2012年5月27日 (日)

【7月1日】東京ムジークフロー第49回定期演奏会(13:30〜杉並公会堂)

所属しておりますアマチュアオーケストラの定期演奏会ご案内です。

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日時:7月1日(日)14:00開演(13:30開場)
指揮:菊地 俊一
曲目:ヴァンハル 交響曲ハ長調BC29
   ドヴォルジャーク 交響詩「水の精」作品107
   シューマン 交響曲第1番(「春」)作品38
料金:全席自由1000円

問合せ:
   e-mail : tokio.musik.froh.★gmail.com(★を@に置き換えてご使用下さい)
   http://www5f.biglobe.ne.jp/~orc/~tmf

簡単で恐縮ではございますが、お越しをお待ち申し上げております。

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2012年5月20日 (日)

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウを悼む(若干補)

5月18日、名バリトン歌手、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ氏が86歳で逝去なさったニュースは、クラシックファンならあまねくご承知のことと思います。

バリトン歌手としては20世紀最大の歌手ではなかったかと思います。
言葉の意味までを歌であらわしてしまえる希有な能力をお持ちのお一人でした。
それで理が勝ってしまったときには歌が冷めて聞こえることもありましたけれど、歌詞に初々しい青春の苦みが籠められているものには絶唱とでも呼ぶべきものを録音にあまた残して下さいました。

私たちが子供時代からたくさんの喜びを味合わせてもらってきた、20世紀後半期の巨匠が、またひとり、地上から消え去ってしまいました。大変寂しく思います。

私自身は歌劇ではヴァーグナー「トリスタンとイゾルデ」でのマルケ王のこの人ならではの気高さ、歌曲ではマーラーの「さすらう若人の歌」の純情な悲しみを噛み締めながらの歌唱がたいへんに好きでした。

アルバムでは、シューベルト三大歌曲集の中でも、マーラーと通底する精神で書かれた「美しき水車小屋の娘」(ジェラール・ムーアの伴奏)をいちばんの名盤としてあげたいと思います。

http://www.amazon.co.jp/dp/B00005FHWG

アルフレート・ブレンデルとの「冬の旅」映像に付せられたリハーサルも、歌を自家薬籠中にした彼に、ブレンデルが逐次歌い回しのポイントを適切に感じ取りながらピアノパートを熱心に仕上げて行く・・・フィッシャー=ディースカウもまた添えに応えていっそうのドラマ作りをしていく、非常に興味深く勉強になるものです。ブレンデルの方も(ピアノで)歌っちゃうところが、伴奏を逸脱していると言えば逸脱しているかもしれないけれど、それでも構わないフィッシャー=ディースカウの歌唱の許容範囲の広さもあって、伴奏らしい伴奏で歌うのとは違った前向きなぶつかりあいと立体的な調和があって、フィッシャー=ディースカウがこの歌曲集を収録した中では案外最高の出来なのではないかと感じました。本来別の歌手の「冬の旅」を贔屓していたのですけれど、あらためてこの組み合わせで拝聴して、希有なことだと思いました。
http://www.amazon.co.jp/dp/B004XKBAZ2

小さな歌曲にこそ唸らせられる歌唱が多いのも、これだけの名人ならではでした。
彼によるシューベルト「野ばら」は、この作品にもっとも似つかわしいものだと信じております。探したら、静止画像ですがYouTubeにアップされていました。



哀悼の言葉は、人づてにバイエルン国立歌劇場がネットに掲載した誠意に溢れたものを拝読しました。

平易なドイツ語ですので、そのまま引用させて頂きます。オリジナルはリンクからご覧下さい。

http://www.bayerische.staatsoper.de/861-bXNnX2lkPTE0NTQ5-~Staatsoper~bso_aktuell~aktuelles_detail.html

               

Trauer um Dietrich Fischer-Dieskau

Die Bayerische Staatsoper trauert um den Bariton Dietrich Fischer-Dieskau. Am Morgen des 18. Mai verstarb der Bayerische Kammersänger im Alter von 86 Jahren in Berg am Starnberger See.

„Der Tod von Dietrich Fischer-Dieskau ist ein großer Verlust für die gesamte Musikwelt. Er hat durch seine Interpretationen im Liedgesang und in der Oper die Kunst des Singens entscheidend geprägt. Der heutige Liedgesang wäre ohne die Prägung durch Dietrich Fischer-Dieskau nicht denkbar. Die Bayerische Staatsoper trauert um einen ihrer wichtigsten Künstler überhaupt“, so Intendant Nikolaus Bachler.

Dietrich Fischer-Dieskau wurde in Berlin geboren. Seine Gesangsausbildung erhielt er bei Georg A. Walter und später bei Hermann Weißenborn an der Berliner Musikhochschule. Mit einem ersten Liederabend im Jahr 1947 und einem Engagement an der Städtischen Oper Berlin begann seine erfolgreiche internationale Karriere. Gastspielverträge führten ihn an renommierte Opernhäuser, u.a. an die Staatsopern von Wien, München und Hamburg sowie an die Londoner Covent Garden Opera, in die New Yorker Carnegie Hall und zu den Festspielen von Bayreuth und Edinburgh. Vor allem auch durch seine Interpretationen im Liedfach setzte er bis heute bleibende Maßstäbe, die New York Times kürte ihn sogar zum „besten Liedsänger der Welt“.

Über viele Jahre hinweg pflegte Fischer-Dieskau eine intensive und künstlerisch produktive Verbindung zur Bayerischen Staatsoper. Bereits 1952 sang er hier die Partie des Jochanaan (Salome), 1959 wurde er zum Bayerischen Kammersänger ernannt. In fünf Jahrzehnten sang er hier rund 20 Partien, darunter Mandryka (Arabella), Barak (Die Frau ohne Schatten), Almaviva (Le nozze di Figaro), Sprecher (Die Zauberflöte), Amfortas (Parsifal), Hans Sachs (Die Meistersinger von Nürnberg) und die Titelpartien von Gianni Schicchi und Falstaff. Unvergesslich bleiben seine Verdienste um das zeitgenössische Musiktheater, allem voran seine Darstellung des König Lear in der gleichnamigen, 1979 in München uraufgeführten Oper von Aribert Reimann. 1992 gab er seinen Abschiedsliederabend im Nationaltheater, am Silvesterabend desselben Jahres beendete er hier seine Gesangskarriere mit einem Galakonzert unter der Leitung von Wolfgang Sawallisch. Nach seinem Abschied als Sänger arbeitete er ist als Dirigent, Rezitator und Buchautor sowie als Dozent von Meisterklassen.

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2012年5月14日 (月)

シェーンベルク「月に憑かれたピエロ」

言葉のイントネーションは、とくに演劇の上で、その演じられかたの多様さに合わせてさまざまに様式化されてきたものでもありました。
劇に音楽的な要素が多くなるほど、究極は歌劇のように、言葉のイントネーションを歌の音程の高低に固定するようになります。歌は一般的に音の高さそのものを固定しますから、歌劇における歌のイントネーションは、その音の絶対的な高さにおいても固定されるのです。

Pierrot これに対する本格的なアンチテーゼを呈示したことが、本来、シェーンベルクという一人の音楽家の、西洋音楽上で最も特記されるべき業績なのではないでしょうか。十二音技法なるものを確立したことで、彼はいまでも専ら「調の破壊者」として、ロマン派までを偏愛するクラシック愛好家には疎んじられ、西洋音楽の優れた伝統の息の根を止めてしまった、などと悪くのみ言われることが少なくありません。ですが、十二音技法なるものはあくまで「長調でも短調でもない音楽の書き方」を西洋音楽の伝統の延長線上で開発したものに過ぎず、「月に憑かれたピエロ」で、<イントネーションの音高の非固定>とでもいうべき、言葉の面を切り口にしながらも初めて「音楽の、音程からの解放」までを呈示した新しさからみれば、こんな技法は彼にとってひとつの後退に過ぎなかったのではないか、と感じられてなりません。十二音技法は、一見しただけでは、音程を十二の絶対的な高さに固定したものであって、珍奇な、と言う意味での新しさは、そこにはまったく存在しないばかりか、音程可変の楽器(弦楽器や管楽器など)においては実はまったく違う音程である異名同音、同じ音名でも調の基音が変わることによってやはり変動する音高(ある音が導音である場合は高めになり、導音から決着する位置にある場合は低めになり、また和声に埋め込まれる場合は導音に位置していてもやや低めにとらなければ調和しないことがある)に対するデリケートな感覚を捨象してしまった点では退歩と見なせるものまで孕んでいるのですから。・・・まさにそれゆえに、十二音技法は伝統に飽き足らなかった「伝統継承者」にとって引き継ぎやすく、発展もさせやすく、発展型に対し新たな名前も付与しやすかったのではないでしょうか。それは過去を破壊したのではなく、過去が嵌められていた足枷を明確にしたがゆえに、引き継がれるべき重さを持つことが出来たのだと思います。

「月に憑かれたピエロ」で用いたシュプレヒゲザング(シュプレヒ・シュティンメ)は、彼自身のその扱い方についての記述に論理に矛盾があるようにしか読めない部分もあることから分かる通り、ある意味で定型化とは無縁なもうひとつの「技法」の発見ではなかったかと思います。イントネーションが常に言語とつかず離れずであることを考慮すれば、それは再発見であったと見なすべきなのかも知れませんが、イントネーションが記譜される例は西洋では決して存在しなかったことをかえりみれば、伝統記譜の中での新境地を目立たぬながらも開拓し、あとの世代のより自由な記譜に道を開いたものと捉えてもいいかも知れません。

しかしながら、言葉を発する声と同時に奏でられる器楽の方は、意外なほど伝統の延長線上にあります。
第1曲は曲頭のモチーフを絶対的な音高を保持しながら単純に示すことを繰り返し、その単純さに複雑さをカモフラージュするためにはブラームス的な拍ズラしを用いている(弱拍が強拍に聞こえるように、その部分にヴァイオリンのピチカートを置く)のですし、第11曲前半部や第16曲、第20曲も類似の手法によっています。第2曲、第5曲、第19曲は古典的な舞曲で、第5曲はタイトルも「ショパンのワルツ」、第19曲は「セレナーデ」とタイトルが付されていさえします。第12曲は当時の大衆音楽的なリズムを持ちますし、第6曲、第8曲(パッサカリア)、第14曲の書法はバロック的です。およそ、当時考えられるだけの伝統的技法を網羅しつつ作品が仕上げられていることには、よくよく目を向けなければならないのだろうと思います。

「月に憑かれたピエロ」のスコアから読み取れる記譜は、洋楽的記譜法が必ずしも、たとえば能の謡のゴマ点的記譜法より優位に立つとは限らない・・・書き表したいものによっては制約が大きい・・・点を浮き彫りにしています。無調とは言いながら確かな旋法が内在する各曲で、記譜上は同一音高でも、音楽の歌い回しからは音程を上寄りないし下寄りにしなければならないものもあるかと思いますし、聴くと実演はそれを反映しているのですが、これは書き表せません。後年十二音技法を確立したところから推しはかれば、シェーンベルクはこのことは「常識」程度にしか考えておらず、楽理上明確にする必要性は感じていなかったのではないかとも想像出来ます。言葉のリズムを保持することにも執拗にこだわっていますが、それはどんなに単純なものであっても(言語はモーラという偶数拍単位に集約される傾向があることが音韻上明らかになっていますし、「月に憑かれたピエロ」で扱われる言語も例外ではないことが明確に聴き取れるのですけれど、それにも関わらず)変拍子を噛み合わせなければ表示出来ない点、シェーンベルクたちの時代までの記譜は、まだ明記されなければならなかった「拍子」の束縛から自由ではありません。それは、彼の弟子ウェーベルン作品以降の楽譜よりも読譜を容易にしている面もありますけれど、後輩たちが乗り越えた制約からはまだ逃れていない、二十世紀音楽のプロトタイプの段階にあることは、あらためて認識されて良いことかも知れません。

音楽作法についても、同時期の作曲家たちとくらべて特異な逸脱があったわけではないことは、作品21を付された「月に憑かれたピエロ」と比べると、作品20の「心のしげみ」がストラヴィンスキーに、もっとあとの時期の作品41である「ナポレオン・ヴォナパルトへの頌歌」がショスタコーヴィチに類似した響きを持つことからも判明します。

そんな中で、「月に憑かれたピエロ」が特別な色合いを放つのは、やはり、集約された伝統の響きの上に、イントネーションは確定しながら音程は不定の浮遊する言葉が与えられたことで、二十世紀初頭的な意味合いからは、他の誰がとった書法よりも鋭敏に時代の暗さに肉薄し、今日的には、束縛されていた精神が初めて解放された不安の初々しさを明示してくれる鮮やかさがちらり、と光ってみせるがゆえのことなのでしょう。

シュプレヒシュティンメは、まずは記譜された音高にこだわって鼻歌のように練習してみて、最終的にはそこから解放されるように仕上げを進めて行くのが普通なのでしょうか。クリスティーネ・シェーファーがブーレーズらと録音したものからは、そのような音調が聴き取れます。シェーンベルクの注意書きには最も忠実なのかも知れません。

http://www.amazon.co.jp/dp/B00005FJ4G
http://www.amazon.co.jp/dp/B00000DBV6

背景を演出する器楽は、シノーポリがルイーザ・カステラーニと残したドレスデン・シュターツカペレのメンバーによる録音の方が様式感が明確です。

http://www.amazon.co.jp/dp/B00005HI22

シェーファーの演奏はオリヴァー・ヘルマン監督によりグロテスクなイメージのなかにシェーファー自身が登場する映像になっており、DVDで見ることができます。

http://www.amazon.co.jp/dp/B000BDJ89K

この作品は本来は女優のアルベルティーネ・ツェーメが注文したもので、1912年10月16日にベルリンのコラリオン・ザールで初演されたとのことです。
「熱狂的な喝采を送る若い人々もいたが、ほとんどの人たちは憤りの声を上げていた」
と記録されています。(フライターク『シェーンベルク』訳書p.126)

女優さんによる演奏は、2010年7月に大井浩明さんがピアノ単独演奏で女優の柴田暦さんと共演した際に拝聴しましたが、大変感銘を受けました。最近では内田光子と仲間たち、が、ドイツの有名女優さんとの共演で演奏した映像がBSで放映されたのを拝見しました。

シュプレヒシュティンメについてのシェーンベルクの記述の翻訳はいくつもあるかと思います。前掲書には載っておらず、シノーポリ盤添付のリーフレットにある、次の部分が、シェーンベルクの意図をもっとも良く物語っているでしょう。

さらに一般的な注釈として、次のことに留意すること。

演奏者は、この作品において各々のテキストの意味から、個々の曲の雰囲気や性格をことさらに描き出そうとしてはならない。作品の意味は、唯一音楽から生み出されるべきなのである。作者にとってテクストにある情景や感情の音画的な描写が重要である場合には、それはすでにスコアに組み込まれている。もし言葉による感情表現の要求が生じても、作者が求めていないそうした要素は、付け加えるべきではない。演奏者は、この作品においては、付け加えるのでなく、音楽から何かを汲み取ることを課題とするのである。

・・・これは彼の尊敬していたマーラーが抱えていた後期ロマン派的な尊大さとまったく同一の尊大さであることも、見落としてはなりません。

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2012年5月 9日 (水)

5月11日:トワイライト・トロンボーンカルテット「Departure」発売記念コンサート

ぎりぎり過ぎるご紹介になってしまいました、すみませんっ!!!(><)

CD「Departure」発売記念コンサート
今週5月11日(金)19時開演です!(代金情報なくてすみません【泣】)

CDやっと今日(5月9日)届いて拝聴しましたが、大変素晴らしいアンサンブルです。4月25日に発売してすぐ、Amazon.jpのブラス部門で1位にまで駆け上ったのも、むべなるかな! と頷いてしまいました。

週末のひとときのおくつろぎに、足を運んでみてはいかがでしょうか?

会場:梅若能楽学院会館
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〒164-0003 東京都中野区東中野 2-6-14
電話03-3363-7748    FAX03-3363-7749

JR線
総武線・東中野駅西口 徒歩8分
地下鉄
大江戸線 東中野駅 A3出口
大江戸線 中野坂上駅 A2、2出口
丸の内線 中野坂上駅 A2、2出口
いずれも徒歩8分
バ ス
関東バス 新宿西口 → 野方行(宮下交差点下車)
関東バス 野方 → 新宿西口行(東中野2丁目下車)
京王バス 渋谷 → 中野行(宮下交差点下車) 渋64 中野坂上経由
京王バス 中野 → 渋谷行(東中野2丁目下車) 渋64 中野坂上経由
梅若能楽学院会館には駐車場はございません。
電車、バスをご利用下さい。

JR東中野から
西口改札を出て右手方向に行きながら山手通りに出る。
先ず横断歩道を渡り左手に山手通りを進む。
歩いて7,8分ぐらいで、右手に青い建物の頂上にLIONという看板が見えると、このビルの隣がメキシコ料理店、材木店と続き、この横が梅若能楽学院会館の入口。
入口はコインパーキングになっていて、このパーキングを右に入っていく。
奥の正面に門があり民家が見えるがその横が能楽堂です。

丸の内線・大江戸線 中野坂上より
A2の出口を利用。地上に出るとそこが山手通り。左手に7,8分歩き進む。
ミニストップを通り過ぎ大久保通りとの交差点を渡る。そこからまた一本道を通り越すと車のコインパーキングがみえる。そこが梅若能楽学院会館の入口。左手に折れ、コインパーキングの中を通って歩き進む。奥の正面に門があり民家が見えるがその横が能楽堂です。

【Program】
Fugue in d minor / J.S.Bach
古都三景 / 高嶋圭子
Departure / 廣田純一
ピアノソナタ “悲愴” / L.v.Beethoven

CD「Departure」のAmazonでのページは、こちら。
http://www.amazon.co.jp/dp/B007SES9HC/

メンバーのブログも発見!
http://twilight245.blog133.fc2.com/

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なんといっても技術に裏打ちされて豊かに築き上げるハーモニーが美しく、Amazonでレヴューをつづった方もこう仰っているのですが、まったく同感です。
「それ以上に何か伝わる。聴き手に強要するような『思い』ではなく、奏者一人ひとりの『思い』がストレートに伝わってきます。」
このいいまわしからだと誤解を招くかも知れませんね。
『思い』を伝えられる、とは、すなわち、独りよがりの演奏をしない、聴き手とのコミュニケーションをとるために、きちんとした言葉で、丁寧に話しかけてくることが出来る、ということであろうか、と思っております。

ご活躍を心からお祈り申し上げます。

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2012年5月 1日 (火)

「ダニエルの物語」Ludus Danielis 〜ヨーロッパ中世の代表的典礼劇

伝統が生きている、とは言っても、実は日本の能や歌舞伎にしても、江戸時代〜明治時代になって定式化したもの、あるいは新たに開拓された方法で演じられているのでして、「古来のまま」と考えてはいけないのでしょう。まずそれがいつ整ったものか、を見据え、そこに現代にも受け入れられる何ものかが大変な工夫で採り入れられているところを感得しないと、つい理屈先行でものごとを享受しがちになってしまうかもしれません。自戒すべきことなのだろう、と、最近感じるようになって来ました。

西ヨーロッパの音楽劇は、台本や、リズムのパターンがはっきりしない楽譜で残っていて、復元の方針によって、だいぶ趣が違うように思います。

「ダニエル物語」は聖書に題材を求めた「典礼劇」の最も有名な(、かつ私はこれしか見聞きしたことがない)ものです。12世紀後半に北フランスのボーヴェで上演されたと伝えられるものだそうですが、現在は大英博物館に収められている1230年頃の写本を元に上演されます。
日本でもときどき演じられるようで、皆川達夫さん「中世・ルネサンスの音楽」(旧 講談社現代新書)に1970年の草分け的上演の話がちらっと出て来ます。
西ローマ帝国の滅亡以降、演劇の話はヨーロッパ中世史の啓蒙書にはほとんど現れず、この頃の典礼劇がどのようないきさつから生まれて来た由来は私には皆目見当がつきません。内容は以後のオペラにではなく、オラトリオに直結していくような気がしますけれど、それも定かには分かりません。

これを、通しで見ることの出来る映像がYouTubeにありますので、能書きはこれくらいにしてリンクしておきます。Ensemble PHOENIXのひとたちの、2008年の上演です。

Ensemble PHOENIX
http://www.phoenixearlymusic.com/site/

Ensemble PHONIXによる上演(2008年、YouTubeのリンク)~英語字幕付


連続再生
http://www.youtube.com/watch?playnext=1&index=0&feature=PlayList&v=MgkkWyVX3PM&list=PL8A7462173D5AC66F

音楽が、16世紀末にさかんになり始めるオペラとは違い、シンプルこの上ない作りになっているのが印象的です。「誰でも参加出来る」ためにそうしたのでしょうか? ただしテキストはラテン語ですから、教会に属する人、もしくはそこで教育を受けた人、すくなくともラテン語の初等教育を受けた層が享受したものではあったでしょう。
音楽の中に、カルミナ・ブラーナに収録されているので有名な「バッコスよ、ようこそ」(CB200)その他のメロディが聴かれるのが、オリジナルの譜面に由来するのかどうかは、知りません。違うのではないか、と怪しんでおります。Ensemble PHONIXは、劇の最後を「バッコスよ、ようこそ」のオリジナルで締めています。

tracks 1,2
http://www.youtube.com/watch?v=MgkkWyVX3PM&feature=relmfu

tracks 3,4
http://www.youtube.com/watch?v=SXgPf-vhzUY&feature=relmfu

track 5
http://www.youtube.com/watch?v=YC2jRESbfYs&feature=relmfu

track 6
http://www.youtube.com/watch?v=NGSvCZPLcjA&feature=relmfu

tracks 7,8
http://www.youtube.com/watch?v=ZDN4jZKoP3o&feature=relmfu

track 9
http://www.youtube.com/watch?v=fVMAelk0LVg&feature=relmfu

track 10
http://www.youtube.com/watch?v=kK75-rW3oKA&feature=relmfu

track 11
http://www.youtube.com/watch?v=3Wre0b2ZL1c&feature=relmfu

tracks 12,13
http://www.youtube.com/watch?v=FPVCLyiq9zg&feature=relmfu

tracks 14,15,16
http://www.youtube.com/watch?v=B9HLTiN_OU4&feature=relmfu

track 17
http://www.youtube.com/watch?v=fav5A21A9Ns&feature=relmfu

tracks 18,19
http://www.youtube.com/watch?v=i4dGpden2tQ&feature=relmfu

track 20
1) http://www.youtube.com/watch?v=G99S8iL6fpI&feature=relmfu
2) http://www.youtube.com/watch?v=Ezn8BYIOD58&feature=relmfu

track 21
http://www.youtube.com/watch?v=B6Xpm_b721s&feature=relmfu

私自身が初めて「ダニエルの物語」を通しで堪能したのは2004年に発売されたCDですが、これが今は手に入らないようです。mp3ファイルとしてAmazonからダウンロード出来るのは確認しております。
こちらは、中世の上演そのものではたぶんなかっただろう、5度音程での副声部進行があったり、楽器のかなりの多用もありますけれど、味わいという点では、上記リンクの映像よりも
「現代の人が楽しめる」
仕上がりになっているかと思います。

http://www.amazon.co.jp/dp/B0045D0FH6/

New Yorks Ensemble for Early Musicの人たちによるもので、上演自体は1986年だったようです。これは、劇の最後に「テ・デウム」を用いています。こちらのほうが正式なのでしょうね。

「ダニエルの物語」はキリストの誕生に結びつけられているのが冒頭部ではっきり分かる通り、クリスマスに演じられたものでした。のストーリーは、旧約聖書の「ダニエル書」第5章〜第6章と、第14章をもとに構成されています。まず、ダニエルがバビロンの王でユダヤ人を捕囚にしたネブカドネザル【ナブコドノゾル】にその夢解きの才によって重用された(創世記での、エジプト人に重用されたヨセフの話の反映があるのでしょうか?)ことを物語る1〜4章は省かれ、その子バルタザール【バルタッサル】が見舞われた事件・・・宴会中に突然正体不明の手が現れて壁に謎の文句を書いた・・・を解決し賛美され、直後に王はメド人ダリオに殺されてしまう場面を描く5、6章に沿って進みます。このダリオを、聖書上ではおそらく違う人物として扱われている(あるいは文脈の混乱で別人のように読めてしまう)ペルシャの王ダレイオス【ダリウス】と混同し、聖書上はその父キュロス【キロ】が周りに押し切られてやむを得ずダニエルを獅子の穴に落とした事件を述べる14章を、ダリウスがしたことにして物語をまとめています。実際に聖書でお読みになって頂ければ面白いでしょう。

なお、物語は史実とは異なっていることが判明しており、これは、ダニエル書がある意味では歴史を「叙事詩化」していることを物語るもの、と、私は理解しております。(ダリウスの混同と同工異曲ですが、バルタザルは実際にはネブカドネザルの子ではありませんでした。)

物語のキーポイントの箇所には必ず "Rex, in aeternum vive ! "(王よ、永遠【とわ】に生きよ!)とのラテン語句が歌われますので、それによって場面の区切りを知ることが出来ます。シンプルですが、劇を分かりやすくする良い工夫です。

劇の最初の方でバルタザルが悩む、謎の手が壁に描いた謎の文句は、「メネ・テケル・パルシン」ですが、これは中近東で用いられていた目方もしくは貨幣の単位に由来するものらしい、と研究で明らかになっているようです。これをダニエルは「数え、はかり、破る」と読んで謎解きをしたとのことです。(フェデリコ・バルバロ「講談社版 聖書」ダニエル書第5章の注釈)

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