチェリビダッケ(5) »

2008年7月13日 (日)

ベルリンフィル時代のチェリビダッケ(4)

L4WBanner20080616a.jpg

クラシックCD検索に便利!バナーをクリックして下さい!
旧ブログの方も、おかげさまで復旧しました。昨日(7月12日)の記事をご参照下さい。 様子を見ながら、削除した音声ファイルへのリンクも一部は戻していきたいと思います。
初期チェリビダッケ録音10枚組の5、6枚目はチャイコフスキーですが、これまでとは違う興味深さが顔をのぞかせるものは、やはり「存在」します。 収録曲は

CD5
1)交響曲第2番「小ロシア」(ベルリンフィル)
2)「くるみ割り人形」組曲(ロンドンフィル)

CD6
3)交響曲第5番(ロンドンフィル)
4)幻想序曲「ロメオとジュリエット」(ベルリンフィル)

「小ロシア」の録音、というのは、珍しい。ひょっとしたらチェリビダッケが初録音ですか?
そういうものについて書いた本があって・・・毛嫌いして読んでも買ってもいなかったけれど、ちょっと調べてみたくなりました。
有名作曲家の作品でも、「全部聴いてみたい」なんて考えを起こす人自体がまず稀ですし、そんな考えを持ったら最後、その人の音楽世界もそこで閉じてしまいますので、あんまりお勧め出来ることではない、とは思っております・・・と言いながら、自分はモーツァルトでそれをやりたい、だなんて考えている大馬鹿者なのですけれど。
逆に、「有名音楽家の作品なのだけど聴いたことも無い。実演される機会も少ない。録音も存在しないか、見つけにくい」というものは結構あります。録音が全く存在しないわけではありませんが、チャイコフスキーで言えば、この類いですぐ思いつけるものは「ピアノ協奏曲第2番、第3番」・「交響曲第2番・第3番」・・・チャイコフスキーは2番3番と付くと振り返ってもらえていない。。。
いずれも、CDは存在します。ピアノ協奏曲の第3番は、もしかしたら「悲愴」に代わる交響曲に仕上げられていた可能性のある作品で(って、これは逆で、事実はピアノ協奏曲第3番に仕上げたものでは不満足だったから「悲愴」の構想を練り始めたのです)、そういう興味から聴くと面白いのですけれど、本来は未完成品で、上に挙げた中では例外に属します。他の3つは、もっと聴かれても良い名作です。

その中で、交響曲第2番「小ロシア」は、作曲された年こそ1872年(チャイコフスキー32歳)と早いものの、5年後の、より洗練された第4交響曲の原型をなしたのではないか、と、私は勝手に思っています。Wikipediaあたりの詳しい解説を読んで頂ければ分かる通り、五人組の影響でロシア民謡的素材をふんdんに取り入れていて、たしかにそれはそれで面白いのですけれど、それでもやはり五人組とは一線を画した響きがするのがユニークな作品です。・・・曲の開設をするのが主眼ではないのに、前置きが長くなってしまいました。
この時期(1948年)にチェリビダッケがこの作品を早々と録音している事実も興味深いのですが、上に述べたような「国民楽派の影響化にある」チャイコフスキーの「小ロシア」を、ちっとも<国民楽派風>に演奏していないのもまた、非常に面白い。まるでドイツ圏の作曲家が作ったかのような、ロシアよりはごつごつしていない、かといってフランス風な<横流れ>の雰囲気も無い、硬質で、構成感をくっきり浮かび上がらせた演奏をしている・・・対照的なブルックナー演奏をしたヨッフムと、むしろ「小ロシア」の演奏にあたっては近似した姿勢で臨んでいるのは傾聴すべき特徴です。このことは「くるみ割り人形」と「ロメオとジュリエット」の演奏についても同様に言えることで(ですから、とくに「ロメオとジュリエット」についてはこのあと触れることはしません)、ドイツ古典派ではまだ自己を確立しきっていないチェリビダッケが、ロマン派期全期(メンデルスゾーンからブラームスまで)のほうに、むしろ自分なりの流儀を既に見いだしている、その延長線上でチャイコフスキーに取り組んでいる、ということは銘記しておいてよいかと思います。



「くるみ割り人形」演奏の面白さも、これがカラヤンであれムラヴィンスキーであれ(この二者の演奏流儀は全く正反対ですが、それでもなお)バレエ音楽としては踊り手に親切なのですけれど、チェリビダッケは「音楽のための音楽」という姿勢で演奏しているのが伝わって来ます。やはり硬質で、響きが厚い。ちょっと他の指揮者ではありえない「交響曲的な演出」を施している。


ロンドンフィルと録音した「交響曲第5番」は、こちらは当時既にロシアの外でも相当普及していた(ベルリンフィルの新常任にカラヤンが就任するまで、フルトヴェングラーとカラヤンはお互いのコンサートで、フルトヴェングラーが前日にチャイコフスキーの第5をやるとカラヤンは翌日第6をやる・・・逆だったかもしれませんが・・・そういう熾烈な争いの道具として使った曰く付きの作品の片割れでもあります)からでしょうか、他の3曲とはアプローチを変えています。
テンポの緩急を、同時期に活躍していた人たちよりも一世代前の、メンゲルベルクに近い、すなわちやや古風な方法で変化させている。最たる例が第1楽章の序奏終了後で、第1主題を非常に遅く開始します。これを長いクレッシェンドのあいだに少しずつアクセルをかけていって、頂点に達したところでは第1主題のテンポは開始時の2倍に速くなっている、という極端さです。後年「遅いテンポを好む」とばかり評され、実際に「遅いテンポの演奏」が多く記録されているチェリビダッケですが、このチャイコフスキーの第5に関して言えば、遅いテンポの部分よりも、極めて速い部分での方が、オーケストラを生き生きとならすことに成功している。・・・遅い部分には、まだ、成熟を迎えた後の安定感からは想像出来ないほど、むしろ「これでこの先大丈夫なのかなあ」という<情けなさ>を感じさせるゆるみがある。緊張感の確保に成功していないのです。
ただ、チェリビダッケは、カラヤンはともかく、フルトヴェングラーでももう失われかけていた「後期ロマン派の香り」を「維持したいなあ」という潜在的なあこがれのようなものは持っていたのではないでしょうか? それが、第5の演奏には表れているような気がします。
ブルックナーとの「本当の」出会いを果たしたとき、チェリビダッケはやっと、「まだいける! 後期ロマン派的な演奏だって<死に体>になることはないんだ」という確信を持つに至ったのではないのだろうか、と、これもちょっと野次馬根性を発揮したい誘惑へと私を駆り立たせてくれる、面白い例でした。

4回目にして6枚目まで終わってしまいました!
7枚目はまた単独盤。ドビュッシーと、これまた珍しいブゾーニです。・・・ありゃ、これもプレス不良みたいだ・・・まいったなあ。



本文に全然関係ないのですが、ちょっと胸を打たれた記事がJIROさんのブログに載っていたので、リンクしておきます。

「フィレンツェの大聖堂落書き、短大学長が関係者に現地で謝罪」←岐阜市立女子短大を見直しましたねえ。この学長、立派。

|

« 旧ブログ復旧しました | トップページ | ベルリンフィル時代のチェリビダッケ(5) »

コメント

こんにちは。JIROです。

指揮者の評価を一回の演奏だけ聴いて下すべきでないことは、言うまでもないことなのですが、私のチェリビダッケ初体験はちょっと不幸でした(←大袈裟)。

来日公演だったか、現地のコンサートの映像をNHKが買って放送したのか、いずれか忘れましたが、「展覧会の絵」だったのです。

私は彼のテンポ設定に非常な違和感を覚えてしまったのです。異常に遅い、と思いました。全曲そうだったか。今となっては記憶がおぼろげですが、その中で鮮明に覚えているのは「サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ」です。

「サミュエル・ゴールデンベルク」の弦が止まるかと思うほど、遅い。ここまで遅くしなくても良かろう、と、思い、何となく「チェリビダッケ・トラウマ」が出来てしまいました(逆にしばしば速すぎるので好まないのがムーティです)。

でも、世間の評判の高さを知るにつれ、そしてtadaさんの解説を読んで、もう一度チェリビダッケを聴いてみようかな、と思います。

因みに「小ロシア」はアバドがシカゴ(←あやふや。アバドは間違いないです)と録音していたと思います。

ヤンソンス/オスロ・フィルハーモニーが、1988年に録音していますね。(このペアで、チャイコフスキー全曲録れてますから)。「小ロシア」は、↓です。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/82242


投稿: JIRO | 2008年7月13日 (日) 11時45分

あ、書き忘れた。拙文をご紹介頂き、ありがとうございました。

投稿: JIRO | 2008年7月13日 (日) 11時46分

JIROさん、コメントありがとうございます。

チェリビダッケの「展覧会の絵」のお話は・・・JIROさんのお話に出てくるものと合っていれば、ですが・・・DVDでNHKが発売したものを見ましたが、チェリビダッケ自身が出来に不満足だった様子がはっきりと映し出されています。花束を渡した小さな女の子にだけはニコニコ話しかけていますが、あとは渋面です。
その際の練習や移動スケジュールがどうだったか分からないんですが、テンポの問題、というよりは、オーケストラ(ロンドン響でした)との意思疎通が不十分で、このときの演奏会自体が、「イベリア」はとてもいいのですが、「展覧会の絵」はベストとは言い兼ねます。ホールの音響も良くなかったですね。チェリビダッケにとっては決して好条件ではなかった。・・・まあ、それでも機嫌を悪くしなかったのは、ロンドン響のメンバーが、チェリビダッケにはきちんと敬意を払っていたからでしょう。(ついでに言えば、この映像の撮影者、カメラワークがむちゃくちゃヘタです。編集もいまいち。)

あるときの合奏レッスンで、私が曲を知らないまま、コレルリの「クリスマス協奏曲」の第2楽章を初見でコンチェルティーノ担当となり、いま思うに、常識からすれば1.5倍近い遅さで弾いたのです。まわり(先輩ばかりでした)は不満顔でしたが、その時、師匠筋の人が
「いまのように、どんなテンポでも<音楽>が作れればいいんだ!」
と言ってくれ、非常に有り難く感じた、という大切な思い出があります。
チェリビダッケも、別に「テンポの遅さ」を売りにしたかったわけではなく、「展覧会の絵」も、団員にもう少し精密に楽譜を読んでくれ、そうすれば<音楽>はあなたたちの先入観とは違うものだ、というアピールがしたかったのだと思います。ですが、団員は残念ながら「テンポの問題」としてしか曲を捉えられなかった。それでいて悪い演奏ににはなっていないところ、決して低く評価してはならない思います・・・このときの映像は、ある意味で、そういう「意志疎通不完全燃焼」の良い見本であり、それを知るためには貴重だとさえ思っております。「本番」で音楽を作る苦しさが録画から読み取れるというのは、滅多にあることではありませんから。

西側でチャイコフスキーの交響曲全曲を録音したのは、カラヤン/ベルリンフィルが、たしか案外早かった・・・もしかしたらいちばん早かったのではないかと記憶しています。アバド/シカゴより前だったような。
記憶違いかな? 調べもせずに綴ってすみません。

リンクさせて頂いた記事は、人間もまだまだアンガイ捨てたもんじゃないな、と、ちょっと嬉しく拝読しましたので、できるだけ多くのかたに(と言っても私のところはごらんの通りのマニアックでマイナーなブログですけれど)ご紹介したかった次第です。
リンクをお許し頂けたことに、あらためて感謝申し上げます。

では、また!

投稿: ken | 2008年7月13日 (日) 20時20分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/208675/41819113

この記事へのトラックバック一覧です: ベルリンフィル時代のチェリビダッケ(4):

« 旧ブログ復旧しました | トップページ | ベルリンフィル時代のチェリビダッケ(5) »