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2008年7月29日 (火)

曲解音楽史40)英仏戦争とその後

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前の回:1)音という手段 2)リズムの成立 3)音程から音階へ
    4)言葉と音楽  5)トランス 6)古代メソポタミア
    7)古代エジプト 8)古代インド  9)古代中国 10)古代ギリシア
    11)古代ローマ 12)初期キリスト教の聖歌について
    13)ササン朝ペルシャ  14)西暦5,6世紀ユーラシア音楽横断
    15)中世前半の西ユーラシア  16)唐朝と朝鮮・日本 17)「声明」の伝来
    18)モンゴルと中央アジア北方 19)「十字軍時代」の西ユーラシア
    20)日本固有(?)の古歌 21)グレゴリオ聖歌
    22)平曲と能楽:付)発声法について 23)アンブロジアン聖歌・ローマ聖歌
    24)西ヨーロッパ中世 25)ジョングルール 26)十字軍時代前後のイスラーム
    27)ペルシア伝統音楽〜中世からの遺伝子 28)インド中世 29)宋・元時代の「中国」
    30)日本の「オラショ」 31)ヴェトナム伝統音楽 32)インドネシア 33)東アフリカ
    34)イスラムと西欧の融合 35)ルネサンス? 36)フランドル楽派 37)16世紀スペイン
    38)16世紀中南米 39)15-16世紀イタリア



37)カール5世に最初に触れたとき、彼が「ブルゴーニュ公」でありながらフランドル育ちだ、ということ、なぜなら「ブルゴーニュ」は当時フランス王国領となっていたからだ、を述べておきました。

このことは、フランス(およびイングランド)に舞台を移して当時の音楽を検討する際、大きな意味を持ちます。・・・ですから、英仏を観察することは、イタリアとは違い、カール5世とまったく無縁の歴史的経緯を観察する、ということにはなりません。

もともとが、13世紀あたりから16世紀にかけての西欧地域の情勢は、非常に入り組んでいました。
こんにち私たちが気軽に「スペイン・ポルトガル(未だ登場していませんね)・フランス・イギリス」と呼ぶような国家は、最も早くとも16世紀初頭になるまでは「成立していた」とは見なせないのです。

煩雑さを避けるため、カール5世の「ハプスブルク家」には、ほんの軽く触れる程度になるでしょう。
・・・それでもコトは決して単純にはなりません。



元来が、「イギリス」とこんにち日本人が呼んでいる国家は存在しなかった、というところから見ていかなければなりません。
「イギリス」というと、現在ではウェールズ、スコットランド、アイルランドの一部を総称した「日本語」ですが、前史としては、まずこのような連合国家自体が、ありませんでした。
で、さらに面倒を減らすため、いちおう早めに「統合」されたウェールズも含め、スコットランド、アイルランドについては視野の外に置いておくことにします(歴史の専門書の方が正確に決まっているし)。
「フランス国王」は存在しましたが、これも乱立する「伯領」の、いちおうの象徴的な存在に過ぎず、いわゆる絶対的な「王権」というものは未確立でした。

そうしたなか、現在ではフランスに含まれるアキテーヌ領の領主(同時にノルマンディの領主でもありました)であった勢力がブリテン島をも支配下に置き、フランス国王に対立する最大勢力になったことが、後年「英仏百年戦争」と呼ばれる乱世を引き起こす種となり、ひいては冒頭のブルゴーニュ伯問題へにも繋がっていきます。

詳細は、最近読みやすい書籍(佐藤賢一「英仏百年戦争」集英社新書0216D、2007.9)がでましたので、そちらに譲ります。イングランド側では、この当時の物語の数々は、エリザベス朝に綺羅星のごとく登場したシェークスピアにより、素晴らしい戯曲に仕立て上げられます・・・ただし、その内容は、当然ながらイングランド側に有利なように歪曲されていて、史実とは程遠いものとはなっていますけれど。

結果だけ述べておきますと、この長い戦乱(そのあいだに、エドワード黒太子ヘンリー5世ジャンヌ・ダルクシャルル7世といった、多彩な「英雄」・「忍耐の人」が登場します)により、最終的に「フランス」では王権が確立し、フランソワ1世の時代を迎えます。「イングランド」もフランスとは分離した王国となります(ヘンリー5世より前までは、イングランド王家を称する君主達もフランス語を話しており、自分達をフランスとは別の存在とは考えていなかったようです。ヘンリー5世に至って、初めて「通訳」を介してフランスとの外交にあたるようになった、とのことです。前掲書。)



もともと、イングランドはフランドルの経済を貿易と共に支えた毛織物工業の原料となる羊毛を大量に供給するという、重要な地域でした。王国としての「フランス」と「イングランド」は戦争の結果分離こそしましたが、フランドルを巡っては、その後もちょっとした確執が続きます。
フランドル地方に威を振るっていたのは、本来フランス王国内に含まれる「ブルゴーニュ公国」であり、こうした位置にあるブルゴーニュ公国がイングランド側に組したことが、確執の継続に繋がったのでした。
ところが、このブルゴーニュ公国、最後にして最大のあるじだったシャルル1世の死に伴い、婚姻関係によって、名目上の地位だけがハプスブルク家に舞い込み、実質上はフランス国王の支配下に入ってしまいます。・・・これが(途中をはしょりますと)、カール5世がブルゴーニュ公でありながらフランドルに育った、ということの背景です。

・・・頭、こんがらがりますね。

音楽面で主要な役割を果たした人々・・・デュファイ、オケゲム、ジョスカンなど・・・がブルゴーニュ楽派ないしはフランドル楽派、と呼ばれたのも、ブルゴーニュ公国が、いかに文化面に力を入れていたかの証左となるでしょう。

ところで、イングランドや、パリを中心とするフランスには、中世から16世紀初頭にかけて、ブルゴーニュ=フランドル楽派とは、まったく毛色の違う音楽が残されることになりました。
これも百年戦争による、ブルゴーニュやフランドルとは違う意識の醸成が、これらの地域にあったためではないかと思われます。

まず、フランスは、フランソワ1世の時代を迎えるまで、これといって目立った個性を発揮した音楽が見当たらないように感じます。資料不足のせいもあるかもしれませんが、社会的な動きとしては、イングランドとの争いの一方で、フランス王家は北イタリアへの進出に腐心しており、もっぱらイタリア音楽の輸入のほうに目が向いていたため、でもあるようです。フランスとしての代表的な音楽家はセルミジという人物でした。
フランソワ1世の時代になると(実質上はセルミジと同時代人なのですが)、パリに、洒落たシャンソンを作る音楽家が登場しました。クレマン・ジャヌカンです。
ここでは、彼の活き活きとしたシャンソンを聴いておきましょう。

「戦い」第1部・第2部
la_guerre
Ensemble Clement Janequin harmonia mundi HMA 1951271

ただし、現代のシャンソンとは違い、ジャヌカンのシャンソンは多声音楽ですし、対位法的です。音響効果を出す機械的な装置がなかったことに代えて、当時の技法が駆使されたのだ、と考えてもいいでしょう。・・・いや、むしろ、機械装置が出来てシャンソンは詩を哀愁を込めて歌うことにのみ集中するようになり、ジャヌカンのような楽しさを失った、というべきでしょうか。



イングランド側は、中世に遡ると、聖歌がそのまま一般歌謡に転じたのではないかと思われるような素朴さと実直さを聴かせてくれます。ですが、ちょっと毛色の違うものを。

セクエンツィア「イエス・キリストの優しきみ母は」(作者不詳、1300年以前)
jesu_cristes_milde_moder
中世音楽アンサンブル(1987) deutshe harmonia mundi BVCD-38171

これが、ヘンリー8世の時期まで続きます。
イングランド音楽の特徴として3度6度への志向がよく挙げられますが、例ではまだその萌芽がみられる程度のものをお聞きいただいておきます。3度6度志向は、やはりある程度の時間をかけ、イングランドが大陸と切り離される過程で、独自に発展していったものだと思います。

ヘンリー8世までの時代に、トーマス・タリスなどの名音楽家も生み出したイングランドです(し、個人的にはタリスは大変好きな作曲家なのですが)、重要な音楽家として、ちょっと新しい世代になりますがダウランドにつき、面白い演奏サンプルがありますので、今回はそれをお聴きいただくことで記事を終えたいと思います。

・古楽演奏での「ラクリメ」Lachrimae Verae
「07_lachrimae_verae.mp3」をダウンロード

Fretwork(viols)/Christpher Wiison(lute) Virgin Clssics Ltd. 7143 5 45005 2 7

・ロック歌手Stingが歌っている「ラビリンス」Can She Excuse My Wrongs?
can_she_excuse_my_wrongs
Sting/Edin Karamazov(llite & archlute) Deutsch Gramophone 06025 170 3139

現在でも・・・いつか触れることがあるかと思いますが・・・ヘンデルと同時代に、ヘンデルに対抗して作られたパスティッチョ「乞食オペラ」は、映像化されたとき主役にロック歌手を起用するなど、イングランドは伝統歌でも歌唱法についてはおおらかな姿勢を保っています。これは、案外、他のヨーロッパ諸国も見習ってもいいのではないか、と思っております。

Lachrimae_veraeなお、この時期のイングランドの合唱楽譜は面白い作りをしていまして、上にアルト、、右にバス、下左にソプラノ、下右に手ノーツのパートが記譜されているのだそうです(皆川達夫「合唱音楽の歴史」175頁、全音楽譜出版社 2002)。上で聴いて頂ける楽譜の図版を、参考までに掲載しておきます。クリックすると大きくなりますが・・・それでも細かくてみづらいかな? こちらは器楽であるため、構造が違っています。ソプラノに当たるCantusが左下、アルトが右下、テノールが右上、バスが左上になっているのが分かります。右中央はリュートのためのタブ譜ですね。

カール5世、フランソワ1世、ヘンリー8世という名物王者が鼎立していた時期の音楽は、英仏を合わせて観察することで、意外に多様であったことを実感して頂けたのでしたら、幸いです。

エリザベス朝を中心とした音楽については、他の地域との兼ね合いで、あらためて観察しましょう。

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