2018年10月 8日 (月)

【モーツァルトの宗教曲】孤児院ミサKV.139(47a)

音楽のことを言葉で綴るのは難しく、まして知識も技術も万年未熟となると、ますますどうしたらいいのか分からなくなります。

それなのによくも無謀にたくさん綴って来たものだ、と、いまさらながらに恥ずかしく思います。

それでも重ねてこうして喋りたくなっているのは、モーツァルトの作品にはラテン語歌詞の宗教曲も豊富にあるにもかかわらず、主要オペラや器楽曲に比べると、思いのほか日の目を見ていない気がしているからです。
モーツァルトの宗教曲についてはカルル・ド・ニの豊かな概説本の日本語訳(白水社 文庫クセジュ)もありますし、ネットでもお好きなかたの素晴らしい特集サイトがあったりします。加えてよいものが、まだなにかあるのでしょうか?

あるとすれば、こちらは日本語訳の出ていない、各作品のスコアの解説の情報も、そのひとつでしょう。あるいは、ザルツブルク時代に書かれたミサ曲があっけらかんと明るいために、現代人の感覚からすると厳粛さに欠ける分価値が低いとされている、その価値観が耳を妨げている面はないかどうか、を確認しなおすのも面白いかもしれません。
そんなところから、ひとつひとつ、少しはじっくりめに眺めていこうか、と思った次第です。
ただ、私の読み取り能力は決して高くありませんので、どれくらい時間がかかるのか、皆目見当がつきません。なんとか挫折しないように勉強していく所存です。お気づきの点はご教示頂けましたら幸いです。
(ここまで、前の記事と趣旨が重複していますが、ご容赦頂ければと存じます。)


さて、まずはミサ曲を軸にしていきます。
ミサ曲は、グレゴリオ聖歌以降、誰が作曲しても、基本的に歌詞がいっしょです。そのため、モーツァルト自身のもの同士でも、あるいはその先輩後輩のミサ曲でも、必要な時には比較がしやすいメリットがありますし、それぞれのミサ曲が書かれた時代の特徴も、もしかしたら把握しやすくなるかも知れないとの期待が持てます。

※「孤児院ミサ」ハ短調 KV.139(47a)

アーノンクール/コンツェントゥス・ムジクス
アーノルト・シェーンベルク合唱団 他 (1996年)
https://tower.jp/item/168408/


【作曲年代】
モーツァルトが最初に手がけたミサ曲については、幸いにして父レオポルトが残したカタログがあるそうです。Carus版スコアの解説(英語&ドイツ語)から知ることの出来る情報によりますと、それはこんにちKV.139(47a、「孤児院ミサ」)とされているものと、KV.49とされているもののいづれかになります。
父が作成した1768年のアマデウス・モーツァルトの作品カタログには36の項目があり、そこに上の2つのミサが、”eine große Messe”と”eine kleine Messe”として記載されていることが確認できる由。
そのうちの「大きいミサ曲」のほうがKV.139、小さいほうがKV.49にあたる、という推測が、まずはなされたわけですね。
小さいKV.49のほうは、作曲年代が1768年であることは、自筆譜右肩のサインから裏付けられます。
大きいKV.139については、自筆譜右肩には他筆で「176_」とあり、年代の裏付けはとれません。こちらは、紙の透かし模様の研究から、自筆譜の年代が1768年〜69年のものであると判明し、そのことと1768年作品のカタログに記載されている”eine große Messe”が符合することから、1768年作と判明するに至ったのでした。
以下、この大きいほう(荘厳ミサ曲)のKV.139に絞ってまとめていきます。


【ニックネームの由来】
KV.139は”Waisenhausmesse”(Waisenhausは英語ではorphanageすなわち孤児院)と通称されています。これは、1768年当時、父とともに前年からウィーン旅行中だった12歳のモーツァルトが、当地の孤児院の新教会で「至聖なる聖マリアの無原罪の御孕(みごも)りの祝日」(海老澤敏訳)である12月8日になされる献納のために書いている、と父が手紙に述べた、その荘厳ミサ曲が、このKV.139である、と推測されていることによります。すなわち、推測された初演場所を名前に冠しているのです。
海老澤敏『モーツァルトの生涯』1(1991年刊 白水社、p.123-124)で、この孤児院のこと、新教会での12月7日(一日早い)の献堂式のこと、その際のモーツァルトの評判についての記録、が日本語で記されています。評判のほうだけ引用します。
「(孤児院の新教会の)盛儀ミサに際しての孤児合唱団の音楽はすべて、ザルツブルク大司教に仕える楽長レーオポルト・モーツァルト氏の12歳の幼い子息で、その非凡な才能によって知られたヴォルフガング・モーツァルトによって、このたびの祝典のために、まったく新たに書かれたもので、ひろく喝采を博し、かつ驚嘆の的となったが、彼自身によって演奏も行なわれ、このうえもなく整然と指揮された。」
これがしかし、KV.139にあたるミサ曲かどうかは、今なお確証を得ていないとされています。さて、事態は進展しているのでしょうか、どうでしょうか。


【特徴】

[構成のこと]
構成は、「荘厳ミサ」とか「盛儀ミサ」と呼ばれる類いに準拠していて、詞章の長いグローリアとクレードは、いずれも7つの部分に分けて作られています。
この7部の分けかたが独自のものなのか、はたまたなんらかの伝統によるものなのか、を、事情にまったく通じていない私には正しく理解する術がありません。
おおまかな傍証を得るために、古くはギョーム・ド・マショー「ノートルダム・ミサ」から、デュファイ「『私の顔が蒼いのは』ミサ」、オケゲム「ミサ・プロラツィオーヌム」あたりから聴いてみましたが、古いミサ曲は各詞章がほぼ一気通貫で作曲されているのでした(「キリエ」だけは早くから「キリエ・エレイソン」〜「クリステ・エレイソン」〜「キリエ・エレイソン」の三部になっていますが)。
後期バロックまで飛んで、ヴィヴァルディの名作「グローリア」を覗いてみますと、区切られている部は12に及んでいます。モーツァルトの「孤児院ミサ」と一致するのは、1番目の他、3、4、6、9、11、12となります。
バッハのロ短調ミサですと、グローリアもクレードも9部で、モーツァルト「孤児院ミサ」よりもまだ2部多く区切っています。
ザルツブルクで活躍した大先輩のビーバーの「53声部のミサ」も、まだ、より細かい区切りがあります。これが1682年の作品です。
ブリュッセルで活躍したフィオッコ(1704〜1741)のミサ・ソレムニスで、グローリアでもクレードでもモーツァルト「孤児院ミサ」と一致するとみてよい区切り箇所・区切り数の作例をようやく聴けました。
少し下って、先輩ヨーゼフ・ハイドンの「聖チェチーリア・ミサ(ミサ曲第3番)」(1766年の作)は、グローリアは完全一致、クレードはハイドンのほうは明確な箇所こそすくないものの、内容としては「孤児院ミサ」と一致、とみて差し支えないだろうところまで、確認は出来ました。
以上から、モーツァルトが「孤児院ミサ」でとっている詞章の区切りかたは、ヴィヴァルディやバッハの時代に根ざしたものが、その後もう少し整理された、その伝統の流れに添ったものになっているだろうところまでの裏付けはとれたかと思います。
これはCarus版のKV.49のスコアのほうにある
「モーツァルトは熱心に、イタリアやザルツブルクの作曲家たちの曲を模写していた」
事実と、当然符合するものと思います。


[調性と曲想のこと]
音楽としての最大の特徴は、なんといっても、全曲の幕開けである冒頭部12小節間のアダージョの、厳しい和音の連なりによって聴き手に与える衝撃感でしょう。
クラシックは、その曲の最初の章の響きが、何を主音とする長調なのか短調なのか、で呼ばれます。その伝からいけば、「孤児院ミサ」は「ハ長調」と呼ぶほうが妥当であることは、末尾に掲げる曲の構成の、調の流れを見れば明らかです。「キリエ」の主部も、「グローリア」も「クレード」も「サンクトゥス」も、メインの章はすべてハ長調で書かれ、合唱が入ります。(ヘ長調やト長調の章は独唱によって歌われますので、そのことからも、メインではない・・・言ってみればスペシャルな部分である・・・ことが分かります。)
いっぽう、最後の「アニュス・デイ」だけは、前半の、演奏時間でも半分以上を占めるアダージョ部分は「ハ短調」で、ここでは長々と、トロンボーンの、苦悶の叫びであるかのような、異様な独奏を聴かせられることとなります(12小節間)。
他には「グローリア」グループ中の「クィ・トーリス」が合唱入りのヘ短調(ハ長調から見ると下属調の同主調)、「クレード」グループ中の「クルーチフィクスス(十字架に懸けられ)」が合唱入りのハ短調となっていて、これらも他の部分から切り離された激しい印象を与えますが、こちらは作品の冒頭でも末尾でもないので、印象は幾分和らげられるのかな、と思います。
するとやはり、作品の最初と最後の与える暗黒感がかなり強烈であるために、「孤児院ミサ」は、その調性を「ハ短調」と呼ばれるのに至ったのかな、という気がします。

しかし実は、冒頭の「キリエ」開始部がハ短調であるのは、1小節目と9小節め以降だけ、つまりこの部分の半分です。
冒頭の凄まじさについては、和音の細々した理屈を追っかけても面白くありませんし、よく分からなくもなります。しかし、最初の8小節の合唱の音を具体的に追いかけてみますと、ちょっと面白い景色が開けます(7〜8小節目は一部の音だけです)。
・ソプラノ:C-Db-D-Eb
・アルト :Eb-E-F-Gb
・テノール:G-G-Ab-B
・バス  :C-Bb-B-Es
下二声は和声の都合もあるのでしょうが、ソプラノとアルトは、並行する6度の関係で、どちらも半音ずつ上昇していきます。すなわち、アダージョですからゆっくりした時間で、声は狭い間隔でにじるようにうわずっていく。
2小節目で減七と呼ばれる、どこまで音を重ねても響きの感じが変わらない奇妙な和音が突如出てくるのですが、これによる混沌の効果が、この「にじりあがる」音とともに、あたかも精神の苦痛を具現するが如くになっているところ、十二歳の子供が人の心のそんなところまで知っていたものか、と、空恐ろしく感じさせられさえします。いや、単に音楽の語法としてモーツァルト少年が体得していただけのことだ、と言えば、それまでではあるのですけれど。

「キリエ」冒頭部以降は、先にあげた部分以外は、底抜けにあっけらかんとした音楽になっています。そこにまだまだモーツァルトの子供らしさがたっぷり顔を出している、と聴くかどうかは、聴き手次第なのでしょうか。「クレード」の歌い出しが半音ずつ加工する恩恵であることだけは、しかし最低でも特筆しておかなければならないでしょう。これは「キリエ」冒頭が半音ずつの重苦しい上昇であることに呼応していて、かつ非常に軽やかであるところが、ちょっと面白いと思います。

「孤児院ミサ」の、もうひとつ大きな特徴は、「キリエ」・「グローリア」・(グラーティアス)・(クム・サンクト・スピリトゥ)・(エト・イン・ウーナム・サンクタム)・「サンクトゥス」と、多くの部分で、もっとも耳につく歌い出しがC音の連続になっている、すなわち音程に動きがないことです。とくに「キリエ」・「グローリア」は詞章の開始部で、音楽としても軸になるところですが、両方ともC3音でまったく同じリズムをとっていますし、「サンクトゥス」もリズムは異なるものの詞章の歌い出しですから、このミサ曲全体を聴く人に、あ、また同じ音だ、と、統一感を感じさせる仕掛けになっています。そして、そのあとの動きがそれぞれの部で異なっていることで、また変化をも敏感に捉えられるよう配慮されている、と言っていいかと思います。


[まとめ]
以上、みてきたことから、「孤児院ミサ」の特徴を簡潔にまとめてみますと、

・全曲の幕開けで重苦しくにじりあがる響きで聴き手に衝撃が印象づけられ、以後、概ね明るく進んでおきながら、最後の最後でまた、苦悶を描くようなトロンボーン独奏で気分を沈ませる(上では言いませんでしたが、いちおうこちらは明るい決着は迎えるのですが)仕掛けになっている。目立つ短調は他に2ヶ所ある程度なのに、幕開けも苦悶のトロンボーンもハ短調であるため、全体の調性は「ハ短調」と判定されることになったと思われる。

・音楽の軸になる箇所の幾つかがC音の(3音程度の)連続で歌い出されるため、聴き手は作品全体に統一を感じることが出来る。かつ、それぞれの箇所で、C音の連続のあとの動きが異なるため、変化も感じることが出来る。

・・・巧く作ったもんだなあ、と、ただただ感心します。


「孤児院ミサ」については、詞の内容とメロディの兼ね合いとか、曲の様式がギャラントだロココだみたいだとかいうところまでには、とりあえず立ち入りませんでした。作品をめぐる価値観についても、単に詞章の区切りかたの面のみ、分かる範囲で観察したに留まっています。そうしたことどもは、これからモーツァルトのミサ曲をいくつも見ていく中で、追々観察していくべきかな、と思っております。

ザルツブルク時代のモーツァルトのミサ曲は、新全集の第1巻に全部おさまっています。
私の参照スコアはCarus版で、「孤児院ミサ」と、解説を参照したKV.49については
*KV139   Carus 40.614/07
*KV49     Carus 40.621/07
です。


以下、メモ的に、演奏される編成と曲の構成を載せておきます。
構成のほうは、どの部分が合唱でどの部分が独唱かを記していません。後日追記することといたします。

【編成】
・オーボエ2本
・トランペット(クラリーノ)C管2本
・ティンパニ(キリエ主部、グローリア、グラーティアス、クレード、エト・ウーナム・サンクトゥム以降、サンクトゥス、ドナ・ノービス・パーチェムで使用。いずれにおいてもCとG)
・トロンボーン3本
・ヴァイオリン1・2、ヴィオラ、バス&オルガン
四部合唱と独唱(各声部)

【曲の構成とテンポ】
Kyrie(キリエ):
1-12 Adagio  c moll 4/4 トランペットとティンパニなし
13-104 allegro C dur 3/4
(Christe eleison)
105-140 Andante F dur 2/4 弦・通奏低音のみ

Gloria(グローリア):
1-23 Allegro C dur 4/4
(Laudamus te)
24-72 Andante G dur 3/4 弦・通奏低音のみ
(Gratias agimus)
73-82 Adagio C dur 4/4
(Domine Deus)
83-138 Andante F dur 2/4
(Qui tolis)
139-165 Adagio f moll 2/2 トランペットなし
(Quoniam tu solus Sanctus)
166-243 Allegro F dur 3/4 弦・通奏低音のみ
(Cum Sancto Spiritus)
244-340 Allegro C dur 2/2

Credo(クレド):
1-74 Allegro C dur 4/4
(Et incarnatus est)
75-115 Andante F dur 6/8 弦・通奏低音のみ
(Crucifixus)
116-127 Adagio c moll 4/4
(Et resurrexit)
128-171 Allegro C dur 2/2
(Et in Spiritum Sanctum)
172-230 Andante G dur 3/4 弦・通奏低音のみ
(Et unam sanctam)
231-256 Allegro C dur 2/2, 257-259 Adagio(mortuorum)
(Et vitam venturi sacli, Amen)
atacca 260-336 C dur 4/4

Sanctus(サンクトゥス):
1- 14 Adagio C dur 2/2
(Pleni sunt)
atacca Allegro15-35 C dur 3/4
(hosanna)
atacca 36-45 (Allegro) C dur 2/2
(Benedictus)
1-24 Andante F dur 4/4
(hosanna)
atacca 25-34 (Allegro) C dur 2/2

Agnus Dei(アニュス・デイ):
1- 54 Andante c moll 2/2
55-125  Allegro C dur 3/4

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2018年9月 8日 (土)

モーツァルトのミサ曲(0)

ふと思い立って、モーツァルトのミサ曲を読んでいきたいな、と考え始めました。

彼の作品をひととおり聴いてみたいな、と、ずっと以前に思って、ザルツブルク時代のものについては、そのころほぼブログに綴りきりましたが、ウィーン時代以後のものまでにはいたらず終わりました。
そして当時綴った記事を読み返すと、慌てていて犯した間違いはともかく、そうでないものも、「聴く」というよりは、伝記的事実との整合に追われていて、中身を読むことに疎いままだな、と実感します。

モーツァルトは、既に幼い時から、様々なジャンルで豊富な作品を書いていました。それは誰でも知っているとおりです。
ミサ曲についても、未完成の「ハ短調ミサ曲」を含めて17作書いています。
十代の最後に初めて、アマチュアオーケストラの一員としてモーツァルトのミサ曲に接して以来、私はこの彼のこのジャンルに愛着があるのですが、その内容については未だにちゃんと理解してはいません。
せっかくなので、いちから触れなおしてみようかな、と思うのです。

幸いにして、新モーツァルト全集のスコアが手元にあります。
ザルツブルク時代のミサ曲は第1巻、ハ短調ミサとレクイエム(ジュスマイヤー版)は第2巻に収録されています。
どれくらいかかるか分かりませんが、これを順次眺めて行くことにします。

ミサ曲は、誰の手になる作品でもテキストが共通であるため、他のジャンルよりは理解も深めやすいところもあるかも知れません。
このテキストは、最初の「キリエ」が古代ギリシア語で、以下の「グローリア」・「クレド」・「サンクトゥス」・「ホザンナ」・「ベネディクトゥス」・「アグヌス(アニュス)・デイ」はラテン語です。
古代ギリシア語もラテン語も、学習上は、日本語と同じ「高低アクセント」です。しかしながら、音楽作品としてのミサ曲を理解していく上では、作曲家たち、はこれらの言葉に対し、高低アクセントでの曲付けはしていません。
グレゴリオ聖歌を聴いても、そのメロディライン(旋律線)は既に、言葉の高低アクセントの線に添ってはいません。デュファイなどの古い作曲家によるミサ曲でも同様です。
この面からも「ミサ曲」は、古代からのではなく、自分の文化を確かに持ち始めたヨーロッパの伝統を体現したジャンルになっていることが伺われます。
有り難いことに今も文庫で読める、ゲオルギアーデス『音楽と言語』(原著は1954年)が、ミサ曲をもって巨視的な考察を進めていたのも、当然のことだったのかな、と感じます。
いま、読んでいこうとしているのはモーツァルトに限られるわけですが、そんな狭い視野からも、私自身の西欧文化理解に何か新しい目を開いてくるものが生まれて来たらいいな、と、ちょっとだけ期待しています。

「ハ短調ミサ」と「レクイエム」を除けば、モーツァルトがミサ曲を書いた時期はザルツブルク在住期間に限られるのですが、そのことがかえって、モーツァルトの成長過程を明確にしてくれるのではないかな、とも思うのですけれど、それは進めていってからでないと分かりませんね。

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2018年6月 9日 (土)

6月29日(金) Rêve d’amour(赤坂:カーサ・クラシカ)

私の娘ですので、ブログで宣伝もどうかなあ、と、いままで躊躇してきました。
(ブログ自体、いままでの私自身のリハビリの役割はとうに終わって、あまり綴らなくなってきていますし。)

まあ、しかし、娘を通じて、素晴らしい若い音楽家さんたちを知る事も出来てきましたし、娘だからといって別の目で見る必要もないだろう、と、ぼちぼち思い始めております。
昨年大学院まで出まして、いままだ訓練途上ですが、ソプラノで歌わせて頂いております。

下記、ピアノを弾いて下さる菅原達郎さんにも、何度かお世話になってきました。
拝聴するたび、柔らかで優しくて、厳しい音にも繊細さのある、たいへん素晴らしいかただな、と感じております。菅原さんは、現在、東京音楽大学でお仕事をなさっています。

プログラム中では、やはり娘が日頃 tottoki というユニットで組んで頂いている東秋幸さんの作品も歌います。面白い、聴きやすいけれど安っぽくないヒネリがいつも効いている曲を書かれていて、彼の作品を拝聴することは、私にとって、いつも無上の喜びです。

ご紹介したい若手さんは、ギタリストさんとか、チェリストさんとか、作曲のかたとか、そして娘と同様に声楽をなさっているかたとか、本当にたくさんいらっしゃいます。
サボっていないで、みんなどんどん宣伝したいな、と思っております。
・・・マイナーブログじゃ、しゃあないか(笑)

手始めが自分の娘の出るもので、汗顔の至りです。

どうぞ、お越し頂けましたら幸いに存じます。

会場のカーサ・クラシカさんは、若手にオープンで演じやすい空間を、いつもそれとなくご提供下さる、これまた素敵な場所です。食事もおいしく、飲物にも一工夫あります。体験して頂いて損のないところです。


日時:2018年6月29日(金)19時開演(18時開場)
料金:3,000円(ミュージックチャージ。飲物・料理は別途)
場所:カーサ・クラシカ〜東京都港区赤坂3-19-9 オレンジビル地階
   赤坂見附駅から徒歩3分、オレンジ色のビルです。

180629

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2018年4月15日 (日)

【読書・鑑賞案内】バロックのビッグバンド〜合奏協奏曲〜レパートリーを広げるヒント(4)

現役生の皆様、ご入学ご進級はご無事に果たせましたでしょうか? 4年生は就活順調ですか?

なんか考えていたより小難しくなってしまったこともあり、今回の場合、そもそもコンチェルトって何なのよ、で躓いちゃったこともあり、あいだがだいぶ空きました。

盛りだくさんになりますが、YouTubeからいろいろ埋め込んでおきますので、下手な文章は無視して楽しんでもらえたら嬉しいです。

さて。

シンフォニーだのコンチェルトだのソナタだの、って、ルネサンスからバロックの時代に頻繁に使われるようになった言葉で、しかも今は器楽だと思っているこれらが、最初に歴史に現われた頃はみんな声楽だった(ソナタは違いますけど)、っていうのが、もう、涙なくしては語れない事実です。

結局、上の全部の言葉の由来や歴史に明快な答えを与えてくれるのは、1月13日に紹介した金沢正剛(まさかた)さんのご著書くらいでした。音楽史の本って、時代順に書くことが使命だったり、ある時代からあとしか詳しく書いてなかったり、ですから、おおきな視野を手っ取り早く得たいときには困るんですよね。
金澤さんの『新版 古楽のすすめ』(音楽之友社 オルフェ・ライブラリー 2,400円+消費税)は、18世紀までについてではありますけれど、もし古いヨーロッパ音楽の全体像をつかみたいと思っているのでしたら、いちばん良い本です。文庫本ではないので迷っていますが、外せない気がしますので、いずれ紹介します。

で、余計な前ふりをしてしまいましたけれど、今日のお題は「コンチェルト」だけです。
ただし、ピアノコンチェルトとかヴァイオリンコンチェルトみたいな、ソロコンチェルトの話はしません(なので、ヴィヴァルディはとりあげません)。歴史的な話も深入りしないようにしておきましょうね。

弦楽合奏にはロマン派の弦楽セレナーデなどにとても良い作品も豊富にあります(Oさんが大好きなチャイコフスキーのものもそうですね)が、私たちアマチュアのでは、初歩で演奏する教材に近い作品を除くと、バロック期の「合奏協奏曲 コンチェルト・グロッソ」と呼ばれるものが主なレパートリーになる傾向があります。
けれども案外、選ばれる作曲家はコレルリに限られるのではないでしょうか。しかも、コレルリの12曲ある合奏協奏曲のなかから、8作目のクリスマス・コンチェルトが演奏される以外、あと数作品が選ばれる程度で、全部やった、なんて人は、もしかしたらいないんじゃないか、と思います。

そもそもコンチェルトと呼ばれている曲種は、元は声楽と器楽が一緒になった合奏曲を指していたのだそうです。耳にしやすいものとしては、ガブリエリやモンテヴェルディに師事したドイツの大音楽家、ハインリヒ・シュッツによる「クライネ・ガイストリヒ・コンチェルト」があります。
シュッツの作品なども、器楽の、言ってみれば伴奏に対して、歌が華やかに活躍するのを聴き取れます。想像に過ぎませんが、コンチェルトで活躍する独奏は、そうした華やかな歌を引き継いだものだった気がします。ただ、シュッツの作品では2声の歌が掛け合ったり歩み寄ったりはしますが、歌と器楽の交代のようなものは特にないかと思います。

こうしたものをヴァイオリン2丁と鍵盤楽器でやってみるのも面白そうですね・・・合奏にならないか。

こういう掛け合いが、器楽同士の中で行われるようになり、それが「コンチェルト」という曲種になったのは、(先駆者はいて・・・合奏協奏曲の創始者はストラデッラだった、というのが通説です)コレルリのおかげです。そして、コレルリが書いたもので、出版されて残ったのは、「コンチェルト・グロッソ 合奏協奏曲」です。
元は歌の役割だった(?)華やかさは、コレルリのコンチェルトの中では、きらきらと現れるソロ(コンチェルティーノと呼ばれています)が果しています。それでもコレルリのコンチェルトの中でのソロは基本的に合奏(リピエーノと呼ばれています)と対等で、かつ独りだけではなかったりするので、私たちがコンチェルトの名前でイメージしがちな、独奏が主役、みたいなところはありません。ジャズのビッグバンドでサックスが、次にはトランペットが、と、スタンドプレイが繰り広げられる感触に似ているところがあります。
もう少し発展的ではありますが、デューク・エリントン “It don’t mean a thing” を聴いてみて下さい。

で、コレルリ。12番は、知ってます?
これ、途中で切れちゃうんですけど。

どうです?
え? 違いますか(笑)
シュッツの作品のほうが近いかな(笑)(笑)

名人のソロが入ってビックリ、みたいなのもいいんですけど、音楽でのコミュニケーションの点では、スタンドプレイが決してみんなから逸れていかないコンチェルト・グロッソのほうが、僕なんかは面白いと思っています。

それで、せっかくなので、コレルリ以外の作者にも興味を持ってもらえたらいいなあ、と願ってもいます。

有名な、といっても、古典音楽に触れ始めたばっかりの人ではまだ知らないかな、と思いますが、アレッサンドロ・スカルラッティという人にも素敵な合奏協奏曲があります。「六つの合奏協奏曲集」の最初のヘ短調などは、是非知っておいてもらいたい作品です。

コレルリが亡くなる3年前に生まれたジェミニアーニという人には、コレルリの有名なヴァイオリンソナタ「ラ・フォリア」をコンチェルト・グロッソに仕立てなおした作品もあります。

僕らが学生の頃には、ペルゴレージの合奏協奏曲と伝えられています、という面白い作品群もやったのでしたが、いまはそのほとんどがニセモノだと判明して、さてどんな作品だったか、楽譜も録音も見当たらず、分からなくなってしまいました。

その他に、今回探したら、ジュセッペ・サンマルティーニという人のコンチェルト・グロッソなんかも出てきました。有名なほうのサンマルティーニはジョヴァンニ・バティスタ・サンマルティーニさんで、ジュセッペさんはそのお兄さんだそうです。

有名な作者だとヘンデルにもコンチェルト・グロッソがありますが、ヘンデルは若い頃イタリアでも活躍していました。コンチェルト・グロッソは、イタリアが生んだ、かつイタリアを出なかったジャンルなのかなあ。

コンチェルト・グロッソではなく、弦楽のためのソナタなのですが、ストラヴィンスキーのバレー音楽『プルチネルラ』は伝ペルゴレージの作品を編曲したもので構成されています。そのオリジナル、これが実はペルゴレージの作品ではないものがほとんどなのですが、ドメニコ・ガロによるそのオリジナルなども、大変に良い曲です。(ただしヴィオラが含まれません。)

こちらが、ストラヴィンスキーによる編曲。ストラヴィンスキーの指揮した映像も残っているのですが、YouTubeでは見つけ損ねました。

いわゆる無名子の作品にも、こうした面白いものが豊富にあるはずです。
まずは作品を、それが気に入ったら楽譜を、どうぞ探してみて下さい。

ではでは、コンチェルトについては、こんなところで。

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2018年3月12日 (月)

【3月21日】水曜日のクラシック(原宿にて)

Namida おっさんだから、おっさん臭くしか言えませんけど。

ここ数年、限られた範囲ではありますが、二十代の若い音楽家さん達とも巡り会えて、楽しみな方が多く、心強く思っております。
作曲、歌、ピアノ、チェロ、等々、どなたも拝聴して、伸び伸びとして豊かな成果をご披露下さって、いろんなことのある世の中かもしれないけれど、こと音楽に関しては、決して悪い時代じゃないかもな、と感じます。

流れとして、ひとつには、たくさんの先輩たちが築いて来られた組織に連なって頑張っていこうというかたもいらっしゃる一方、自分で主催して自分で「みせたい」ものをみせる方向に進むかたたちもいらっしゃいます。

後者のかたたちのほうに、私はどうも興味をひかれやすいようです。

人の紹介で「ほう」と思ったのが、今回ちょっと記させて頂く、ギターの五十嵐紅(こう)さんです。

まだいちども実際に拝聴していないのですが、五十嵐さん、2016年から原宿で

水曜日のクラシック

を主催、多様な楽器のかたと共演なさり続けているのですね。

共演したひとたちとの対談をHPに載せていらして、これがまた、二十代のひとたちの感性を、ふうわり、と味わうのに、とてもいい。

ちょっと無断転載します。

Vol.1
・紅さんはなんでクラシックギターはじめたんですか?
​・6歳くらいの時、サンタさんがちっちゃいアコギ持ってきてくれたの。クラシックギターの教本付きで。(笑)」
・そのまま中学生くらいになって「あれ、なんかみんなと違うギターだ」って。

Vol.7
・ちなみにこないだバンジージャンプをしたらしいけど、どうして?(笑)
・バンジーは師匠の奥様に、ここぞって時に力が出なかったりビビっちゃうことを指摘されて、行くかって。(笑)
・なんか変わった?
・変わった!(笑) なんか色々小さいなって思った。(笑)
・僕も飛んでこようかな。

ほんとは、彼ら彼女たちが音楽をどう感じながら、それをお仕事にしていこうとしているか、が豊かに話されているんですが、こんなのを拾ってしまいました。
なかなか楽しいです。
二つだけで、もったいないんですけど・・・
https://www.koh-guitar.com/wedb

昨年3月の演奏に際して作ったCM、なかなか質が高いと思います。

こんな「水曜日のクラシック」ですが、3月21日(水・祝日)に

Vol.17「涙の音楽」

というのをなさるそうです。

19:00〜(18:30open)
会場:hall60(原宿駅表参道口より徒歩6分)
チケット(前売)一般 3,000円/ペア 5,500円
ネット購入 http://shop.koh-guitar.com/categories/917147

ソプラノ:田村幸代
チェロ:矢口里菜子
ギター:五十嵐紅

《演奏予定》
ダウランド:流れよ我が涙よ
ヘンデル:私を泣かせてください
タレガ:ラグリマ
オッフェンバック:ジャクリーヌの涙
ムソルグスキー:涙
ほか

http://50gt.blogspot.jp/2018/02/blog-post_27.html

うまく都合が合うなら出掛けてみようかな・・・

Hall60

五十嵐さんのプロフィールはこちら。
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