2017年9月25日 (月)

意味とは何か〜2台ピアノ邦人作品公開録音を聴きながら

「意味とは何か」なる問いかけが、何の意味もなさそうだ、ということは、読んで受けて頂く印象のとおりでしょう。いま別段、こんな問いを哲学的にしようと言う考えでもありません。過日、ピティナ・ピアノ曲事典のための公開録音を拝聴しながら、もくもくと胸に涌き上がって来たのが、この問いだった、というだけです。

ピティナさんが精力的に築いている「ピアノ曲事典」は驚嘆すべき事業ですが、そのライブラリに2台ピアノ邦人作品が加えられることになり、9月20日に浦壁信二さん・大井浩明さんを奏者に迎えての公開録音がなされました。

ピアノのピの字も分からない私が、ご縁でこうした会を傍聴したこと自体、縁の不思議さです。私の生きている日本の同時代作品に接することが出来るようになったことそのものが、もともと、今回の奏者の一方でいらっしゃる大井さんに出会えた不思議なご縁でからでした。そんな話はもういくらでもしたので、いいでしょう。

浦壁さんと大井さんのデュオでは、これまで主に渋谷の公園通りクラシックスで、20世紀に至るまでのロマン派の交響曲・大規模管弦楽曲の編曲を中心とした作品群が2台ピアノではいっそうディテイルの面白さを浮き出させることを強烈に印象づけられてきました。その重要な編曲者でいらっしゃる米沢典剛さんの手になるストラヴィンスキー『婚礼』(米沢さんの手になるものはどれも、なのですが、これもまた驚嘆すべき編曲です)を冒頭に置いて始まった公開録音でしたが、2曲目以降はピティナさんの用意なさったとおりの「現代日本人2台ピアノ傑作選」でした。米沢編曲を含む、演奏された9作品のリストは、末尾に掲げます。

1968年生まれでベルリン在住の西風満紀子さんの新作を2・4・9曲目にプロムナード代わりにちりばめながら演奏された一柳慧・西村朗・篠原眞・湯浅譲二・南聡作品は、構成感も色彩感もそれぞれに異なる、主張の強いものばかりでした。3曲目の一柳作品、休憩前の5曲目の西村作品は、それぞれの作曲家さんのお若い頃のものでしたが、一柳作品はゆらゆら、西村作品はがんがん、の、いまそれぞれの作曲家さんに僕ら素人が抱くイメージを、万年素人の私には再認識させてくれる面白さがありました。感想としては、玄人さんが抱くようなものは、とても持てませんので、これくらいに申し上げておきます。そういう点では、前半はイージーリスニング系にまとまっていて(作曲家さんに失礼でないことを願っております、充分に尊敬していますので)、演奏会としてもいい構成だったかと感じました。
目を剥かされたのは、後半の3作品でした。
真ん中に置かれた湯浅作品は、大井さんの内部奏法の妙技を久しぶりに目の当たりにさせてもらえたこともありましたが、浦壁さんという絶妙の耳の持ち主がペアでいらしたことで、他の楽器では絶対に得られない響きの強烈さが、いっそうくっきりしたかと思います。
そして、篠原さん、南さんの、おのおの長大な作品が、「意味とは何だろう」の問いを私に浮ばせた最たる存在でした。
玄人さんなら、これまた「滔々とした流れが強烈な隔絶を迎えまた更に豆腐の角に頭をぶつけるさまの何とも例え様のない沈着と混乱と静粛」とか、素晴らしいことをいくらでも仰れるのでしょうが、私はただ、これら2作がまったく違う個性でありながら
「古典ばかり聞いている耳には馴染まない流れが、しかし古典を彷彿とさせる枠の中で、しかも古典の形式に縛られているのではなく、作者自らの、なにか定まった発想の中で、しっかりと律されて聞こえてくる」
不思議さを覚えることしか出来なかった、と打ち明ける以外に術がありません。
篠原さんの作品は、独奏ピアノ作品を初めて拝聴したときにも感じたのでしたが、一つ一つを丁寧に積み重ね、それで連綿と絶えない(「急」に対して「緩」を挟むのでも、見せかけがどのようであっても、断絶がない)トータルなフォームを形作られる面白さがあります。したがって、聴くときには「要素」にいかに耳を傾けられるか、こちらも試される思いがします。この件に関しては、私の耳は失格です。ただ総体として、レンガの上を滑らかに美しく外装した印象を受けます。
南作品は、素人でもそうなんだとはっきり分かる2部構成で、前半の饒舌と後半の発作的鎮座の対立には、ぼんやりしていても感づけるものです。こういう明快さは、やっぱり南さんがいろんな作品でいつも体現なさっていることのように思います。ただ、この2部構成がまた、ちっとも古典的ではない。前半に対して「おお、こうなのか」ではなく「なぜこうなの?」という後半が置かれているせいなのでしょうか。

篠原作も南作も、ふだんカラオケに馴染む歌謡耳の僕らに親しいドレミのメロディやクッキリしたリフレインは一切ありません。
歌謡耳には、いわゆる古典(西欧クラシックに限らず、謡曲や雅楽などでも視野に置いて)ですらも、メロディやリフレインを楽しむ余地はないものですが、とくに今回の篠原さん、南さんの作品には、表面上、古典の持つシンプルな音階組織やリフレインはほとんど痕跡をとどめていません。その点、古典なら馴染める古典耳には、理解の余地がありません。
この、歌謡耳にも古典耳にも認識しがたい、最小限でも音律・反復の2要素を果てしなくボカしつつ編み出されるような音響が作り出されるようになったことを、「音楽は終わった」と表現する人の絶えないことが、創作者と聴き手の断絶を生んでいる事態は、いつ解消されるのだろうか、と、これまで常々思っていました。
いやーその発想もちょっと違うのかな、と、今回拝聴しながら、思えて来たのでした。
なんとか聴きおおせようと一生懸命耳を傾けているうち、結局は爆睡してしまった、ようなことになってしまっても、少なくとも今回並べられた作品の内容が既存の枠でないことはハッキリ認識できます。
だからといって、そこに、歌謡耳、古典耳がそれぞれの耳に認めて来た何らかの音楽の意味が、まったく断絶して存在しないわけではないのです。
南さんの形式感は最も容易にそれを思い知らせてくれます。人間の営みの中には日常的に二部構成があって、それは夜と昼・くつろぎと緊張・私生活と仕事、のように、なにかにつけて分たれている。それらそれぞれが別に南作品の二部構成と直接つながっているわけでも何でもありませんが、南作品の上に(南さん自身はこの作品に石井真木さんの思い出を重ねているのでしたが)日常の二部構成を重ね合わせる卑近な聴き方だって充分許容してくれる。
篠原作品の連綿はまた、そうは言いながら、命の続く限り何もかもごっちゃごちゃに繋がった時間の中で「あれはこうだったかそうではなかったか」と血迷い続ける自我に耳を委ねさせてくれる自由を、もしかしたら定型をはっきり聴かせる類いの音楽よりずっと豊かに持ち合わせていたりする。

してみると、こうした作品を通じて、私たちはいかに、普段から自分の中に「断絶した意味の破片」を追い求めつつ、破片の姿にだけとらわれながら、今はそうでなくてもいい瞬間を、意味の杭でせき止めようと試みているものか、と、もう絶望的に思い知るしかないのです。

作品そのものがどうだった、ということより、今回こんなことを重たく胸に抱えながら、私は帰路についたのでした。

綴る前は、もう少し人生論的な展開で喋ることになるかな、と思っていたのでしたが、人生論なるおちゃらけは、また別途とします。違うことも考え合わせなければなりませんから。

ともあれ、メロディやリフレインではないものを創作家が専ら追求するようになって、享受者はしかしまだそちらに踏み込む嗜好がない。意味の変貌を求めてはいない。世の趨勢を見るにつけ、もしかしたら、このあたりがせいぜい人間の限界なのかな、という絶望と、それでもそれを飛び越えようとする思いが誰かには湧き続けるのだなあ、という希望とが、ないまぜになる時間を、私は過ごさせてもらえたのだ、と、いまつくづくと反芻しています。

作品のことには触れませんでしたが、西風さんが自作解説に書かれたお言葉を借りれば、「聴衆が受け身的に音を待つのではなく、立ち上がる音と共に歩むように聴く、そのような聴き方」が促され得る何かが確立したとき、また違った地平が新たに立ち上がってくることもあるのでしょう。人間とは意味を追い求め、意味に縛られる生きもののようですが、意味とは何か、は所詮、言葉での思考に縛られ続けている。立ち上がってくる新地平は、果してまた意味付けを僕らに強いるのか、意味とは何かなどと感じも考えも思いつきもさせずに済む、ただ真っ平らな線や面のみを示してくれるものなのか。そこでは、絶望だの希望だのと感じる余地など何もなくても、「それでいいのだ」とバカボンのパパの如く立ちはだかってガハハと笑っていればいいものなのか。・・・そうであったら面白いなあ、とはまた、夢のような願望に過ぎないのではありますけれど。

9月20日 ピティナ公開録音プログラム
1. ストラヴィンスキー『婚礼』(米沢典剛編曲)
2. 西風満紀子『melodia-piano Ⅰ』
3. 一柳慧『二つの存在』
4. 西風満紀子『melodia-piano Ⅱ』
5. 西村朗『波うつ鏡』
(休憩)
6. 篠原眞『アンデュレーションB 「波状」』
7. 湯浅譲二『2台のピアノのためのプロジェクション』
8. 南聡『異議申し立て-反復と位相に関する2台のピアノのための協奏曲:石井真木の思い出に Op.57』
アンコールは武満作品でした。

ちゃんとした、まともなことは、詳しくは大井さんのブログで。
http://ooipiano.exblog.jp/27397266/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年9月 7日 (木)

【音楽史読書】3.旧約聖書(史書)の音楽世界

シュメル〜古代エジプトのあと、『旧約聖書』から音楽の風景を書き出していました。
いま、中身の解釈までは及ばないのですけれど、やったのを忘れないうちに、掲載だけしておきます。

いわゆるモーセ五書を含む律法の書は、年代の所属が不明です。また、本当は「詩篇」に豊かな音楽風景が展開されているのですけれど、これも年代の幅が分かりません。預言書関係は多少は年代が新しくなるかもしれませんし、その性質上、内容は「どんな場面で何が」ではなく思想的な色合いの方が強いかと思います。
岩波文庫で『文語訳旧約聖書 Ⅱ 歴史』(33-803-5 2015年第1刷)にまとめられているあたり(エヅラ書、ネヘミヤ記、エステルの書を除く)は、いちおうは統一王国時代から南ユダ王国の滅亡(紀元前931〜紀元前586)までの間にはなされた何らかの記録を元に編纂されたものと仮定できるかと考えますので、この範囲で抜き出しを試みました。(長谷川修一『聖書考古学』などを参考にしました。中公新書 2205)

楽器などの名称を指す語は本当はヘブライ語と対照できることが望ましく、いまはweb上でもやろうと思えば可能なのですが、ヘブライ語を勉強しきっていませんので他日を期します。

音楽の場面は先の『文語訳旧約聖書 Ⅱ 歴史』から拾い出し、該当部分の口語訳の抜書きは講談社版聖書、昭和55年の訳文によりました。各書名はこの2つのテキストのものを併記しました(どちらが先かは決まっていません)。拾い落しはご容赦頂くとともに、ご示唆ご教示をまちます。

メソポタミア的なもの、エジプト的なものが混在しているのが興味深く思われます。


ヨシュア記
第6章3~5
「兵士たち、勇ましい勇士たちはすべて(エリコの)町を一周して取り囲め。六日間引き続きそうせよ。七人の祭司は雄羊の角のらっぱ七つを聖櫃の前に持参せよ。民は七日目に七度町回り、祭司たちはらっぱを吹き鳴らせ。雄羊の角のらっぱが絶え間なく鳴り渡るのを耳にしたら、そのとき民はすべてとどろくようなテルワの声をあげよ。そうすれば城壁は崩れ落ち、民は突き進んで攻め入ることが出来る」。


士師記(判事の書) 
第5章1
その日デボラとアビノアムの子バラクはこう歌った。[デボラの歌]~歌い手と合唱が唱和するのは、ベドウィンの風習に残る由。
第6章34
彼(ゲデオン)が角笛[ラッパ]を吹くとアビエゼル族は彼のもとに集まった。
第7章8
ゲデオンは民からかまと角笛を集め、イスラエルの民をおのおのの幕屋に帰らせ、三百人だけを残した。
同16
彼は三百人を三つの隊に分け、みなの手に角笛とかまを渡した。
同18
「私とともにいる者は角笛を吹く、そのとき、おまえたちも敵陣のまわりを囲み、角笛を吹き、〈主のため、ゲデオンのために〉と叫びを上げよ。」
同19
ゲデオンとその連れの百人は、真夜中の番兵の交替するときに敵陣の前線に着き、角笛を吹き鳴らし、手に持つかまを打ち割った。三つの隊は同時に角笛を吹き、かまを割った。彼らは左手で(かまの中に入っていたたいまつをつかみ、右手に角笛をとって吹き、こう叫んだ、「主のため、ゲデオンのために」。
第11章34
エフテ(イェフタ)はミズバの自宅に帰ってきた。そのとき太鼓の音とともに踊りながら迎えに出たのは、彼の娘であった。


サムエル前書(サムエルの書上)
第16章23
神の霊がサウルを襲うとき、ダビド(ダビデ)は竪琴を取って弾きながら歌った。そうするとサウルは心が安らかになって落ち着き、悪霊も離れ去るのだった。
第18章6
ダビドがペリシテ人をやっつけて一同とともに帰ってくると、イスラエルの町々から女たちが踊りながらサウル王を迎えに出てきた。太鼓をたたき歓声をあげを鳴らして歌いながら
同10
その翌日から下った悪霊がサウルに取りつき、家の中で気が狂ったようになったので、ダビドはいつものように弾き歌いを始めた。
第19章10
さて人間にまさる悪霊がまたサウルを襲った。彼は手にやりをもって家におり、ダビドは竪琴弾いて歌っていた。


サムエル後書(サムエルの書下)
第1章17~18
次にダビドはサウルとその子ヨナタンのために嘆きの歌を歌い、この歌をユダの子らに教えよと命じた。ゆえにその歌は義人の書に書き残された。~義人=王の勇士(ウガリトの文献にある由)
第6章16
ダビド王が主の前で踊ったりはねたりしているのを見て、ミカルは心の中で彼を軽蔑した。
第15章10
角笛のひびきを耳にしたら、〈アブサロムはヘブロンで王位についた〉と言え」。
第18章16
ヨアブは軍隊にイスラエル追撃を中止させようと角笛を吹かせた。
第20章1
たまたまそこにベニヤミン族ビクリの子でシュバという名の無頼の徒がいた。彼は角笛を吹いて言った。「われわれにダビドと分ける分け前はない。われわれにはエッセの子と分ける遺産はない。イスラエルよ、おのおの自分の幕屋へ行け」。
同22
ヨアブは角笛を吹いた。皆は町を去ってそれぞれの幕屋に引き揚げた。


列王の書(列王紀略)上
第1章39~40
角笛は鳴り、人々は「ソロモン王万歳」と歓声を上げた。人々はソロモンに従って踊りをまじえながら[文語訳旧約聖書では「笛を吹き」]町に上り、喜びに身をゆだねた。
同41
ヨアブは角笛を聞きとがめ、「なぜ町じゅうがこんなに騒いでいるのか」と言った。
第5章12(文語訳旧約聖書では第4章32)
彼(ソロモン)は三千の格言(箴言)を説き、一千五百首にのぼる歌を作った。


列王の書(列王紀略)下~特に見出せず。


歴代の書(歴代志略)上
第6章16~17[文語訳では31~32]
聖櫃が安置されたのち、ダビドが主の家における歌の指揮者として立てた人々は次のとおりである。ソロモンがエルサレムに主の神殿を建てるときまで、彼らは出会いの幕屋のまえで歌の奉仕をした。この任務をはたすにあたって、彼らは定められた規則に従っていた。
第9章33
レビ族の族長にあたる歌い手は次のとおり・・・。彼らにはほかに任務はなく、ただ昼夜このつおめを果たさなければならなかったので、神殿の部屋に宿泊していた。
第15章16
ダビドはレビ人の氏族長たちに、歌い手の兄弟たちもおのおの楽器すなわち、竪琴六弦琴シンバルで準備を調え、声を上げて祝いをするように命じておいた。
同19~22
歌い手のヘマン、アサフおよびエタンは青銅のシンバルを鳴らす役目であった。ザカリア、ヤジエル、シェミラモト、エヒネル、ウンニ、エリアブ、マセヤとベナヤは竪琴女声[原典の意味不明、文語訳では「細き音」]を出し、マティティア、エリフレウ、ミクネヤ、オベド・エドム、エイエルとアザジアは調子をとって八度音程の六弦琴をひく役目であった[文語訳では「をもて太き音を出して拍子をとれり」]。レビ人のかしらの一人ゲナニアは演奏を指揮していた。彼は豊かな能力の持ち主だったので歌を指揮する役目であった。
第16章5
・・・彼らは竪琴六弦琴を弾き、アサフはシンバルをならし、祭司ベナヤとヤハジエルは神の契約の櫃の前でらっぱを吹き続けていた。その日、ダビドはアサフとその兄弟たちに次のような主へのほまれの歌を初めて歌わせた。[→詩篇105、96、101]
第23章3~6
レビ人の調査されたのは満三十歳以上のもので、一人ずつ数えられた男の合計は三万八千人であった。・・・あとの四千人はダビドが賛美のために作った楽器で主を賛美するつとめであった。


歴代の書(歴代志略)下
第5章12~
歌い手のレビ人たち、つまりアサフ、ヘマン、エドトンおよび彼らの子らと兄弟たちからなる聖歌隊はすべて亜麻布を着て、手にシンバル竪琴六弦琴を持ち、祭壇の東側に立っていた。彼らのかたわらにはらっぱを吹き鳴らす百二十人の祭司がいた。らっぱを吹き鳴らす者と歌い手ただ一人の人のように声をそろえて演奏し、らっぱシンバルすべての楽器を響かせて主をほめたたえ・・・
第20章21
それから王(ヨザファト)は民と相談して主の歌い手詩篇の歌い手を定めた。彼らは祭服をつけ、勢ぞろいした軍隊の先頭に立ち、「主をたたえよ、その慈しみは永遠」と声高らかに歌った
第23章13
王(ヨジア)は入口に近い柱のそばに立ち、長官たちとらっぱ手がそばに従い、地の民もらっぱを吹き鳴らしながら、無上の喜びにひたり、歌い手楽器に合わせて歓呼の音頭をとっていた
第35章25
そのときエレミアはヨジアのために哀歌を作った。すべての歌い手たちはヨジアについてのこのような悲歌を今日に至るまで歌っており、こうするのはイスラエルでのならわしとなった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月22日 (火)

ブラームス「交響曲第1番」つくりのさわり

『ブラームスはお好き』なる小説には食指が伸びたことがないのです(サガンですね)。
でも、ブラームスの交響曲は好きなんです。
悪口で「まるで室内楽ぢゃん!」とか言われたとか言われなかったとか言いますけど、その室内楽的なところに魅かれたのが、大学オケで初めて弾かせてもらった、十九歳か二十歳そこそこの頃。4番だけは学生のうちに演奏経験できなかったのですけれど。それでも、世間の狭い私にとって、たった一人、交響曲の全曲演奏を制覇できた作曲家がブラームスなのであります。・・・制覇だなんて! 大勢の弦楽メンバーのなかの砂の一粒だっただけだわさ。


音楽史的なことに再チャレンジしようと思って、古代エジプトを始めたところで、メソポタミアと同じスタンスでは取り組めないのに気付いて、はた、と止まって、それっきりになっていました。そっちはまたその気になったらやります(エジプトじゃない材料は、狙いの分の半分ほど書き出してあるんですけどねぇ)。
んで、音楽への回帰は、今度1月に所属アマオケでやるブラームスの第1交響曲にします。
・・・そんなにブラームスの交響曲が好きではない、というお友達にも、ちょっとだけ興味を持ってもらえたら、との思いがあります。


この曲の解析みたいなのは、全音版のスタディスコアで野本由起夫氏が言い尽くしているし、あるいはフリッシュ『ブラームスの交響曲』で微に入り細にわたって語り尽くされていますから(私は訳書を紛失して手元には英訳版しかありません泣)、それに重ねて言えることは私ごときにはございません。高度なことをお知りになりたいかたは、それらをご覧下さい。
今は、もしかしたら、高度なことを知りたい、と思ってもらえる架橋くらいにはなるかな、程度のことを、ざっとお喋りします。
曲にまつわるブラームスのクララ崇拝だとかベートーヴェン第十だとか、ゴシップ的な話はしません。


1)なんだか知らんが上昇志向。

全曲が「ドミソ#ド」構成になっている。
すんごくざっくり言うと、まずこれです。
第1楽章〜ハ短調。ハ=ド(固定ドで)
第2楽章〜ホ長調。ホ=ミ(おなじく)
第3楽章〜変イ長調。変イ=嬰ト、ト=ソ(またまたおなじく)
最終楽章〜ハ長調。ハ=ド(またしても!)
変イと嬰トは厳密には違う音ぢゃん!・・・とか、硬いことは抜きにしておいて下さいね。
4段階になる調の構成を「ド〜ミ〜ソ〜ド」の上昇指向(志向ではなくてね)にしている。上昇指向は、それだけでは足りなくて、「ソ」には#(’シャープ)を付けとこうね、あ、それだと楽譜が見づらくなるから(嬰ト長調はシャープが八つぢゃないといけない! そんなの書けるのかっ! Fダブルシャープ使わんといかん!!! 書けないっ!!!)、異名同音でラのフラットね、そうすればフラット4つですむけんね!、なんてことまでしている。
そうだからなのか、そんなことはどうでもいいのか、長い長い全曲を聴いていると、だんだん体がふわっと浮いてくるような気がする。・・・しませんか? しませんか。そうですか。。。


2)全編全パートがメロディック

まあ初めてこの曲を聴くときに、上みたいなことを先に考えることは、まずないでしょう。
最初は
「どこを聴いても流れるように旋律的ね〜」
で、も少し凝って聞き出すと、たとえば
「あら、ヴァイオリンの伴奏してるヴィオラもメロディックね! あら、チェロの伴奏してるヴィオラも! でもヴィオラは結局伴奏ばっかりかいorz」
となってくる。
それもそのはず、どこもかしこも和音のズンチャカ(ホモフォニックに)ではなくて、メロディが蔦のように絡み合って(ポリフォニックに)音符が並んでるんですね。一見和音でメロディを伴奏しているふうなところも、よく注意すると、和音のそれぞれの音が・・・いちばん上の音は前や後ろのいちばん上の音と、二番目の音はまた二番目の音同士、三番目は三番目同士・・・で、別の綺麗なメロディをこっそりと作り合って、お隣同士お向かい同士でニッコリ笑い合っているんですよね。これ、印刷された楽譜を見るまでもなく、聴けば「そうかな」って感じて、聞こえるんです。
和声で帳尻合わせをしない伴奏は、明らかにブラームスを規範にしたドヴォルザークもチャイコフスキーも完璧には書けてはいませんで(地場の民族音楽のリズムに縛られたところがあるからだと思います)、むしろプーランクの「牝鹿」あたりに面白いサンプルがある等、フランス近代に引き継がれるものになって行った気がしますが、気のせいかもしれません。お詳しいかた、ご教示下さい。
ともあれ、このシンフォニーでは、嘆き節のところでも、号泣の場面でも、実は音同士は微笑みを交わし合っている。聴き重ねて行くと、そんな音同士の笑顔が見えてくる気がするんですよね。・・・「やだ〜変態!」ですか。そうですか。変態ですみません (ToT)
まあこれは第1交響曲だけではないのですけれど。
それでも第1がいちばん、派手なアピール抜きであるように思います。


3)あとにつながっている

各楽章自体の、繊細なモザイク造りに感嘆させられる、という話もあるのですが、それはざっくりとは言えないので、もし別の機会がありましたら。第1楽章がそれを典型的に見せつけてくれるのですけれど、そのあたりは全音版スコアの野本さんの解説で充分に語られています。しかしモザイクの最小部品であるモチーフにはちょっと問題があります。弦楽器にとってはブラームスの交響曲は先人の作品に比べてけっこう弾きにくかったりするのですが、それは第2楽章が彼のピアノ作品に通じるような音構成でオーケストレーションしているところから理由が分かります。ブラームスはピアノでこ交響曲を作曲したんですね。(ベートーヴェンでも全部をピアノで作曲したのではないように思います。ピアノで全部、というのはシューマンを嚆矢とするのではないでしょうか。)
それに加えて、第1交響曲の面白さは、そこここのテーマが、ブラームスのこのあとの交響曲に繋がっていくところにあります(これは残念なことにあんまり言われていないと思います)。
第4楽章の有名な主題は、第2交響曲の第1楽章の主要主題にも変身しますし、さらには第3交響曲の終楽章の主題にも変貌します。
第3楽章の中間部は、リズムを変えてではありますが、第3交響曲の第2楽章中間部へと発展します。
第1楽章の速くなったあとの、切り立つようにに厳しい増六度の下向は、第3交響曲では4度〜3度の交錯に、そして第4交響曲では3度に和らげられて、それぞれ第1楽章の主要主題となります。第4交響曲では、反転した完全6度の上昇音型と組み合わされまでするのです。
第1楽章冒頭の上昇音型は、第2交響曲第2楽章のチェロの冒頭主題に寸を詰め下向きに変えられ、波状攻撃風に展開されて行きますし、さらにまた、第4交響曲終楽章のパッサカリア主題へと結晶して行きます。
どう該当するかは、ちょっとイメージしてみて下さい。譜例を載せるまでもなくお気付き頂けると思います。

この他については、楽しんで発見して頂けたらいいな、と思います。


最後がちょっと隠微な表現になりましたけれど、これがいちばん面白いかもな・・・むふふ。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月 9日 (日)

【音楽史読書】2.古代エジプトの音楽(2)

古代エジプトには、その3,000年の歴史の中での文字や図像の不変ぶりから、3,000年のあいだ時間が止まっていたような印象を受けます。
しかしながら、あらためて歴史を勉強しますと、その激動ぶりに驚かされます。
とくに、紀元前900年頃以降は、それまでの古代エジプト語を母語とした王権ではなく、ヌビア〜アッシリア〜ペルシアの侵攻と支配が続き、様式は守られつつも、美術は写実性を帯びたものに、文字は簡便なもの(デモティック)に遷移して行きます(山花京子『古代エジプトの歴史』 慶應義塾大学出版会 2010年)。

『エジプト神話集成』に訳の掲載されたテキストは、年代のわからない「後期エジプト選文集」を除き、外からの支配に置かれる以前のエジプトの状況を反映しています。「後期エジプト選文集」も、文中に現れる神や作物の名まえから、他の作品の書かれた時期(前20世紀〜前12世紀くらいの範囲)に収まるものが大部を占めるものと思われます。

そこで、シュメルのときと同じように、前回拾い出した内容を、【演者・奏者と奏楽の場】・【楽器】・【演奏スタイル】〜またはジャンル〜という具合に分けておきます。期間は800年の長きにわたるものを同一平面に置くことにはなりますが、それでもシュメルとの傾向の違いが、わりと明確になるように思います。・・・今回は出典と年代も付記しておいてみます。文も極力省略せずにおき、分けた項目に関係するものに色をつけてみます。


【演者・奏者と奏楽の場】
(2) これらの女神たちは、踊り手に姿を変えて出発いたしました。(『ウェストカー・パピルスの物語』前20世紀)
(4) 女楽師たちは(今でも)〈宮殿の奥の婦人部屋に〉(坐って)いる。(だが)〈彼女たちの歌うのは、かつて石臼ひきの婢が歌っていたような嘆きの歌なのだ。〉(『イブエルの訓戒』前23~21世紀)
(5) 見よ、七弦琴(も)知らなかったものが(今では)竪琴[ハープ]の所有者だ。自分のために歌うことをしなかったものが(今では)楽の女神を称えている。(同上)
(6) それから領主は、そばにはべらせていたエジプト人の歌い女ティネトネウトを「かれのために歌え、かれの心から心配ごとを忘れさせよ」と言って私のもとに送ってきた。(『ウェンアメン旅行記』前1080頃)
(7) 歌と踊りと香(煙)とは神の食物であり、平伏されることは神の財産である。(『アニの教訓』前1500年代)
(11) われ、汝の美に酔い、楽人の竪琴に手をやりて汝のため歌わん。(『単一神への讃歌』前1300年頃)
(12) (列席した王女たちによる合唱)(『セド祭の碑文』前14世紀)
(13) 首席典礼司祭はミンの舞踊の歌を誦す(『ミンの大祭の碑文』前12世紀)
(14) 庭園にあるミンのための舞踏の歌(同上)
(15) ・・・いま、貴官家の中にじっと坐し、娼婦どもにとりまかれ(『後期エジプト選文集』)


【楽器】
(1) がらがらシストルム(「シヌヘの物語」前1950年前後)
(3) がらがら(『ウェストカー・パピルスの物語』前20世紀)
(5) 見よ、七弦琴(も)知らなかったものが(今では)竪琴[ハープ]の所有者だ。(『イブエルの訓戒』前23~21世紀)
(11) われ、汝の美に酔い、楽人の竪琴に手をやりて汝のため歌わん。(『単一神への讃歌』前1300年頃)
(12) 汝の美しき顔にシストルムを(『セド祭の碑文』前14世紀)
(15) ワル(という)横笛に合わせて歌を口ずさみ、竪琴[リラ]に合わせて吟誦し、ネチェク(木楽器)に合わせて歌う/腹の上で太鼓をたたいたり(『後期エジプト選文集』)


【演奏スタイル】~またはジャンル~
① センウセレト1世への讃歌(「シヌヘの物語」前1950年前後)
② シヌへの心境吐露の詩(同上)
・(付番漏れ)歌、踊り、音楽、喝采、(要するに)王のためになされるようなありとあらゆる物音(『ウェストカー・パピルスの物語』前20世紀)
(9) 夜暗きときうたう(『アメン・ラー讃歌1』前1238頃)
(10) 四回くりかえす。『アメン・ラー讃歌2』前16世紀と推定)
③(解説)讃歌の中心をなす「勝利の歌」は「われは来れり。汝をして………せしめんがために」をくり返すことによって韻律を整え、格調ある詩をつくりだしている。(『トトメス三世讃歌』トトメス三世の在位は前1490~1436頃)
④(解説)最近の研究によれば、古代エジプト人の文章はほとんどすべての場合、われわれにその詳細は不明であるとはいえ、一定の韻をふんでいるとみてよいとのこと(『セド祭の碑文』前14世紀)
(15) 貴官は笛に合わせて歌い、ワル(という)横笛に合わせて歌を口ずさみ竪琴[リラ]に合わせて吟誦し、ネチェク(木楽器)に合わせて歌うことを教わった。いま、貴官は家の中にじっと坐し、娼婦どもにとりまかれ、立ったりはねたり[……]そうかと思うとこんどは(中略)腹の上で太鼓をたたいたりする。(『後期エジプト選文集』)
〜『後期エジプト選文集』に
 *軍歌1編
 ~「この軍は無事に帰ってきた」のリフレイン7節
 *民謡恋歌7編
 *竪琴の歌1編


神の音楽というスタンスが濃かったシュメル(とりあえずのまとめは、http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/15-c263.html)と対比しますと、エジプトはもう同時期に人が音楽の主体だとの観念があったとの印象を受けます((4) や(5) が、既に前2000年前後のものです)。(4) にある「石臼ひきの婢が歌っていたような嘆きの歌」という表現には、それだけで魅き込まれるものがあります。
讃歌は神々の他に王を称えるものであった点は、シュメルと同様で、讃歌というジャンルの起源の古さを感じさせます。
軍歌の発生は、シュメルよりあとのバビロニアあたりから、対比すべきものを探し当てるべきかと思います。
シュメルのときにも感じたのでしたが、楽器や演奏法については、文学には図像ほど豊かな情報はないものなのでしょうか。楽器は文ではその形が描ききれませんし、演奏法は具体性をもって語るのはもっと難しいのですね。これはもちろん今でも事情は変わりませんが。

この時期の音楽を図像を中心に詳しく教えてくれるのは、マニケ『古代エジプトの音楽』(松本恵訳 弥呂久 1996年)で、考古学の成果に依る様々な推測はたいへん貴重なものだと思っています。そちらの参照を、しかし必要最少限にとどめて、図像は『人間と音楽の歴史』のエジプトの巻に重きをおいて、また次から演者や演奏場所や楽器、音楽様式を具体的に観察して、『集成』への読解をちょっとだけでも深めたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月 2日 (日)

【音楽史読書】2.古代エジプトの音楽(1)

「エジプトはナイルの賜」と言いならわされています。
この言葉は、本当は、ヘロドトスの『歴史』では「こんにちギリシア人が通航しているエジプトの地域は」(松平千秋 訳、第二巻五節)との限定がつきます。そしてそのナイルの賜の地域は「エジプト人にとっては新しく獲得した土地なのである」(同上)だとも言われています。
定期的に大規模な降水を起こすナイルは、じっさい克服困難であったのでしょう。
新石器時代から農耕文明の発展までに、エジプトにはメソポタミアでは見られない、大きな空白がみられるとのことです。
すなわち、メソポタミアでは旧石器時代から新石器時代を経て灌漑農業の大規模発展に至るまでの遺跡が段階的継続的にみられるのに対し、エジプトでは新石器時代の遺跡がたいへん稀で、前4500年頃の遺跡に突如として灌漑農耕文化の出現が見て取れるのだそうです(小川英雄『古代オリエントの歴史』p.11、p.32)。

いったん文明が栄え出した後のエジプトには、完成されてしまった象形文字、すなわちヒエログリフがあり、それがエジプトの滅亡まで三千年も使われていたほど、エジプトの文化は安定を誇ったのでした。そうは言っても、この長い時のあいだにはエジプトなりの激変が何度もあり、王朝交代の狭間の混乱や、外来の人々の侵攻による衰微も経験し、その経験がエジプトに豊かな精神を育んだものと推測されます。
文学の翻訳を集めた『エジプト神話集成』(杉勇・尾形禎亮訳 ちくま学芸文庫 2016年9月 訳業は1978年)の収録作品も、古代エジプト人の精神の襞(ひだ)を多様に刻んでいるものと見受けます。

楔形文字が一様の言語を表わしているわけではないため素人には敷居が高いのに対し、エジプトのヒエログリフは独学でも音くらいは読めるようになるほどの入門書が、日本語でも豊富に出ています。文字が具象的な絵柄なのも、人気に拍車をかけているのでしょう(※)。
その歴史についても、私の子供時代(1970年前後)に比べ編年が格段に正確になり、新王国時代以後について信頼できる啓蒙書が出版されたりしているのも目にしました(山花京子『古代エジプトの歴史―新王国時代からプトレマイオス朝時代まで』慶應義塾大学出版会 2010)。

古代エジプトの社会や文明の様々な側面を詳しく教えてくれる本もまた、メソポタミア関係よりも、はるかにたくさんあります。音楽に関しても、リーセ・マニケ『古代エジプトの音楽』の訳書(松本恵訳 弥呂久 1996)があって、前はこれを斜め読みして大喜びしていたのでしたが、このたびは、先にあげた『エジプト神話集成』を中心に、古代エジプトの音楽を覗いて行きたいと思います。


『エジプト神話集成』から拾い出しますと、作品の文中で直接に楽器や歌唱に触れたものは、15ヶ所でした。作品は31編と、同じ出版社が文庫化した『シュメール神話集成』(同16編)のほぼ倍、ふられているページ数も696頁(『シュメール神話集成』は318頁)と、これまたほぼ倍であるにもかかわらず、文の量としては半分、すなわち密度は(単純にみて)4分の1になっています。
古代エジプト人は、シュメル人に比べて、音楽に対する関心が低かったのでしょうか?
そこはこれから見て行くわけですが、決してそうではなかったはずだ、とは思っております。残された壁画には豊富な種類の楽器も描かれていますし、拾い出したものを見れば、歌謡もふんだんにあったらしいことは推測出来るはずです。とくに「民謡と恋歌」は『エジプト神話集成』の本文中の添え書きで、編者が「今から四千五百年も以前の歌謡は、他の世界ではみられないものである。」と述べています。(ただし、いま、民謡などの訳そのものは書き出しませんでした。)
古代エジプト人が音楽する姿を文に述べることが少ないのは、(15)に抜き出したものなどを見ると、音楽に対する価値観がシュメルとはちがったからではないか、という気がしています。古い文では音楽は神が楽師に姿を変えて奏でていたりしますので、言いきれることではないのかもしれませんが。このあたり、追々確認して行きます。

文の抜き出し方はシュメルのときと同じですが、オリジナルの行数は訳書中にかならずしも明記されていませんので、代わりに訳書中の何ページにあるかを記しました。


「シヌヘの物語」(前1950年前後、中王国時代)
①(センウセレト1世への讃歌) p.12~13
②(シヌへの心境吐露の詩) p.17~19
(1) メニト首飾りやがらがらやシストルム p.25

『ウェストカー・パピルスの物語』(前20世紀 第12王朝期成立?説話は前25世紀?)
(2) これらの女神たちは、踊り手に姿を変えて出発いたしました。 p.40
(3) (一行は)かれに、メニト首飾りとがらがらをさしだしました。 p.40
・[付番を漏らしました。]歌、踊り、音楽、喝采、(要するに)王のためになされるようなありとあらゆる物音 p.42

『イブエルの訓戒』(第19~20王朝時代の筆写、成立は第一中間期~中王国初頭 前23~21世紀)
(4) 女楽師たちは(今でも)〈宮殿の奥の婦人部屋に〉(坐って)いる。(だが)〈彼女たちの歌うのは、かつて石臼ひきの婢が歌っていたような嘆きの歌なのだ。〉 p.91
(5) 見よ、七弦琴(も)知らなかったものが(今では)竪琴[ハープ]の所有者だ。自分のために歌うことをしなかったものが(今では)楽の女神を称えている。 p.97

『ウェンアメン旅行記』(前1080頃)
(6) それから領主は、そばにはべらせていたエジプト人の歌い女ティネトネウトを「かれのために歌え、かれの心から心配ごとを忘れさせよ」と言って私のもとに送ってきた。 p.172

『アニの教訓』(新王国時代 前1552~1070頃、第18王朝期【前1500年代】)
(7) 歌と踊りと香(煙)とは神の食物であり、平伏されることは神の財産である。 p.241
(8) サルは、母(猿も)もてなかった曲杖[メケルという踊りに用いる杖]をもつ。 p.256

『アメン・ラー讃歌1』(前1238頃)
(9) 夜暗きときうたう歌い手、かれのものなり。 p.389

『アメン・ラー讃歌2』(前16世紀と推定)
(10) 四回くりかえす。 p.415

『単一神への讃歌』(前1300年頃)
(11) われ、汝の美に酔い、楽人の竪琴に手をやりて汝のため歌わん。 p.440

『トトメス三世讃歌』(トトメス三世の在位は前1490〜1436頃)
③(解説)讃歌の中心をなす「勝利の歌」は「われは来れり。汝をして………せしめんがために」をくり返すことによって韻律を整え、格調ある詩をつくりだしている。 p.689

『セド祭の碑文』(前14世紀)
(12) (列席した王女たちによる合唱)「汝カーのために。/汝の美しき顔にシストルムを、/またメニト飾り[イシスのシンボルの首飾り]と鉤錫を。 p.464
④(解説)最近の研究によれば、古代エジプト人の文章はほとんどすべての場合、われわれにその詳細は不明であるとはいえ、一定の韻をふんでいるとみてよいとのこと p.690

『ミンの大祭の碑文』(前12世紀)
(13) 首席典礼司祭はミンの舞踊の歌を誦す p.468
(14) 庭園にあるミンのための舞踏の歌 p.471

『後期エジプト選文集』
道楽者の書記官にあてた非難
(15) 貴官は笛に合わせて歌い、ワル(という)横笛に合わせて歌を口ずさみ、竪琴[リラ]に合わせて吟誦し、ネチェク(木楽器)に合わせて歌うことを教わった。いま、貴官は家の中にじっと坐し、娼婦どもにとりまかれ、立ったりはねたり[……]そうかと思うとこんどは(中略)腹の上で太鼓をたたいたりする。 pp.484-5

⑤軍歌1編
〜「この軍は無事に帰ってきた」のリフレイン7節 p.495

⑥民謡と恋歌7編

⑦竪琴の歌1編


※ 私は現状中途半端ですが、ヒエログリフの勉強には、文法も分かりやすく体系的にまとめているものがいいなあ、と思っています。
それを勘案してのおススメは
吉成薫『ヒエログリフ入門 古代エジプト文字への招待』弥呂久 1988年初版 2001年新装版
です。いまでも入手可能です。新手のものがいろいろ出てきましたが、文法を順を追って丁寧に教えてくれるものは他にありませんでした。練習問題の解答もあり、後半の読解編の丁寧な解説もありがたいです。巻末の文字一覧、ヒエログリフ・日本語辞書がオーソドックスなものであり、本文中でその引き方も教えてくれていることに、後続他書の追随を許さないアドバンテージがあります。
字が小さくてしんどいときには、大判の
吹田浩『注記エジプト語基礎文典』 星雲社 2009年
があります。文法についてより新しい知見も盛り込まれています。文字一覧と辞典については吉成著と同じ構成です。字は見やすいです。練習問題の解答はありません。
まず主要な文字の音を知りたい、欲張るならヒエログリフが読めた気になりたい、というときには
松本弥(わたる)さんの
『ヒエログリフを書いてみよう読んでみよう』白水社 2001年
が断然お薦めです。2012年に新装版が出たようです。同じ著者による類書も、親しみやすいものばかりです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«【音楽史読書】1.シュメルの神話のなかの音楽(5) 演奏した人々のことなど