2019年5月25日 (土)

【6月7日 さいたま芸劇小ホール】tottokiと立体刺繍

 

ずっと記事を綴っていませんでした。

tottokiの紹介をさせて下さい。

「トットキ」と読みます。
作曲の東秋幸・ソプラノの本郷詩織、の二人のユニットです。
二人の眼鏡にかなったゲストを迎えて、独自のライヴ・コンサートをやったりしています。

今回は6月7日(金)に、WelcomeHome Vol.4と銘打ってコンサートします。

ゲストに、
・國土佳音さん〜CMソング、劇判音楽等々の作詞にも作曲にも編曲にも活躍する、知る人ぞ知る才女。声も素敵
・佐々木希衣さん〜新しい踊りに、演技にチャレンジし奮闘中の、これまた才能あふれる人。力溢れる舞台を展開
のお二人を迎えています。

これだけでも意欲的です。

が、さらに、立体刺繍なるものを飾って(なのかな?)の舞台づくりをするのだそうで。

この立体刺繍というものを、オッサンはまったく知りませんでした。

ちょこっと調べてみましたら、刺繍なのに、頭に翳せたりカバンに付けたりのアクセサリーまで出来ちゃう。

・・・刺繍なのに!!!

・・・刺繍、って、平面のイメージありません?

できちゃうんですねぇ!
鉢植えまで!!!!!!

 

  •  

  • #アトリエfil

 

お花も蝶蝶も刺繍なんですか!

 

  • _20190607tottoki3
    @kumasanmania

このお写真を拝借したアトリエFilさん、2004年発足以来、立体にこだわった刺繍作品を産み出し続けている、立体刺繍の草分けでいらしたのでした。

そのアトリエFilさんが、今回のtottokiにご助力下さっている由。

舞台が3Dの刺繍に彩られる、って、想像つきます?

想像のとおりか、想像できなかったけど驚きか。

6月7日、週末とはいえ平日19時からですが、途中からでもご覧いただける、あ、もとい、お聴き頂けるとのことです。
お出掛け頂けたら私も幸いです。

    記
2019年(令和元年)6月7日
彩の国さいたま芸術劇場小ホールにて、19時開演
・一般前売 4,000円(当日4,500円)
・ペア券  7,000円

mail tottoki_2016☆yahoo.co.jp (ご使用時は☆を @ に変えて下さい)
Facebook https://www.facebook.com/events/1138938316308752/

アトリエFilさんのページ
https://www.atelier-fil.com/
(お写真、何も申し上げず拝借しました。不適切な場合はご一報下さいませ。)

 

 こないだ銀座でゲリラライヴしたんだそうで。

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2019年3月23日 (土)

カラヤン~N響の『悲愴』(日本のオーケストラのCDを聴く)

YouTubeをはじめとした動画サイトが充実して、CDでなくてもいろいろ聴けるようになりました。それでも私は寝床で何も考えずに聴けるのが一番好きです。

46歳のカラヤンが単身来日しての『悲愴』の録音も、いまやYouTubeで聴けてしまいます。別のカラヤンの『悲愴』演奏も、YouTubeで簡単に対比出来てしまうのには、隔世の観があります。以下の、対比の部分は、ほとんどYouTube頼りです。

ここから少し、本当の前置き。
小学生高学年になった頃オーケストラに魅かれるようになったものの、生で聴けるチャンスは地元の大学のオーケストラ以外にはほとんどなく、小~中~高~大での就学中は当然意のままになるお金もなく、幸いに出た廉価盤LPが曲をじっくり聴けるいちばんの手段でしたけれど、いつも買えるわけではありません。テレビやラジオでのN響さんの放送には、だから本当にお世話になりました。憧れの音楽家との出会いも、最初はテレビやラジオのN響の放送でした。
カラヤン~N響の『悲愴』は、私の生まれる5年前、オーケストラ好きになる15年くらい前の演奏ですが、そんな懐かしさから何年か前にCDを手にとったのでした。
『悲愴』を初めて聴いたのがまた、カラヤンの若い頃のフィルハーモニア管との録音を入れたお買い得版LPだった、ということもあります。

後年、関東勤務になったとはいえ、深夜帰宅の営業職では演奏会に行くチャンスもなく、事務屋に転じて数年で、教員だった亡妻と一緒になり、まだ今ほど共稼ぎや家事育児分担という風潮でもなかったのではありますけれど(そんなことをよそで口にすると後ろ指をさされましたし、よそで言うまでもなく自分にはあまり分担の感覚もありませんでした)、業務多忙な家内のことを思うと「演奏会に行きたい」とも言えず、彼女は十三年前に心臓の急病で死んだのですが、その後心を助けてくれる音楽好きのおかげで、幾つか出掛けられるようになりました。その音楽好きのおかげで、放送でお世話になったN響さんの生を初めて聴けたのも、ほんの数年前のことです。

いまのN響の、私が子供の頃聴いていた響きに比べると、艶やかでなめらかなのには、ただ感嘆しました。何が変わったのだろう、と、生N響を聴く数年前に入手していたカラヤン~N響の『悲愴』を、何度も聴いてみていました。

どうでもいい前置きが長くなってすみません。
以下が、その感じたところとなります。

みんな、いまのN響や他の日本のオーケストラが「巧くなった」と言います。
演奏会聴取経験の薄い私も、学生時分に聴いたいくつかを思い出すと、みんなが言うとおりだ、と心底思います。
じゃあ、以前は「巧くなかった」のか?
もしそうなら、いったい自分は何に魅せられてオーケストラが好きになったと言うのか?
素朴な疑問から出発しました。

カラヤンは正規だけでも10回『悲愴』の録音を残したそうで、疑問を晴らす上では、カラヤン~N響があるので、たいへん良い素材です。https://www.universal-music.co.jp/classics/karajan2014/cat/point/

最初の印象としては、カラヤン~N響の『悲愴』は、長くて曖昧なフレージングが好きだった(のでは、と私が感じていた)カラヤンの指揮下の演奏としては、ずいぶんすっきりめで常識的なフレージングの演奏だな、と感じられたのでした。
これはしかし、1964年、71年、73年にカラヤンがベルリンフィルと行なった録音を聴いてもさほど差はないので、『悲愴』という曲の書かれ方に負うところも大きいのでしょう。
N響との演奏にいちばん近いのは、翌1955年にカラヤンがフィルハーモニア管と残した録音で、とくに金管群の音色感が瓜二つなのには仰天しました。
その、瓜二つの演奏でも、オーケストラから感じる「ゆとり」がフィルハーモニア管のほうにたっぷりあるのは否めません。https://www.youtube.com/watch?v=RivZ-FjS-2E
何の差なんでしょうね。

第2楽章のヴァイオリンのピチカートなんか乱れたりしていて、比べるとき簡単に「技術の差なんじゃないの」と言いいたくなりかけますが、それよりも楽器、とくに弦楽器を弾いている姿を想像するときの、演奏上の「リラックス度」に大きな差がある気がしたのでした。第1楽章がわりと「リラックス度」の違いを聴き取りやすいのですが、最も典型的に聴き取れるのは、終楽章の冒頭部です。ここはご存知のように、基本、ひとつの旋律の音を、音符ひとつずつ、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが交互に弾きます。その旋律といっしょに動く、下の和声を受け持つ旋律がまた、第2ヴァイオリンと第1ヴァイオリンで交互に弾かれます。(ヴィオラとチェロも同じことを分担し合っていますね。)
譜例の載ったブログ記事はこちら↓
https://blogs.yahoo.co.jp/jgda_1960/29557430.html

ここで、1954年カラヤン~N響の演奏の録音では、旋律の1小節めの最後の音がほとんど聞こえなくなってしまっています。おそらくこれは演奏のせいではなくて、録音のされ方のせいではないかと思います。演奏する人たちは、楽譜に書かれたディミヌエンドをよく守っている。でも、録音上は、ディミヌエンドがきちんと守られているせいで、音が聞こえなくなってしまっている。

また、音全般に艶やかさがありませんが、これはたぶん、当時のメンバーさんたちがお持ちになっていた楽器の質によるのかもしれません。私が二十代の頃、お世話になっていたかたに、学生で参加していたオーケストラの録音を新旧聴かせて頂いたことがありました。そのころの直近の演奏の録音に比べると、弦楽器の音が堅く乾いて聞こえるのに、ちょっと驚いたのでした。お世話になっている方が仰るには、「使っている楽器がいまのより歴史の浅いものばっかりだったからね」とのことでした。その後アマチュア活動でいくつかのヴァイオリンを替えて弾かせて頂けたこともあり、うまくは言えないのですが、楽器の違いが音に反映する、ということは実感しています。そしてまた、同じ曲で比べるまでもなく、54年当時と現在のN響のかたがお持ちの、たとえば弦楽器のランクは、経済や物品交流の関係からしても、大きく違っているだろうと思います。弾かない方には信じてもらえるかどうかわかりませんが、私分際が弾ける楽器でも、良い目の楽器とそうでない楽器(使われている板そのものや、板の削られ方に影響されるのでしょうか)では、弾くときの「リラックス度」はけっこう大きく違います。(だからといって、リラックス度の低い楽器でガリガリ弾いてしまうようではアマチュアと言えど「おばかさん」と言われざるを得ないのですが。私はまあおバカさんの部類です。)

演奏の技量そのものはどうなのか。

まぎれもない「プロ」の演奏が聞こえる、と言えます。
フレーズの歌わせ方、低音からの支え方、管楽器群の音色のコントロール、そのどれも、フィルハーモニア管でのカラヤンの設計と聴き比べてみて頂きたいと思います。私は、遜色がないと思います。

カラヤンもベルリンフィルでいれた『悲愴』は随分と流麗になって、N響やフィルハーモニア管と残した演奏に比べると、腕白な立体感とでも呼べるような勢いは後退しているように、私には聞こえます。亡くなる4年前の1984年のウィーンフィルとの録音は独特の「いやらしさ」(笑)があって、若かりし日のものとはかなり違って聞こえるのですが、たぶんこの曲が大好きだったのだろうカラヤンとしては、むしろ一癖ある演奏が実現していることのほうが嬉しかったかもしれませんね。

戻りますと、楽器事情が感じられるものの、ヨーロッパの花形指揮者の要求するスタイルに大変良く応えた演奏が出来たN響は、やはり当時誇るべき日本オーケストラだったのだろうと感じます。
私もアマチュアでずっと弾いて来て、「プロ」というかたと少しはご一緒したりすることもあり、ばかみたいに「プロって何だろう、アマチュアとなんの差があるんだろう、そんなもの本当はないんじゃないの」とガタガタ考えたものでしたが、最近になって強く感じるのは、素人みたいにガタガタ言わず、どんなおバカさんの管理者であったとしても(そういうことがオーケストラの世界にあるのかどうかは[ホントに]知りませんが)「こうじゃないの」と要求してくればタヌキになってでも四の五の言わず要求に応えられてしまう、でもって、いざのときにはぐうの音も出させない意趣返しが見得をきらずに出来てしまう、プロと言うのはそういうものなんだな、と唸らされる機会が増えました。機会が増えてみて考え直すと、これは特段、他の職業で素晴らしい人に会うのと異なることではないのでした。

こういう半世紀前の演奏、そこに掛けるかたたちの存在があってこそ、いまが大きく改善されて聞こえるのだ、ということに、やっと気づいたところかな。。。

N響以外でも、日本のオーケストラの半世紀前あたりの録音を聴きながら、また少し考えてみたいと思っております。良いものがいくつもあります。

人生の大先輩のみなさま、私ごときを音楽好きにして下さって、ありがとうございました。そんな私も、あと数ヶ月で還暦です。悟るのが遅くてすみません。

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2018年10月 8日 (月)

【モーツァルトの宗教曲】孤児院ミサKV.139(47a)

音楽のことを言葉で綴るのは難しく、まして知識も技術も万年未熟となると、ますますどうしたらいいのか分からなくなります。

それなのによくも無謀にたくさん綴って来たものだ、と、いまさらながらに恥ずかしく思います。

それでも重ねてこうして喋りたくなっているのは、モーツァルトの作品にはラテン語歌詞の宗教曲も豊富にあるにもかかわらず、主要オペラや器楽曲に比べると、思いのほか日の目を見ていない気がしているからです。
モーツァルトの宗教曲についてはカルル・ド・ニの豊かな概説本の日本語訳(白水社 文庫クセジュ)もありますし、ネットでもお好きなかたの素晴らしい特集サイトがあったりします。加えてよいものが、まだなにかあるのでしょうか?

あるとすれば、こちらは日本語訳の出ていない、各作品のスコアの解説の情報も、そのひとつでしょう。あるいは、ザルツブルク時代に書かれたミサ曲があっけらかんと明るいために、現代人の感覚からすると厳粛さに欠ける分価値が低いとされている、その価値観が耳を妨げている面はないかどうか、を確認しなおすのも面白いかもしれません。
そんなところから、ひとつひとつ、少しはじっくりめに眺めていこうか、と思った次第です。
ただ、私の読み取り能力は決して高くありませんので、どれくらい時間がかかるのか、皆目見当がつきません。なんとか挫折しないように勉強していく所存です。お気づきの点はご教示頂けましたら幸いです。
(ここまで、前の記事と趣旨が重複していますが、ご容赦頂ければと存じます。)


さて、まずはミサ曲を軸にしていきます。
ミサ曲は、グレゴリオ聖歌以降、誰が作曲しても、基本的に歌詞がいっしょです。そのため、モーツァルト自身のもの同士でも、あるいはその先輩後輩のミサ曲でも、必要な時には比較がしやすいメリットがありますし、それぞれのミサ曲が書かれた時代の特徴も、もしかしたら把握しやすくなるかも知れないとの期待が持てます。

※「孤児院ミサ」ハ短調 KV.139(47a)

アーノンクール/コンツェントゥス・ムジクス
アーノルト・シェーンベルク合唱団 他 (1996年)
https://tower.jp/item/168408/


【作曲年代】
モーツァルトが最初に手がけたミサ曲については、幸いにして父レオポルトが残したカタログがあるそうです。Carus版スコアの解説(英語&ドイツ語)から知ることの出来る情報によりますと、それはこんにちKV.139(47a、「孤児院ミサ」)とされているものと、KV.49とされているもののいづれかになります。
父が作成した1768年のアマデウス・モーツァルトの作品カタログには36の項目があり、そこに上の2つのミサが、”eine große Messe”と”eine kleine Messe”として記載されていることが確認できる由。
そのうちの「大きいミサ曲」のほうがKV.139、小さいほうがKV.49にあたる、という推測が、まずはなされたわけですね。
小さいKV.49のほうは、作曲年代が1768年であることは、自筆譜右肩のサインから裏付けられます。
大きいKV.139については、自筆譜右肩には他筆で「176_」とあり、年代の裏付けはとれません。こちらは、紙の透かし模様の研究から、自筆譜の年代が1768年〜69年のものであると判明し、そのことと1768年作品のカタログに記載されている”eine große Messe”が符合することから、1768年作と判明するに至ったのでした。
以下、この大きいほう(荘厳ミサ曲)のKV.139に絞ってまとめていきます。


【ニックネームの由来】
KV.139は”Waisenhausmesse”(Waisenhausは英語ではorphanageすなわち孤児院)と通称されています。これは、1768年当時、父とともに前年からウィーン旅行中だった12歳のモーツァルトが、当地の孤児院の新教会で「至聖なる聖マリアの無原罪の御孕(みごも)りの祝日」(海老澤敏訳)である12月8日になされる献納のために書いている、と父が手紙に述べた、その荘厳ミサ曲が、このKV.139である、と推測されていることによります。すなわち、推測された初演場所を名前に冠しているのです。
海老澤敏『モーツァルトの生涯』1(1991年刊 白水社、p.123-124)で、この孤児院のこと、新教会での12月7日(一日早い)の献堂式のこと、その際のモーツァルトの評判についての記録、が日本語で記されています。評判のほうだけ引用します。
「(孤児院の新教会の)盛儀ミサに際しての孤児合唱団の音楽はすべて、ザルツブルク大司教に仕える楽長レーオポルト・モーツァルト氏の12歳の幼い子息で、その非凡な才能によって知られたヴォルフガング・モーツァルトによって、このたびの祝典のために、まったく新たに書かれたもので、ひろく喝采を博し、かつ驚嘆の的となったが、彼自身によって演奏も行なわれ、このうえもなく整然と指揮された。」
これがしかし、KV.139にあたるミサ曲かどうかは、今なお確証を得ていないとされています。さて、事態は進展しているのでしょうか、どうでしょうか。


【特徴】

[構成のこと]
構成は、「荘厳ミサ」とか「盛儀ミサ」と呼ばれる類いに準拠していて、詞章の長いグローリアとクレードは、いずれも7つの部分に分けて作られています。
この7部の分けかたが独自のものなのか、はたまたなんらかの伝統によるものなのか、を、事情にまったく通じていない私には正しく理解する術がありません。
おおまかな傍証を得るために、古くはギョーム・ド・マショー「ノートルダム・ミサ」から、デュファイ「『私の顔が蒼いのは』ミサ」、オケゲム「ミサ・プロラツィオーヌム」あたりから聴いてみましたが、古いミサ曲は各詞章がほぼ一気通貫で作曲されているのでした(「キリエ」だけは早くから「キリエ・エレイソン」〜「クリステ・エレイソン」〜「キリエ・エレイソン」の三部になっていますが)。
後期バロックまで飛んで、ヴィヴァルディの名作「グローリア」を覗いてみますと、区切られている部は12に及んでいます。モーツァルトの「孤児院ミサ」と一致するのは、1番目の他、3、4、6、9、11、12となります。
バッハのロ短調ミサですと、グローリアもクレードも9部で、モーツァルト「孤児院ミサ」よりもまだ2部多く区切っています。
ザルツブルクで活躍した大先輩のビーバーの「53声部のミサ」も、まだ、より細かい区切りがあります。これが1682年の作品です。
ブリュッセルで活躍したフィオッコ(1704〜1741)のミサ・ソレムニスで、グローリアでもクレードでもモーツァルト「孤児院ミサ」と一致するとみてよい区切り箇所・区切り数の作例をようやく聴けました。
少し下って、先輩ヨーゼフ・ハイドンの「聖チェチーリア・ミサ(ミサ曲第3番)」(1766年の作)は、グローリアは完全一致、クレードはハイドンのほうは明確な箇所こそすくないものの、内容としては「孤児院ミサ」と一致、とみて差し支えないだろうところまで、確認は出来ました。
以上から、モーツァルトが「孤児院ミサ」でとっている詞章の区切りかたは、ヴィヴァルディやバッハの時代に根ざしたものが、その後もう少し整理された、その伝統の流れに添ったものになっているだろうところまでの裏付けはとれたかと思います。
これはCarus版のKV.49のスコアのほうにある
「モーツァルトは熱心に、イタリアやザルツブルクの作曲家たちの曲を模写していた」
事実と、当然符合するものと思います。


[調性と曲想のこと]
音楽としての最大の特徴は、なんといっても、全曲の幕開けである冒頭部12小節間のアダージョの、厳しい和音の連なりによって聴き手に与える衝撃感でしょう。
クラシックは、その曲の最初の章の響きが、何を主音とする長調なのか短調なのか、で呼ばれます。その伝からいけば、「孤児院ミサ」は「ハ長調」と呼ぶほうが妥当であることは、末尾に掲げる曲の構成の、調の流れを見れば明らかです。「キリエ」の主部も、「グローリア」も「クレード」も「サンクトゥス」も、メインの章はすべてハ長調で書かれ、合唱が入ります。(ヘ長調やト長調の章は独唱によって歌われますので、そのことからも、メインではない・・・言ってみればスペシャルな部分である・・・ことが分かります。)
いっぽう、最後の「アニュス・デイ」だけは、前半の、演奏時間でも半分以上を占めるアダージョ部分は「ハ短調」で、ここでは長々と、トロンボーンの、苦悶の叫びであるかのような、異様な独奏を聴かせられることとなります(12小節間)。
他には「グローリア」グループ中の「クィ・トーリス」が合唱入りのヘ短調(ハ長調から見ると下属調の同主調)、「クレード」グループ中の「クルーチフィクスス(十字架に懸けられ)」が合唱入りのハ短調となっていて、これらも他の部分から切り離された激しい印象を与えますが、こちらは作品の冒頭でも末尾でもないので、印象は幾分和らげられるのかな、と思います。
するとやはり、作品の最初と最後の与える暗黒感がかなり強烈であるために、「孤児院ミサ」は、その調性を「ハ短調」と呼ばれるのに至ったのかな、という気がします。

しかし実は、冒頭の「キリエ」開始部がハ短調であるのは、1小節目と9小節め以降だけ、つまりこの部分の半分です。
冒頭の凄まじさについては、和音の細々した理屈を追っかけても面白くありませんし、よく分からなくもなります。しかし、最初の8小節の合唱の音を具体的に追いかけてみますと、ちょっと面白い景色が開けます(7〜8小節目は一部の音だけです)。
・ソプラノ:C-Db-D-Eb
・アルト :Eb-E-F-Gb
・テノール:G-G-Ab-B
・バス  :C-Bb-B-Es
下二声は和声の都合もあるのでしょうが、ソプラノとアルトは、並行する6度の関係で、どちらも半音ずつ上昇していきます。すなわち、アダージョですからゆっくりした時間で、声は狭い間隔でにじるようにうわずっていく。
2小節目で減七と呼ばれる、どこまで音を重ねても響きの感じが変わらない奇妙な和音が突如出てくるのですが、これによる混沌の効果が、この「にじりあがる」音とともに、あたかも精神の苦痛を具現するが如くになっているところ、十二歳の子供が人の心のそんなところまで知っていたものか、と、空恐ろしく感じさせられさえします。いや、単に音楽の語法としてモーツァルト少年が体得していただけのことだ、と言えば、それまでではあるのですけれど。

「キリエ」冒頭部以降は、先にあげた部分以外は、底抜けにあっけらかんとした音楽になっています。そこにまだまだモーツァルトの子供らしさがたっぷり顔を出している、と聴くかどうかは、聴き手次第なのでしょうか。「クレード」の歌い出しが半音ずつ加工する恩恵であることだけは、しかし最低でも特筆しておかなければならないでしょう。これは「キリエ」冒頭が半音ずつの重苦しい上昇であることに呼応していて、かつ非常に軽やかであるところが、ちょっと面白いと思います。

「孤児院ミサ」の、もうひとつ大きな特徴は、「キリエ」・「グローリア」・(グラーティアス)・(クム・サンクト・スピリトゥ)・(エト・イン・ウーナム・サンクタム)・「サンクトゥス」と、多くの部分で、もっとも耳につく歌い出しがC音の連続になっている、すなわち音程に動きがないことです。とくに「キリエ」・「グローリア」は詞章の開始部で、音楽としても軸になるところですが、両方ともC3音でまったく同じリズムをとっていますし、「サンクトゥス」もリズムは異なるものの詞章の歌い出しですから、このミサ曲全体を聴く人に、あ、また同じ音だ、と、統一感を感じさせる仕掛けになっています。そして、そのあとの動きがそれぞれの部で異なっていることで、また変化をも敏感に捉えられるよう配慮されている、と言っていいかと思います。


[まとめ]
以上、みてきたことから、「孤児院ミサ」の特徴を簡潔にまとめてみますと、

・全曲の幕開けで重苦しくにじりあがる響きで聴き手に衝撃が印象づけられ、以後、概ね明るく進んでおきながら、最後の最後でまた、苦悶を描くようなトロンボーン独奏で気分を沈ませる(上では言いませんでしたが、いちおうこちらは明るい決着は迎えるのですが)仕掛けになっている。目立つ短調は他に2ヶ所ある程度なのに、幕開けも苦悶のトロンボーンもハ短調であるため、全体の調性は「ハ短調」と判定されることになったと思われる。

・音楽の軸になる箇所の幾つかがC音の(3音程度の)連続で歌い出されるため、聴き手は作品全体に統一を感じることが出来る。かつ、それぞれの箇所で、C音の連続のあとの動きが異なるため、変化も感じることが出来る。

・・・巧く作ったもんだなあ、と、ただただ感心します。


「孤児院ミサ」については、詞の内容とメロディの兼ね合いとか、曲の様式がギャラントだロココだみたいだとかいうところまでには、とりあえず立ち入りませんでした。作品をめぐる価値観についても、単に詞章の区切りかたの面のみ、分かる範囲で観察したに留まっています。そうしたことどもは、これからモーツァルトのミサ曲をいくつも見ていく中で、追々観察していくべきかな、と思っております。

ザルツブルク時代のモーツァルトのミサ曲は、新全集の第1巻に全部おさまっています。
私の参照スコアはCarus版で、「孤児院ミサ」と、解説を参照したKV.49については
*KV139   Carus 40.614/07
*KV49     Carus 40.621/07
です。


以下、メモ的に、演奏される編成と曲の構成を載せておきます。
構成のほうは、どの部分が合唱でどの部分が独唱かを記していません。後日追記することといたします。

【編成】
・オーボエ2本
・トランペット(クラリーノ)C管2本
・ティンパニ(キリエ主部、グローリア、グラーティアス、クレード、エト・ウーナム・サンクトゥム以降、サンクトゥス、ドナ・ノービス・パーチェムで使用。いずれにおいてもCとG)
・トロンボーン3本
・ヴァイオリン1・2、ヴィオラ、バス&オルガン
四部合唱と独唱(各声部)

【曲の構成とテンポ】
Kyrie(キリエ):
1-12 Adagio  c moll 4/4 トランペットとティンパニなし
13-104 allegro C dur 3/4
(Christe eleison)
105-140 Andante F dur 2/4 弦・通奏低音のみ

Gloria(グローリア):
1-23 Allegro C dur 4/4
(Laudamus te)
24-72 Andante G dur 3/4 弦・通奏低音のみ
(Gratias agimus)
73-82 Adagio C dur 4/4
(Domine Deus)
83-138 Andante F dur 2/4
(Qui tolis)
139-165 Adagio f moll 2/2 トランペットなし
(Quoniam tu solus Sanctus)
166-243 Allegro F dur 3/4 弦・通奏低音のみ
(Cum Sancto Spiritus)
244-340 Allegro C dur 2/2

Credo(クレド):
1-74 Allegro C dur 4/4
(Et incarnatus est)
75-115 Andante F dur 6/8 弦・通奏低音のみ
(Crucifixus)
116-127 Adagio c moll 4/4
(Et resurrexit)
128-171 Allegro C dur 2/2
(Et in Spiritum Sanctum)
172-230 Andante G dur 3/4 弦・通奏低音のみ
(Et unam sanctam)
231-256 Allegro C dur 2/2, 257-259 Adagio(mortuorum)
(Et vitam venturi sacli, Amen)
atacca 260-336 C dur 4/4

Sanctus(サンクトゥス):
1- 14 Adagio C dur 2/2
(Pleni sunt)
atacca Allegro15-35 C dur 3/4
(hosanna)
atacca 36-45 (Allegro) C dur 2/2
(Benedictus)
1-24 Andante F dur 4/4
(hosanna)
atacca 25-34 (Allegro) C dur 2/2

Agnus Dei(アニュス・デイ):
1- 54 Andante c moll 2/2
55-125  Allegro C dur 3/4

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2018年9月 8日 (土)

モーツァルトのミサ曲(0)

ふと思い立って、モーツァルトのミサ曲を読んでいきたいな、と考え始めました。

彼の作品をひととおり聴いてみたいな、と、ずっと以前に思って、ザルツブルク時代のものについては、そのころほぼブログに綴りきりましたが、ウィーン時代以後のものまでにはいたらず終わりました。
そして当時綴った記事を読み返すと、慌てていて犯した間違いはともかく、そうでないものも、「聴く」というよりは、伝記的事実との整合に追われていて、中身を読むことに疎いままだな、と実感します。

モーツァルトは、既に幼い時から、様々なジャンルで豊富な作品を書いていました。それは誰でも知っているとおりです。
ミサ曲についても、未完成の「ハ短調ミサ曲」を含めて17作書いています。
十代の最後に初めて、アマチュアオーケストラの一員としてモーツァルトのミサ曲に接して以来、私はこの彼のこのジャンルに愛着があるのですが、その内容については未だにちゃんと理解してはいません。
せっかくなので、いちから触れなおしてみようかな、と思うのです。

幸いにして、新モーツァルト全集のスコアが手元にあります。
ザルツブルク時代のミサ曲は第1巻、ハ短調ミサとレクイエム(ジュスマイヤー版)は第2巻に収録されています。
どれくらいかかるか分かりませんが、これを順次眺めて行くことにします。

ミサ曲は、誰の手になる作品でもテキストが共通であるため、他のジャンルよりは理解も深めやすいところもあるかも知れません。
このテキストは、最初の「キリエ」が古代ギリシア語で、以下の「グローリア」・「クレド」・「サンクトゥス」・「ホザンナ」・「ベネディクトゥス」・「アグヌス(アニュス)・デイ」はラテン語です。
古代ギリシア語もラテン語も、学習上は、日本語と同じ「高低アクセント」です。しかしながら、音楽作品としてのミサ曲を理解していく上では、作曲家たち、はこれらの言葉に対し、高低アクセントでの曲付けはしていません。
グレゴリオ聖歌を聴いても、そのメロディライン(旋律線)は既に、言葉の高低アクセントの線に添ってはいません。デュファイなどの古い作曲家によるミサ曲でも同様です。
この面からも「ミサ曲」は、古代からのではなく、自分の文化を確かに持ち始めたヨーロッパの伝統を体現したジャンルになっていることが伺われます。
有り難いことに今も文庫で読める、ゲオルギアーデス『音楽と言語』(原著は1954年)が、ミサ曲をもって巨視的な考察を進めていたのも、当然のことだったのかな、と感じます。
いま、読んでいこうとしているのはモーツァルトに限られるわけですが、そんな狭い視野からも、私自身の西欧文化理解に何か新しい目を開いてくるものが生まれて来たらいいな、と、ちょっとだけ期待しています。

「ハ短調ミサ」と「レクイエム」を除けば、モーツァルトがミサ曲を書いた時期はザルツブルク在住期間に限られるのですが、そのことがかえって、モーツァルトの成長過程を明確にしてくれるのではないかな、とも思うのですけれど、それは進めていってからでないと分かりませんね。

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2018年6月 9日 (土)

6月29日(金) Rêve d’amour(赤坂:カーサ・クラシカ)

私の娘ですので、ブログで宣伝もどうかなあ、と、いままで躊躇してきました。
(ブログ自体、いままでの私自身のリハビリの役割はとうに終わって、あまり綴らなくなってきていますし。)

まあ、しかし、娘を通じて、素晴らしい若い音楽家さんたちを知る事も出来てきましたし、娘だからといって別の目で見る必要もないだろう、と、ぼちぼち思い始めております。
昨年大学院まで出まして、いままだ訓練途上ですが、ソプラノで歌わせて頂いております。

下記、ピアノを弾いて下さる菅原達郎さんにも、何度かお世話になってきました。
拝聴するたび、柔らかで優しくて、厳しい音にも繊細さのある、たいへん素晴らしいかただな、と感じております。菅原さんは、現在、東京音楽大学でお仕事をなさっています。

プログラム中では、やはり娘が日頃 tottoki というユニットで組んで頂いている東秋幸さんの作品も歌います。面白い、聴きやすいけれど安っぽくないヒネリがいつも効いている曲を書かれていて、彼の作品を拝聴することは、私にとって、いつも無上の喜びです。

ご紹介したい若手さんは、ギタリストさんとか、チェリストさんとか、作曲のかたとか、そして娘と同様に声楽をなさっているかたとか、本当にたくさんいらっしゃいます。
サボっていないで、みんなどんどん宣伝したいな、と思っております。
・・・マイナーブログじゃ、しゃあないか(笑)

手始めが自分の娘の出るもので、汗顔の至りです。

どうぞ、お越し頂けましたら幸いに存じます。

会場のカーサ・クラシカさんは、若手にオープンで演じやすい空間を、いつもそれとなくご提供下さる、これまた素敵な場所です。食事もおいしく、飲物にも一工夫あります。体験して頂いて損のないところです。


日時:2018年6月29日(金)19時開演(18時開場)
料金:3,000円(ミュージックチャージ。飲物・料理は別途)
場所:カーサ・クラシカ〜東京都港区赤坂3-19-9 オレンジビル地階
   赤坂見附駅から徒歩3分、オレンジ色のビルです。

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